「死ねとか殺すとか簡単に言うな!」
いつものように青峰と罵り合っていると、突然前の席の武田が振り向いて私達二人に怒鳴った。青峰も私もポカーンである。周りのクラスメート達もポカーンである。だって武田は、中学生なのに校舎裏でスパスパやっているような、中学生なのに耳に必要以上に穴が開いているような、つまりそんなやつなのだ。そんなやつから何やら道徳的なことを注意されたような気がするが、それはきっと私の聞き間違いだろう。だって不良が、そんなこと言うなんて、信じらんない、んだもん。ねえ。
「死ねとか殺すとか、簡単に言うな!」
「は?いきなりどしたの武田」
私のナニイッテンダオマエ的な顔を見て、武田がもう一度繰り返してくれた。が、思わず私が聞き返したのは、まあ必然というか何というか。だって仕方がないだろう。
死ねとか殺すとか、確かに酷い言葉だとは思う。使うべきではないことも分かっている。分かってはいるが、武田だってついこの間までは馬鹿みたいに死ねだの殺すだの、果てはトイレに流すぞまで言っていたじゃないか。それが急にどうしたのだ。何故急に糞真面目赤司君みたいなこと言い出したのか。
「本当に死んだら困るくせに簡単に死ねとか言うなっつってんだよ!本当に死んだらどーすんだよ!死んでからじゃおせーんだよ!」
武田の目に涙が溜まってきたのを確認して、私はああそうかとやっと腑に落ちた。隣のアホ峰君も武田の頬を伝う涙を確認した頃に漸く、ああアレか、と何かを悟ったようだった。確か武田の先輩、先日バイク事故で吹っ飛んだんだっけ?で、死んじゃったんだっけ?私はその先輩と直接の面識がなかったし、無免許なのにバイク乗るとか阿呆だろという思考の持ち主なので、死んでも自業自得としか思わなかったのだけれど。思えなかったのだけれど。
「死んでからじゃ全部おせえんだよっ…!」
ついにはぼろぼろと大粒の涙を零し始めたので。思わずギョッとする。不自然に薄いその眉毛が悔しそうにキュッと中心に寄っていたのを見て、
(う、わあ…)
と思ってしまった私をみんなはどう思うだろうか。非道いやつだと思うか。別に思ってもらって結構である。
格好付け野郎で中身がない男代表の武田がこの人目を気にせず泣いているというのは、隣の青峰を「…なんかごめん」と謝らせるほどのものだったらしい。
「…いや、いいんだよ別に。ただ、もう、死ねとか簡単に言うなよ」
ぼそりと呟いて、武田は教室を出て行ってしまった。
武田、お前は私と青峰の「おいクソ峰、私のミートボール食ったな。死ね」「お前が死ね」「殺すぞ」「やってみろや」という後ろで行われていた会話をそのピアスジャラジャラの耳で拾っていたのか。意外と耳がいいんだな。とりあえず、お前、人に注意する前に自分の方はどうだったかとか考えたか。私達に注意出来るくらいの人生を歩んできたのか。歩めてないだろ、なあ?他人の迷惑を顧みずそんなキツい香水つけちゃうくらいだもんなあ。まなさんは鼻が曲がりそうだぜ。
みんなは私のことを、"折角してもらった注意を素直に聞き入れることが出来ず逆に相手の否を指摘することによって自分のプライドを保ってる"、そんな子供っぽい人間だと思うだろうか。別に思ってもらって結構である。
口と脳はどんどん勝手に動いて、私をさらに子供っぽいやつにしていく。
「武田は馬鹿だなあ。これでみんなが武田と話す時、言葉を選ぶようになる。不自然になる。NGワードを避けるために。ただでさえ武田は歩く公害で友達が少ないのにまた友達減るぞ」
「つーか、死ねとかもはや日常語だろ。中学生に使うなっつー方が酷だろ」
「しかも死んだのってたかが先輩でしょ。血も繋がっていなければ親戚でもない」
「あいつ可哀想な自分に酔ってるんじゃね?」
「あはは。見てらんない。このままじゃあいつ更に孤立するよ」
気が付いたら、口はスルスルと動いていた。自分でも最低な事を言っているとは分かっている。
「…お前は寂しいやつだな。そんな風にしか考えられねーなんて」
青峰の私を見る目は完全に軽蔑していた。それにハッとしたのは何故だろう。
「武田の言うとーりかもしれん。だって大切な人失ったことなんかねーし、わかんねーよな。これから気を付けようぜ?」
ナニハンセイシテルンダオマエハ。私はとりあえず笑った。青峰にはそれが小馬鹿にしているように思えたらしい。
「…お前は寂しいやつだな」
何の気なしにそう言うので。ぎぎぎ…と思わず聞こえてきそうなほどに再び頬の筋肉をあげた。
「…ヘラヘラすんな。最低なやつ」
怒られた。ぎぎぎ……。じゃあこの筋肉はどこへ動かせば良かったのか。どんな顔を作れば良かったのか。
「何かあったなら言え。僕に隠し事なんかしたら殺すよ」
久しぶりのデートだってのに何やら考え込んでいる私が気に障ったらしい。
「あらやだ、糞真面目赤司君も殺すとか言うのね。言っちゃうのね。まなさんは赤司の彼氏なのでご丁寧に教えてあげよう。赤司、よく聞いて。殺すとか言っちゃ駄目なんだよ」
そうらしいよ。言っちゃ駄目らしいよ。
「そうだな。でも、殺すよ」
「だから殺すとか言っちゃ駄目なんだって。最低、らしいよ」
「君と一緒か?」
フフッ、笑いながらそう言われた。何だ、全部知っているのか。
「ああ、どうやらそうらしいね」
不機嫌そうに目を逸らした私である。
「…青峰や武田は知らないんだ。君が彼らよりよっぽど辛い思いをしてきた事を。誰よりも君自身がその言葉の重みを知っていることも。周りから浮かないように、あえて使っていることも。僕から見たら、君は最低というより不器用な大馬鹿野郎だ。大丈夫、まな。僕は全部知っているよ」
「何私の事全部知ったような事言ってんの。気持ち悪い。私、どん引きした」
「……素直じゃないね」
う、そ。
「…赤司は本当に私の扱いが上手いね。まなさん、泣きそう」
「泣いているだろう」
前方が霞んで見えない。
「…赤司に私の取説作ってほしいな。私、時々、自分が何をしたいのかわからなくなる時があるの。ねえ、私のした行動は間違ってたかな。よかれと思ってやった事だったんだけど。…恥ずかしい。恥ずかしいな。こんなんじゃ、何だか生きるのが恥ずかしいな」
「考え過ぎ。自分が思っているほど他人は自分に興味がないもんだ。そんなに思い詰めるな」
「…だって、」
だって、とは言ってみたものの、それに続く言葉は見つからなかった。不自然に空いた間を赤司が埋めてくれる。
「僕は君程に人間臭い人間、見たことがないな」
「それ、褒めてる?」
「褒めてはない」
「………」
「………」
「…褒めてよ、」
赤司が笑った。
「よしよし可愛いね、どこの誰よりも可愛いね。不器用で馬鹿みたいな生き方してて、時々見ていられないけど、それでもとっても可愛いよ」
褒め言葉には聞こえない。
「…非道い、非道いよ赤司。もしかしてずっとそう思ってたの。恥ずかしい、恥ずかしい」
「ははは」
確かこの日だったと思う。この日のこの瞬間、私にはこの人しかいないのだと悟った。何も言わなくても分かってくれるこの人。私は絶対にこの人を離してはいけない。
「大好き、大好き赤司」
「あれ、急に素直になったね」
クク、と笑う赤司に抱かれていた。
頭の中に溢れた春が、死にたい魚の邪魔をする