カイザー#死に逝く者の懺悔 | ナノ
私は罪を犯しました。

彼の独白はそこから始まっていた。白いシンプルな便箋に走り書きされている文字たちはまぎれもなく彼のもので。それを手にした瞬間、私の心拍数は嫌に高鳴っていた。今朝からなんとなく、ただなんとなく予感がしていた。何がきっかけになったかははっきりとは言えないけれど。私は彼の手紙を片手に家の中を駆け回った。こんな手紙が置いてある時点で彼が家にとどまっている可能性なんて無いに近いことわかりきっているはずなのに、探さずにはいられない。いない、いない。あとは彼の部屋だけ。小さく震える手で私は彼の部屋のドアを開けた。そこに広がった光景に私は足元から崩れ落ちる。嘘だ、嘘だ。彼の私物が何一つなく、すっからかんの白い部屋。ついこないだまでは彼の仕事の本や書類、彼の衣服などが詰まっていたはずなのに、何一つないなんて。混乱する頭で何をどうすればいいのかわからない。彼が私のもとからまるで初めからいなかったかのように消えてしまおうとしているのだけは理解できる。引き止めなければ、とカバンの中身をひっくり返し力の入らない手で何とか彼のケータイへと連絡する。だが、聞こえてきたのは無機質な機械音で。おかけになった電話番号は現在使われていない番号で―――――ケータイが指先から零れ落ちていき、床とぶつかりガンと音を立てた。


私は本当は五年前に死ぬはずだったのです。それなのになぜ今日まで生きてこられたかというと、私の代わりとなって死んだ人がいたからなのです。五年前のことでした。横断歩道を歩いている私のもとへ加速したままの車が突っ込んできたのです。ブレーキを踏む気配のない車がこちらに向かってきているのを見たとき私は確実に死を予感しました。このスピードで直撃で引かれてしまえば、私は一瞬で死んでしまうのだろうと。けれど私は死にませんでした。強い力で背中を押されて歩道まで突き飛ばされたのです。車がガードレールに激突して止まるすさまじい音がしたとき、私は思わずそちらを振り返ってしまいました。私を突き飛ばして助けてくれた人が、ガードレールと車の間にいることがすぐさまわかりました。私の代わりに死んだ人がいるのだと。今から五年前、そして私とあなたが出会った日の二年前の話です。私はあなたと出会ったとき、あなたの母の知人だと名乗りました。それは、偽りなのです。真実は、あなたの母が自らの死と引き換えに生かした男なのです。あなたにとっては母が死ななければならなかった原因ともとれるでしょう。あなたには謝っても謝り切れません。あの人の墓標の前であなたと出会ったとき私は決意したのです。あなたのために死のうと。今までずっとその考えであなたのそばにいたのです。恋人となったのも、一緒に暮らし始めたのも、あなたのために死ぬために。私があなたを愛すなど、無礼も甚だしいと思っていたのです。けれどあなたと時間を過ごせば過ごすほど、強く惹かれている自分がいてあるとき気が付いてしまったのです。あなたを愛してしまっているのだと。あなたとずっと生きていきたいと。あなたのため死ぬという決意が揺らぎ始めていたのです。それをはっきりと自覚したときに、私は罪を犯したのです。他のだれが何と言おうとも、法の定規で測ったとしても、これは私にとっては罪なのでした。

お願いがあります。最期にもう一つだけ罪を犯させてください。あなたのためにではなく、罪を犯した自分のために、逝くことをお許しください。



最後に丸藤亮、と彼の名前が記されていた。すべてを読み終わった私は今まで何も知らずにのうのうと生きてきた自分を呪った。彼は苦しみ葛藤し続けていたというのに。彼は出会った時から表情にどこか愁いを抱えていた。その理由がこれだったなんて。母が突き飛ばしたおかげで助かった青年がいる、という話は聞いていた。その話を聞いて私はその人を恨むようなことは一度たりともなかった。母の勇敢さに悔しいような嬉しいような思いを抱いていたのだ。それなのに彼は…。
私は裸足のまま駆け出した。彼の行く当てなんて何にもわからない。どうしても会いたい。行かないでほしい。そんな想いだけで駆け回る。涙で顔はぐちゃぐちゃだし、嗚咽のせいでうまく呼吸もできない。なんとか呼吸を整えようと近くの電柱にもたれかかり、深呼吸を何度か試みる。裸足で飛び出てきたせいで足の裏が痛いことに今気が付いた。どうしようもう彼はどこかで…そんな風に考えたら余計に涙があふれてきた。どうしよう、どうしよう。そんな思いでいっぱいで。涙を乱暴に拭って走り出そうとしたとき、すぐ先の交差点で彼に似た人がいるのに気が付いた。力ない足取りで、今にも消えてしまいそうな背中で。まぎれもない丸藤さん。私は駆け出した。彼が向かう先は交通量の多い交差点。彼の意図が分かった瞬間、ひゅ、と息が詰まる。


「丸藤さん!」


彼は私の声に振り返った。けれどもう遅くて。響くブレーキ音と何かがつぶれる嫌な音、それから私の悲鳴。皮肉なことに最後に私を見つけた丸藤さんの表情は至極穏やかだったのです。

20160430
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