誘惑に負ける


私は、赤司の負担を少しでも減らしたいと思って。だけど、それが空回りすることにちゃんと気付いていたんだね、あの夜の時点で既に。だから、僕が先を歩くって言ってくれたんだ。寂しいけど、仕方のないこと。置いていかれないだけ、マシだと思え。悔しがるな、大して役に立たない存在のくせに。

「…私は…」

どうすればいいの、と飲み込んだ。この状況で、この言葉が合っているのかどうかわからない。私はどうすれば赤司の役に立てるの?

「僕の側にいればいいよ。いてくれたらそれでいい。僕にはまなが必要だから。……返事は?」
「…はい」

私の言いたいこと、聞きたいこと、全て分かってくれてる。大好きです、赤司。今日だけ、今日だけは、子供みたいに泣かせてください。





目が覚めると赤司の腕の中だった。目の前に急に綺麗な顔が現れたもんだから、思わず鼻血を噴射しかけた。が、すぐに頭が働いて状況を理解する。

泊まったのだった。離れたくなくて。「やだ帰らない。お願い、お願い」思い出したくもないほど、赤司に縋りついた気がする。

「どうしてだめなの?もしかして私といるのイヤ?」
「そうじゃなくて、お前の親御さんが心配するだろうが」
「お父さんは今はモロッコにいるから大丈夫。お願い、ね、お願い。今日だけ泊まらせて。朝までずっとぎゅっとしてて」


馬鹿じゃないのか。昨日の私。


「やだ、どこ行くの」
「そろそろ風呂に入ろうかと」
「私も入る」
「あんまり馬鹿言うとさすがに怒るぞ」
「私と入りたくないの?」
「……襲うぞ?」
「どうぞ」
「…やっぱり帰れ、お前」


完全に馬鹿である。昨日の私。


(あいたたたたた。また一つ黒歴史を刻んでしまったようだ)

目玉だけをぐるんと動かすと、ここは赤司の部屋でこれは赤司のベッド。まくらは赤司の腕。あ、やばい、赤司の血管。浮き出た血管。舐めてもいい?

(…だめだめ。落ち着け)

そうっと腕の中から抜け出す。赤司を起こさないように本当にそうっと。ベッドからも。抜き足差し足で自分の携帯を手にとって、カメラ機能を起動させ「させない」

「あっ…」

携帯ごと赤司に奪われてしまった。「どうして、」と不満を言おうとすると「言える立場か?」と。

「起きてたのなら言ってよね。寝たふりとかほんとに性格悪いね」

危うく腕を舐めあげるとこだったじゃないか。

赤司はムッとしたようだ。

「何だその態度は。僕がいないと寝れないと泣いていた昨日のお前はどこに行った?」
「やめてくれ」

思わず苦い顔。耳が痛い。昨日の私はどうも頭が可笑しかったようだ。本当に思い出したくもない。これは、一度考え出すとものすごい恥ずかしさに襲われてしまうタイプの、あれだ。だから、考えないのが一番賢い。(つまり何事もなかったかのように接するということだよ!)

「…何?」

赤司に手招きされたから近寄る。すると、くすりと笑われた。

「はは。やっぱり僕の犬みたいだ」
「ひどい」
「嘘。僕のまな」

ぎゅう、と抱き締められて苦しい。態度とは裏腹に私の心はきゅんきゅんと喜んでいる。本当は赤司の犬でもいいよ、なんて言わないけど。

寝起きの赤司の写真が欲しかったが、仕方ない。目に焼き付けておくことにしよう。控えめな寝癖が可愛いね。

「今、何時?」
「朝の六時だよ。ねえ赤司、今日、学校休んでもいい?」
「駄目だ」
「どーして?」
「決めたんだ。まなには勉強させるって」

高校受験は大変だから、と言われた。

「嫌。今日は行きたくないの。お願い、お願い」
「お前のお願いばっかり僕は聞き飽きたよ」

確かに、昨日から「お願い」しか言ってない気がする。

「…むむむ」
「悩んでるね。はは。可愛い。可愛いな。もっと近寄っておいでよ、僕のまな」
「!」

思わず赤司から離れた。(何だ、どうした?!いきなりどうした?!)説教する空気だったくせに!

「…え?」
「離れるな。まだ時間があるだろう?もう少しくっついていよう。おいで、僕のまな」
「え、え?…え?」

…赤司、何があったか知らないけど、あなた今、多分、…着実に黒歴史刻んでるよ。

テンションがハイになって普段の自分とはかけ離れた姿を出すのは私にはよくあることだ。だけどそれを諫める立場であったはずのあの赤司が…。

「それね、あとでね、すごく後悔するよ」
「アドバイスありがとう」

はは、と笑われた。近寄ろうとすると避けられ(がーん)赤司はカーテンを開けに窓に近寄って行った。途端、訝しがる。

「…まな、朝の六時にしては外が明る過ぎると思うんだ」

ぎく。

「僕に嘘吐いているだろう」

赤司が六時を示す目覚まし時計を手にとった。(やばい!)後ろの電池が抜かれているのをしっかりと確認してから、じろりと私を見た。ここまできたら、さすがに白状するしかない。

「…実は十時過ぎてます。まなさん、目覚まし止めてからの二度寝でした。ごめんね?すごく気持ち良さそうに寝てたから、起こしたくないと思って」

実は赤司の寝顔写真も既に入手済みなのだが、これは言わない。

「…はー…。本当に君って、…はあー…」

赤司が頭を抱え込んでしまった。

「君って呼んじゃ嫌だよ。まなって呼んで」
「そんなこと言える立場か…」
「ね、いいじゃん。今日は一緒にいよう?今日だけは勉強お休み。夕方から部活にだけ出ればいいよ。それまで、二人でずっといちゃいちゃしてようよ」

「楽しいよ?きっと学校より何倍も楽しいよ?」と言えば、じとーっとした目は変わらず治らないものの、「…もう知らない。まなの好きにしろ」と言わせるのに成功した。

「ふふっ!」

こういうときに限り、類い希なる才能を発揮する自分は別に嫌いじゃない。赤司の意志を曲げられるのは世界中で私だけだね、きっと。








(お父さん、まなは悪い子です。初めての無断外泊、そして無断欠席。しかも真面目で有名なあの男の子と一緒です。イケナイことをするのは、とても楽しくて、そして幸せですね)
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