「あばばばばぶうー」

きゃっきゃっ。

まなが幼児化した。それを見て、我が次男、真之助(13)が盛大に溜め息をついた。眼鏡をくいっと押し上げるその手には、テーピングが念入りに巻かれている。もう俺には必要がなくなってしまったものだ。真之助がこうしてテーピングを巻き始めた時、「イヤア真之助!それ以上お父さんに似ちゃ駄目よ!」とまなは嘆いたのだが、それは一体どういう意味なのだよ。

「…母さん、見てられないよ」

母親が幼児退行する姿なんて見たくないのだろう。真之助は俺に同意を求めるような視線を送ってきた。

「そーお?でもほら見て?真子ちゃんはこんなに喜んでる」

あばばばばぶー、きゃっきゃっ。

俺に真子(1)の言葉は理解出来ん。だがまなには出来るらしい。五人もの子宝に恵まれた俺にとって、まなの幼児退行はもう五回目であり、もはや見慣れた光景であるから何も言わないことにしている。「お前の時も母さんは幼児退行したのだよ」と真之助に言おうとしてやめた。俺に似て、神経質なところがあるからだ。

「きゃっきゃ!」

真子が笑うとまなも笑う。真子が叫んだらまなも叫ぶ。一見するとそれはただの反復であり、良い年した大人の奇行であり。しかしまなによると、そこにはちゃんとした会話があるらしい。まなと真子だけの意思疎通があるらしい。(頼むから家以外でやってくれるなよ)

「…真之助、テレビの電源を入れてくれないか」
「…うん」

真之助は俺の頼みを聞き入れ、まなから視線を移し電源を入れてくれた。それ以上俺が何も言わなくともチャンネルを合わせてくれる。『蟹座のあなたは〜』などという、もうすっかり慣れ親しんだあの声が聞こえてきて、(ああやっぱりお前はいい子に育ったな、真之助よ)と思うと同時に溜め息が出たのは、昨夜の出来事を未だに引きずっているからだろう。

「真之助、悪いけどお兄ちゃんとお姉ちゃん起こしてきてくれる?」
「姉さんは機嫌悪いからイヤだよ」
「母さんからのお願い」
「…しょうがないな」

真之助が重い腰をあげてくれたにも関わらず、まなが不安げに俺を見つめてきたのにもまた理由がある。我が長女、真由(14)はそれはそれは綺麗な緑髪だったというのに、何と青峰の子どもに「ワカメみたい」とからかわれたからといって昨夜真っピンクに染め上げて帰ってきた。(エキセントリックなところなど、言うまでもなくまな似。俺の頭を悩ますところもそっくり)これにはさすがのまなも仰天し、昨夜二人で叱り飛ばし、また緑に戻してやったのだが(親として当然のことだ)、「お父さんお母さんなんて大嫌い!」と真由に泣き叫ばれたのがまなはかなり堪えたらしい。衝動的なもので本心ではないと俺は分かっているのだが、「お父さんのパンツと一緒に洗濯しないで」なんて言われる時期を早めたかもしれんなんて考えると少し哀しくなってくる。だが、染髪は許せん。

ピンポーン

「あ、高尾君来ちゃった!」

インターフォンが鳴ってから数秒後にドドドド…!という階段を駆け下りる音。「おはよう母さん父さんそして行ってきます!」とパンをひっつかんで嵐のように過ぎ去っていく我が長男、真一郎(18)にも思わず溜め息をつかずにはいられない。「寝癖ついてるよ兄さん!」と真之助が真一郎に向かって霧吹きの水を吹きかけた。

長男だから、と厳しく育てたはずだったが、なぜか朝練があるというのにギリギリまで寝ているだらしない男に育ってしまった。秀徳の主将がそんなのではダメだと何度も叱ったが一向に直らない。しかも高尾の子供に毎日迎えに来させているあたり、昔のまなみたく暴君になってはいないかと俺は心配である。

『…今日の蟹座のラッキーパーソンは自分の愛する人です』

「あらま!私のことじゃないの!ねえ真太郎、今日は仕事休んで二人でチュッチュッしてようよ」
「子どもの前で何を言う!」

なんだかんだ一番手のかかるのはまなであることは、今も昔も変わりない。それこそ、子どもたちよりも構ってやる必要があった。そうすれば、まなは全力の愛を返してくれる。夫婦になって何年も経つが、この関係を未だこそばゆく感じてしまうあたり、俺ももう終わっている。


「ぱぱ、ぱぱ聞いて」

足をツンツンされて、(ああそう言えば)と気付く。我が家にはもう一人小さな暴君がいた。「一人で幼稚園の制服着たの」「偉いのだよ」誉めながら、掛け違っているボタンを直してやった。

「でもぱぱじゃなくてお父さんと呼ぶのだよ、真奈美」
「お父さん、まなみね、プリキュアのレターセットが欲しい」
「この前買ってやっただろう。プリキュアじゃなくて仮面ライダーのを」
「なくなっちゃった」
「嘘つくな」
「ぶー!」

真奈美(4)が癇癪を起こした。「やめなさい」俺の足に抱きつきながらぽかぽか殴ってくる。「時代はプリキュアなの!幼稚園はプリキュア一色だってのに!」ああもう、朝から俺を悩ませてくれるな。まな、何とか言ってやってくれ。「あばばばぶー!」ああもう!

「ぶー!」

真奈美は五人の宝物の中で誰よりもまなそっくりだ。だからか、つい甘やかしがちになってしまう。「そんな顔するな」と窘める一方、気を抜けばつい緩んでしまいそうな口元があった。忙しない朝だが、溢れ出す幸せに気付くには充分過ぎるのだ、と自分の中でその答えを探し当て、心の奥底にしまっておく。

「プ、リ、キュ、ア!」
「だめだ」

教育は、難しい。だがこれも全て愛ゆえ。




刧刧
幸せそうに家族一人一人の紹介をする緑間君でした!緑間家はきっと子沢山。
またもや子供の名前が適当で、しかもややこしくてごめんなさい。


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