遊星#愛しき人に餞を | ナノ
博士、と呼ばれるようになってから何年経っただろう。白衣を身に纏うようになってからどれほど経っただろう。もう、どれ程Dホイールに乗っていないだろう。研究レポートに目を通していた時、ふと、そう考えたのだ。その姿がどうやら重苦しく思いつめていたかのように見えていたらしく、同僚や後輩たちは労いの言葉と休みを取るようにこぞって進言してきた。別に行き詰まったわけでもないし、徹夜をつづけたわけでもないのだから、休みを取るなんてなんだか申し訳なくて遠慮はしたものの、どうやらこの研究室はお節介なやつらが集まっているらしく、俺は無理矢理、明日を休みにされてしまった。博士が居なくても問題ありませんよ、と自信満々に言い張った後輩に苦笑しつつ有難く仲間の好意に甘えることにした。

次の日朝起きて俺は戸惑った。振り返ってみると、今まで生きてきて休みというものなんてなかったのだ。おかげで今日という休みをどう活用すればいいのか見当もつかなかった。サテライトにいた頃はずっとDホイール制作に明け暮れていたし、シグナーと目覚めてからも仲間探しや戦いに時間を費やしてきた、その後はまたDホイールの開発改良に全てをつぎ込んできた。思い返してみれば忙しない人生を送ってきたものだ。おかげでこの年になって休みの過ごし方もなにもわからない。自分に呆れつつも、とりあえず久々にDホイールを走らせよう、そう思ってガレージのシャッターを開けた。そこに佇んでいたのは久しくライダーを待ちわびていた赤い車体。以前と変わらない姿でそこに居た。懐かしさで目を細ませる。あの頃は俺の人生と言っても過言ではなかった相棒。今やガレージの暗闇に押し込まれて役割を果たすことなくフィギュアのような扱いで、なんて惨い仕打ちをしていたのだろうと思った。ジャックやクロウは今も現役でDホイールを走らせてデュエリストとして活躍しているのに。彼らのような主人でなくて、悪いな。心の中で謝りながら久々に車体に跨りエンジンをつけると、懐かしい思いが奥底からせり上がってきた。乗らなくなってからもメンテナンスは欠かさなかったおかげで以前と変わらない感触でDホイールは走り出した。

風を切り裂くこのスピード感。もう何年感じていなかったのだろうか。ハンドルの感触もアクセルペダルの踏み込み具合も過ぎ去って行く街の景色も何もかもが懐かしい。遊星、もっとはやく、いつも俺の後ろに乗っていた彼女のそんな声が聞こえて来る気がした。怖がりのくせに、いつも背中からはやくはやくと急かしていた彼女。俺は彼女の要望通りにスピードを上げていった。スピードを上げれば上げるほど、彼女は俺に強くしがみついてきて、それが俺は少し嬉しかったのだ。若き日の、思い出だ。

ふと、俺はDホイールを停めた。別になにがあったわけでもない、言うなれば、街全体の景色が見えたから
、なんとなく停まったのだ。Dホイールから降り、ヘルメットを外す。風が俺の髪を緩やかに揺らした。見渡す限り、ビルと道路とそれから海と。全てが組み合わさって、とても綺麗な街並みだった。ポケットからタバコとジッポを取り出し、火を着けて咥える。苦い煙が口に広がり、吐き出したそれは爽やかな風に吹かれて飛んで行った。

それから俺は携帯をとりだし、彼女の番号にダイヤルする。どうせ出ない。分かり切っていた。でもかけずにはいられない。あの時、彼女がいなくなってから、出ないとわかっているのに、ずっとかけ続けている。


ーーおかけになった番号は現在使われておらずーー


「そんなこと知ってるさ」


聞こえてきた機械音に、そう吐き捨てた。彼女がもういないなんて知っている。改めて突きつけられた現実に、俺はなんの前触れもなくまるで条件反射のように涙が零れた。それすらも懐かしい。昔は出ない電話にダイヤルして、彼女がいないという現実を突きつけられて、それから泣いて、毎日それの繰り返しだった。あの時から出ないとわかっているけれど、俺はまだ彼女の番号は消せない。いつか、いつか、もしかしたら、彼女がでてくれるんじゃないかって、馬鹿なことを考えてるんだ。あり得ない話なのにな。風が吹いて、涙で濡れた頬がやけに冷たく感じた。瞬きをすればまた瞳から涙が零れ落ちて、それから俺は笑った。


「休みなんて碌なもんじゃないな」

20160507
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