カイザー#貴方を忘れない | ナノ
そうなることはもうすでにその時には決まっていたのだ。私が何をしようとも何を語りかけようとも、彼がその一歩を踏み出すことは、避けられるはずもなかったのだ。でも、せめて、私がしたことによって、彼が少しでも救われたのではないのだろうか、そう、思いたい。もしかしたら、救われていたのは私の方だったのかもしれないが。

その日は酷い雨が地面をひたすら叩きつけていた。私は不機嫌丸出しで折り畳み傘をやる気なさげに掲げて帰路についていた。お陰で若干はみ出した右肩が雨にさらされていたけれどもきちんと傘をさす気にもなれなかった。無性に心かき乱された気分であったのだ。特段今日何かがあったわけでもない。返ってきたテストは思いの外いい点数だったし、ちゃんと予習をしてきたところだけ当てられたし、購買で絶大な人気のパンのラスト一個を買うことができた。むしろ今日は果てしなくついていた日であったのだ。空を見上げれば真っ黒な雲が空を覆っていて、それが果てしなく続いていた。まるでどこにも逃げ道がないような思いにさせられて、なんとも息苦しかった。上を向いて歩いていたせいで右足がバシャンと水溜りに突っ込んだ。靴と靴下と、じんわり冷たい水が染み入る感覚が這い上がってくる。気持ち悪い。最悪だ、小さく呟いた。なんだかどうでもいい気分になって、ざあざあと降りしきる雨の中私は傘を閉じた。制服や髪に雨が侵食していき体が重くなっていく。意外と制服吸水性があるんだなあなんて阿呆らしいことを考え歩いていると、視線の先に私と似たような状況の人が目にとまった。彼はベンチに腰掛け俯きながら、ただひたすらの雨を全身で受け続けていた。黒いシャツの上に黒いスーツを着ていて、革靴は何の知識もない私から見ても高いだろうと想像のつく様なものだった。そして、青緑色の髪は男性ながらも肩ほどまであり、顔付きはやけに整っていた。クラスメイトが芋に思える程。

なにを思ったか、私は不意に彼に近づき、それからつい先ほどまで自らが差していた折り畳み傘を差し出した。きっと彼は傘がないんだろうと思っての行動だった。彼からしたら頭のおかしい女に見えたかもしれない。傘を持っているくせにそこそこ濡れている上、おまけにその傘を他人に渡そうとしているのだから。私が差し出した傘が視界に入ったのか彼は俯かせた顔をゆっくりと上げた。エメラルドのような色合いの瞳が私を見つめた。しかしながら彼の瞳には宝石のような光は放っては居なかった。それから目の下のクマに思わず心の中でぎょっとした。思わずどれくらい寝ていないの、なんて口に出してしまいそうだった。彼はやはり己に傘が差し出されていることが理解できないのか、小さく口を開けたまま私を見上げていた。かという私はこの体勢から引くわけにもいかず、小さく息を一つ飲み込んで、どうぞ使ってくださいと口にした。思っていたよりも小さな声だった。

彼は私の言葉に対し、暫しの沈黙のちに苦々しく表情を作って、それから傘を受け取った。

「最期に、君のような人に会えてよかった」

背筋を撫ぜられるような、心地の良い声であった。彼は受け取った傘を差すこともなく、ゆらりと立ち上がる。閉じられた傘を右手に握りつつ、歩き出したのだ。

「明日は、晴れるといいですね」

私の言葉に振り返ることもなく彼はふらふらと歩いて行った。もしかしたらこの雨音で聞こえなかったのかもしれない、聞こえていたけれど聞こえないふりをしたのかもしれない。彼に、明日は来るのだろうか。不意に頭によぎった考えに、思わず涙が滲み出た。彼がどこへ向かったかはわからないけれど、なにをしに向かったのかは、わかってしまったのだから。
今日は、返ってきたテストは思いの外いい点数だったし、ちゃんと予習をしてきたところだけ当てられたし、購買で絶大な人気のパンのラスト一個を買うことができた。それから、美しくて、哀しい人に、出会った日だった。


それから彼がどうなったのかは私は知らない。その日の夜に近くの踏切事故がニュースで取り上げられていた。亡くなったのは丸藤亮というスーツを着た男性であったらしいが、私はあの人の名前を知らないし、ニュースでは顔写真も出ていなかったのだから、この人があの雨に濡れていた人かは知る術もない。事故現場が中継された時、私の折り畳み傘と同じ柄のものが草むらの転がっているのを見つけてしまったけれども、あれが私の傘であるかもわからないし、私の傘であったとしてもあの人がここに捨てて行ったのかもしれない。そう、あの人がどうなったのかなんて、私にわかりはしないのだ。でもきっと、あの日のことあの人のこと、私は忘れられない。

20161223
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