万丈目#万丈目に教科書を借りる | ナノ
朝起きたら家を出なければならない時間の五分前であった。机の上の目覚まし時計を二度見して、それから何度も瞬きをして夢ではないかと確かめたが、確かに時計の針の位置は現実であった。そこからの私の速着替えはギネス記録に乗るんじゃないかってくらいの勢いだったね。制服に着替えつつ、起こしてくれなかったお母さんに文句を言いつつ、カバンに荷物を詰めつつ、歯を磨きつつ、寝癖を直してパンを頬張り、いってきますと家を飛び出した。そのおかげでなんとか遅刻せずに学校に駆け込むことができたのだ。人間やればできる、を実感したね。走りながらパンを咀嚼していたものだから登校で怪訝な視線を向けられたが、遅刻して怒鳴られるよりは私にとってはなんてことない仕打ちだ。衝撃的な朝の幕開けであったが、なんとか難を逃れたことによくわからない満足感を覚えつつ、友人に笑顔で挨拶をして自分の席についた。やけにご機嫌ね、なんて友人は言うのだけれどきっと想像すらしないだろう、私が起きて五分で家を飛び出したことを。

一限の授業の用意をしようとカバンを探った時、あることに気がついた。


「あ!」
「なに、どうしたの?」
「生物の教科書忘れた!あと何分で授業始まる!?」
「あと3分もないわよ」
「となりの教室ならたぶん間に合う!借りてくる!」


言葉を言い切る前に私は教室を飛び出した。せっかく遅刻せずに済んだのに忘れ物するなんて最悪だ。しかも生物の先生は宿題忘れとかノート忘れとか、教科書忘れは言わずもがな、忘れ物に煩いのだ。となりの教室にたどり着き、友人の姿を探す。私の慌てっぷりを目にして彼女は察したのか、なにか借り物?と尋ねてきた。そうなんです、生物の教科書がいますぐ私は必要なんです。


「生物?今日は生物の授業はないわ」
「え、そんな!」


絶望にも似た感情が襲ってきた。なんてことだ。今からまた他のクラスへ行ってる暇なんてない。これはもう諦めるしかない。友人にお礼を行って自分の教室に帰ろうとしたらその時、私の視界に見慣れた生物の教科書の表紙が広がった。え?と思い顔を上げると私に向かって教科書を掲げる万丈目くんがいた。学年1有名な万丈目くんだ。整った顔つきと言い家柄と言い頭の良さと言い、全てが揃いに揃ったとなりのクラスの王子様だ。彼は鋭い瞳でこちらを捉え、教科書を私に差し出してくる。突然のことに私は対応できなくて、口をぱくぱくさせた。だって、話したこともないみんなの憧れのあの万丈目くんが、目の前にいるんだもの。


「あ、あの…」
「偶然机に置いてってた。いるんじゃないのか?」
「い、いります!」


私は恐れ多くも彼から教科書を受け取った。万丈目くんに教科書を借りてしまったどうしよう教室に帰ったらみんなに自慢しようそうしよう。それにしても彼はなんて優しいのだろう。話したこともないきっと私の名前すら知らないのに教科書を貸してくれるなんて。


「パンを食べながら走るくらい慌ててたんだ、忘れ物のひとつくらい仕方ない」


少しだけ綻んだ顔で告げられた彼の言葉に、笑顔で教科書を受け取っていた私は硬直した。え?パンを食べながら走るって言った?え?万丈目くんにあの姿を見られてたってこと?それを理解した瞬間、顔が沸騰するんじゃないかってくらい熱くなって、どぎまぎなありがとうを告げて万丈目くんの前から脱兎の思いで逃げ出した。教室に逃げ帰って教科書を握り締めたところで1限のチャイムが鳴り響いた。心臓が耳元で脈打ってるんじゃないかってくらいばくばく煩い。顔と体が羞恥心で熱い。
ああ、もう二度とパンを咥えながら登校なんてしない。まさか見られてたなんて。憧れの彼に教科書を借りられるラッキーな出来事ではあったが、あんな認識されてるなんて、もう恥ずかしくて万丈目くんと顔合わせられない。思い出すだけで恥ずかしくなるからそれを振り切るように私は生物の授業に集中することにした。

返す時に再び万丈目くんと顔を合わせなければいけないことに馬鹿な私はまだ気付いてはいない。

20160427
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