万丈目#嫌い | ナノ
「ごめんなさい明日香。代わってもらっちゃって
いえ、大丈夫よ。友達のお願いだもの。それに残ってる日直の仕事なんて日誌書くくらいでしょう。平気よ


ったように眉を下げながら、ありがとうと笑った彼女は、申し訳なさそうにおずおずと私へと日誌を差し出した。彼女からの頼み事なんて珍しかった。とても言いづらそうに話し出したものだから一体どんな頼み事をされるのかと身構えてしまったものだが、彼女の小さな口からでてきたのはたかが日直の仕事を代わってほしいだなんて細やかな願い事であった。予想外な頼み事に私は口を開けて素っ頓狂な顔をしていたと思う。何か急ぐ用事でもあるのかしらと世間話程度に話題を振ると、彼女はこれまた困ったように頬を人差し指でなぞりながら視線を私からそらし、準がね…、と呟いた。準、彼女の口から出てきた準と言う名前は、私もよく知っている人物である万丈目君のことだと直ぐに頭で合致した。二人は所謂恋人と言う関係性であった。きっと帰路をともにする約束でもしていたのだろう。日直の仕事で彼を待たせたくないのか、はたまた直ぐにでも会いたいのか、なんとも微笑ましい選択ではないかと思わず他人事ながら頬が緩んでしまった。万丈目くんも彼女のことを溺愛しているのが普段の行動の端々で感じられ、周りの人間がたじたじしてしまうことが時たまあったものだから、二人はお互いを強く思い合っているのだろう。普段はクールぶっているくせに、彼女に対しては全く扱いが異なり、十代がそれについてぶつぶつ文句を言っていたことをふと思い出した。それだけ彼は彼女のことを好きなのだろうな。そんな恋をしたことがない私からしたらとても羨ましい限りだ。


「彼のこととても好きなのね」


そう問いかけながら、自身の席に着き日誌をパラパラと開いた。彼女から返事がないことに不思議に思ったが、さしてきにせず日誌に今日の日付を書き込もうとした瞬間だ。


「そうでもないよ


の底から冷えていくような声色だった。私は思わず指先が止まってしまう。この場にいるのは私と彼女だけなのだから、必然的に今の声は、彼女のもので。今までに聞いたことがない冷たい声であった。そして、私の問いかけに否定をする答え。私の聞き間違いか幻聴かと思いとまどってしまうほど、彼女に似合わない声と答えであった。ゆっくりと彼女の方へと視線を向ければ、声色と同等、いや、それ以上の冷たい瞳。深海の奥底にいるかのような気分にさせる、そんな瞳をしていた。視線の先は私の机の上か、はたまた床か、私の視線と噛み合うことはなかった。一体どういう意味、と問いかけたいと思ったが、同時にそう問いかけるのが怖く思った。しかし私が尋ねる間も無く彼女の口から言葉が零れ落ちてゆく。まるで今までに堪え溜め込んでいたものを吐き出すかのように。


「私、準のことなんか好きじゃないの。何故付き合っているのかって思うでしょう?そうするしか、ないからよ。私にはそれ以外の選択肢は無いの


度は苦しそうに眉根を寄せて、彼女は吐き捨てた。その姿に圧倒されて、私は息を一つ飲み込んだ


私の父はね、万丈目グループの会社で働いているの。だから幼い頃から彼とは交遊があって、今こんな結果になっているわけなんだけれど

からこそ、彼の一存で、私の父の首は簡単に飛ぶのよ


き加減の彼女の瞳にじわりと涙が滲むのが見て取れた。私が理想そのものの恋人だと思っていたあの姿は、彼女が仕方ない選択の結果とばかりに演じていたものだったなんて。私にはどうしようも出来ない根深いその苦しみに、抗うことなく受け入れている彼女のことを思えば、胸が締め付けられる思いになった。しかしながら、万丈目くんのあれだけの分かり切った愛を受けながら、彼女がそのような思いで恋人を演じているというのが信じられなかった。そのまま愛を受け入れ本当に愛してしまえば、丸く収まるのではと安易に捉えてしまうのは、私自身が蚊帳の外の人間だからだろうか

と彼女の向こう側、教室のドアの窓に見知った姿を捉え、私は息を飲んだ。なんてタイミング、一体いつからそこに。きっと彼女が来るのを待ちくたびれ、教室まで迎えに来てしまったのであろう。万丈目くんが扉一枚隔てた向こう側にいたのだ


私は、準のことなんか、初めから好きじゃない」


痛々しく放たれたその言葉は、空気に溶けて消えていった。しかしながらはっきりと扉の向こう側の彼にも届いてしまったであろう。窓から見えるのは、驚愕と困惑で顔を歪ませる万丈目くん。それから彼女は初めから全てをわかっていたかのように、彼の方へと振り返った。


「それでも貴方は私を離しはしないのでしょう?


女の瞳から涙が零れ行く。ガラス越しに万丈目くんが何かを言おうと口を開き、それから力なく唇を噤む姿を、私は黙って見届けるしかなかった。

20160926
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