819 | ナノ
どろどろとしたものが胸の奥底から溢れ出てくる。踏み出してはいけないとわかっていたはずなのに、酒の勢いとは恐ろしいもので、私は昨夜の自分を思い切り殴りに行きたく思った。

まだ眠気の残る瞳をこすり、ゆっくりと深呼吸する。この状況は、夢ではない。現実だ。
そして私はとんでもない過ちを犯してしまったのだ。震える指先で頭を抱え込み、髪の毛をかき上げる。どうすればいいのかと考えれば考えるほど、頭をめぐるのは言い訳ばかりで。今なら雑誌のコラムによく載っている、勢いで浮気してしまった女の気持ちがよくわかる。私の場合は断じて浮気ではない。気は浮ついてないのだ。

ただ判断力が浮ついていた、欠如していたのだ。

結局これも言い訳でしかない。私には数年来の恋人がいた。今まで喧嘩をしたことがなく驚くほど順調にやってきていたはずだった。私は彼が好きであったし、彼も私が好きだった。それは付き合い始めてから変わらない事実であったというのに、どうしてこんな事態を招いてしまったのか。

私は油断していたのだ。高校時代からの友人であるこの男に。わたしの隣で静かに眠るこの男に。私は深くため息を吐きながら、男の寝顔をじいと見つめた。指先は震えていた。
それにしてもこの男は何が目的だったのだろうか。まさか私に惚れている訳がないし(高校時代からそんな素振りや雰囲気は欠片もなかった)、かと言って性欲負けて近くにいた親しい私を引きずりこんだというのも彼らしくない。

わからない、わからない。昨日のアルコールの残りのせいで若干頭がガンガンする。たぶん今私を悩ませているこの状況も、頭痛の原因に加わっているのだろうけれど。
すると布団の中の彼が寝返りをうった。布団がズレて彼の胸板が露出する。現役スポーツ選手のためか、筋肉質なその胸板。そのせいで昨日のことを思い出して、私は改めて青ざめた。
なぜ今この瞬間まで少しでも冷静さを持っていたのか馬鹿らしく思える。こんなことをして恋人にばれたら、別れを告げられないはずがないというのに。とりあえず服を着て、影山と話し合わなければ。

今すぐ逃げ出してしまいたいけれど、ここで逃げてしまったら終わりだ。全部、終わり。急激に慌て出す心音。それから冷や汗。本当に私は、とんでもないことを仕出かした。恋人を裏切ってしまったし、影山という友人関係すら踏み潰した。慌ててベッドから飛び降りようとしたら、腕を引っ張られ背中をシーツの中に再び沈めさせられる。見上げた先には目を細めた影山。どこへ行く、酷く冷たい声だった。どこへって、私はこんな所に居ちゃいけない。ここから抜け出さない方が逆におかしいでしょう。


「影山、昨日のことは、なかったことに、しよう、」


そうしなければ、今までのように過ごすことなんかできない。お願いだから、と瞳をぎゅっと閉じてすがるように悲願した。影山だったら、と思ったけれど現実は残酷だった。それもそうだ、なかったことにしようと彼が簡単に言うならば、こんな事態になることがまずなかっただろう。


「やっとお前に俺を刻み付けることが出来たのに、なかったことなんかに出来るかよ」


そう言った影山は残酷にも笑っていて。背筋がぞくりとした。影山ってこんなんだっけ。私の知ってる影山ってこんなんだっけ。唖然としている私を余所目に、ごく当たり前かのように影山の指先が私の肌の上を這いずり回った。気持ち悪い、気持ち悪い。内腿を厭らしく撫でてくるのを、身を捩って止めてと訴えかけるものの、彼は一切耳を貸さず、挙げ句の果てには雑音を遮るかのように簡単に私の唇を唇で塞いできた。唇を舐められ、僅かに空いた隙間から舌が侵入する。くちゅりくちゅりと粘膜同士がこすり合わさる音が響き渡り、瞳にじわりと涙が滲んだ。まるで愛しいものを愛でるかのようにとびきりの口付けを影山がするものだから。

私は逃げるかのように自らの舌を引き抜いた。助けて、と反射的に零れて行く言葉。それを聞いた影山が不気味に笑う。それから私の首筋に顔を埋め、歯を立てた。鋭い痛みがじんわりと広がってゆく。ああ、これは現実なのだ。


「逃げられると思うなよ」


20190322
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