まるで狂愛
赤司の家の前にまなはいた。雨の中、傘もささずに、赤司だけの帰りを待っているようだった。
赤司に気付いて駆け寄って、ごめんなさいと連呼する。
馬鹿な子。最初から僕に全て頼っていればこんなことにはならなかったのにね。
そう思いながら見下ろす。馬鹿な子だけど愛しい子。だから、傘をかざしてやった。手を引いて家に連れ込み、そのままシャワー室へ。
シャワーの音が遠くから聞こえてきた。ああ着替えを用意しなければ。そう思い、赤司は自分のタンスから比較的小さい服を選び出し、バスタオルとともに脱衣場へ持って行ってやった。そこで、シャワーの音に混じってすすり泣くまなの声が聞こえてきた。
このドアを一枚隔てた先で、まなは泣いている。
何がしたいんだろうか、と赤司に冷たい気持ちが流れ込んできた。
「…ありがとう」
しばらくするとまなは出てきた。そこに座れ、と赤司が促すと大人しく従った。小さいものを選んだはずだが、赤司の服はそれでもまなには少し大きいようだった。母の服にした方が良かったかもしれない。
「…さて、何から話そうか」
赤司が口を開いてくれたことにまなは少しだけ安心したようだった。
「灰崎と一悶着あったようだね」
こくん、とまなは頷く。
「なぜすぐに言わなかった?」
「…心配かけたくなかった。全中も近いから。…でもこんなことになって、本当にごめんなさい」
よかれと思ってやったことがさらに悪いことを呼ぶ。どちらかと言うと、まなはそういう人間だった。不器用な人間だった。ただのクラスメートじゃ気付かない、本当のまなは。
「灰崎と話してきたよ。君の代わりに僕がね」
俯きがちだったまながバッと顔をあげた。君、と呼ばれた。距離が遠くなったような気がした。
ううん、今はそれどころじゃないとまなは頭を横に振った。灰崎と話してきたなんて、赤司は大丈夫だったのだろうか。
「君のメールアドレスが聞きたかったらしい。くだらない」
「メ、メールアドレス?」
予想の遥か上を行く赤司の言葉に、思わずまなは聞き返す。「馬鹿みたいだろう」と赤司は吐き捨てた。信じられないが、嘘ではないらしい。何故なのか知りたかったが、赤司はそれ以上話す気はなさそうなので口をつぐむ。
「だから灰崎について心配することはもう何もない。あっちから手を出してくることもないだろう」
それは赤司が灰崎に対して何かを施したということを暗に意味しているのだろう。その何かを聞くほどまなは馬鹿ではない。
「で、青峰のことだが」
まなが緊張したのがわかった。
「どうして受け入れた?」
これでも聞き方を選んだつもりだった。しかし赤司は、自分でもこれはマズいと思った。これではまるで、まなを責めているような。
いや、責めているのだ。実際。
いつぞやの痴漢のように、青峰の股関を蹴るなりすれば良かったのだ。ただ泣いていたまなに対しての、これは立派な非難だった。
そこまでまなは敏感に感じ取ったらしい。
「…青峰は、大きかった。力が強かった。動けなかった。ごめんなさい。逃げれなかった。ごめんなさい」
「そうやって一々謝られると苛々するよ」
「っ…」
こうしてまなの一言一言を否定してやることで、まなを傷つけて自分の苛立ちを解消しているのだろう。我ながら性格が悪い、と赤司は自嘲する。
まなは被害者であるはずなのに、責めずにはいられない。
「青峰が好きか?」
「違うっ…」
「じゃあ嫌い?」
「…うん…嫌い」
間髪入れずに頷くのは逆に怪しいが、まなの返答も微妙なライン。
これでは、まるで言わせてるみたいだ。
どうしてもっと上手く出来ないのだろう。この子に対してだけはどうも手元が狂う。傷つけてしまう。自分もこの子も。
「…赤司、」
まなが小さく名を呼んだので、赤司は下げていた目線を合わせてやった。すると、まなは涙を溜めた目で精一杯の笑顔を作った。痛々しいほどにキレイだった。思わず、見取れる。
「赤司だけ、本当に。赤司だけが好きなの。大好き。本当だよ。愛してる。本当。だから、」
一人にしないで、と言ったのだろうか。その声は嗚咽となったので最後まで聞き取れなかった。
キレイな顔はすぐに崩れて泣き出した。まなはすぐに泣く。僕のことになると、本当にすぐに泣く。
付き合い始めた頃から思っていたことがある。この子には、誰か依存する対象が必要なのだろう。それは、今は亡きまなの兄だったり、僕だったり。
器用に生きているように見せかけて、実は不器用で、それでいて少しだけ歪んだ子。ただのクラスメートじゃ気付かない。この子はこんなにも弱い。僕が離れることを何よりも恐れている。
また、僕もそう。と赤司は笑った。
お前と一緒。最初はそんなことなかったのに、お前と一緒にいるうちにそうなったよ。
これは依存。お互いの。
そんなことくらいとっくの前に気がついている。
そこまで一瞬で考えた後、結論に至る。
だから許せないのだ。まなの隠し事が。
不器用なお前のために僕が道を作ってやる。だから、一人で生きようとするな。
僕を頼れ。僕だけを。
おいで、と手招きすれば。遠慮がちに近付いてくる小さなまな。昨日までは赤司しか受け入れたことがなかったその唇を、指でなぞる。
「で、君はどうしたい?」
「…赤司といたいよ」
まなの舌が赤司の指に触れた。
「僕といたいってそんなの我が儘だと思わない?」
出た。悪い癖。苛めたくなる。小さな笑いが零れる。
「…お願い」
ぺろ、指を舐められた。まるで犬が主人に忠誠を誓うように。
「…君さ、本当にずるいよね」
小さな口に指を入れてくちゅくちゅくちゅくちゅ。
まな、僕たち二人、今すごくエロティックだよ。
「……お願いします、」
ごめんなさいの退路は先程絶ってやったから、まなは困っている。可愛いなあ。
「仕方ない、」
口から指を抜いて、まなを抱き寄せる。まなの濡れた髪の毛が首筋にくすぐったかった。
まな、おいで。
「でも次はないよ」
「…はい」
誰のものか、わからせてあげないと。
高校は東京から遠いところを選ぼう。僕ら二人の世界に誰も干渉してこないように。