十代#嫌い | ナノ
パチンパチンとホチキスの音が静かに教室に鳴り響く。プリントを重ねて只管左上をホチキスで留めるという単純作業。楽な作業だろうからまあいいかと先生からのお願いを安易に引き受けてしまったが、実際やってみると単純作業というのはなかなかしんどいところもあるのだと気が付いた。プリントに限りがあり、終わりが見えていることがまだ救いである。業後の教室には当たり前にわたし以外の生徒の姿はなく、多分この階にいるのはわたしだけでは無いかと思うくらいの静寂に包まれていた。時折外から部活の掛け声などが遠く聞こえてきて、まるで自分一人が世界から遠ざけられてしまったかのように錯覚する。しかしながらそれが不快というわけでも、寂しさを感じるわけでもなかった。ただ、不思議な空間に居るように感じたのだ。
徐々に夕焼けに染まりゆく校庭を見つめながら小気味良くホチキスを留めてゆく。夕日が沈む前には作業を終えたいものだと考えていると、静寂な空間に雑音が響いた。バタバタ、ガタン。慌ただしい足音と乱暴に開けられる教室の扉。せっかく静かな空間に耽っていたというのに、侵入者に嫌悪の視線を向けるとそこに居たのは遊城十代で、わたしは思わず、げっ、と零れそうになる声を必死に押し殺した。目があってしまったので無視を貫くことも出来ず、わたしは視線をそらして小さく頭を下げて挨拶をした。
「残ってなにしてんの」
彼の声が教室いっぱいに木霊する。だよね、この状況だったら誰もがそう尋ねるよね。全くの他人では無い、クラスメイトなんだから。わたしはホチキスを留める作業を中断することなく、先生からの頼まれごと、と素っ気なく返した。わたしはこの男が苦手なのだ。いや、寧ろ嫌いである。何故かと尋ねられるとはっきりとは答えられない。わたしにとって彼は得体の知れない存在だから、かもしれない。クラスメイトではあるが今まで最低限の言葉しかかわしたことは無いし、これからもそれ以上関わるつもりも無い。だから彼が忘れ物かなにかしらないけれど、早く用事を済ませて出ていってほしいと心から願いながらホチキスに力をこめた。
バチン、一際大きな音がなったかと思えば、ふと気が付けば彼は私の隣の席に腰掛け、机に片肘で頬杖を付いてこちらを見つめていた。なにやってんだこいつ、衝撃で思わず指先が止まってしまう。
「どうしたんだ?急に止まって」
どうしたもこうしたもそれはこっちのセリフだ。返す言葉も出てこなくて、意味がわからず視線を泳がせていると、彼の指先がホチキスを持つ私の指先に重ねられた。背筋に走る怖気に思わず振り払ってしまえば、音を立てて床に落ちていくホチキス。それをさして気にすることもなく遊城十代は私の指先を再び捕まえる。意味が、わからない。
再び振りほどこうにも先程の出来事で私の力加減を学んだのか、彼の指先に篭る力は強かった。しかしながら痛めつけられる程でもなく、寧ろ逆に優しく包まれているような心地がして、気持ちが悪い。まるで愛でるかのような指先に、血の気が引く思いだ。
それから身体を引かれて、彼の胸板に飛び込む形になる。今のこの状況が理解出来なくて、いや、理解してしまうのが怖くて、わたしは意味がわからなかった。それから彼は私の耳元に唇を寄せて囁いた。ずっと見ていた、と。ずっと?ずっとって?同じ教室で過ごしてきた今までの間ということか?全くもって、気がつかなかった。恐怖か怖気かうまく呼吸が出来なくて、おまけに心臓が煩く鳴り響く。
「知らなかったろ?だってお前、俺の方を見ることさえしなかったもんな」
この鼓動はときめきなんてもんじゃない、逃げろというアラームに等しい。視界に入る彼の口元は愉快に笑っていて。
ほらみろ、遊城十代は不気味で、得体が知れなくて、それから、嫌いだ。
20160827--------------