819 | ナノ
知らない振りをしていた。そう、何もないのだと。私は必死に取り繕ったし考えないようにしていた。考えなければ、私が気にかけることさえもすることはなくなるし、その分私の心の負担も減ってくれた。けれどそれは彼に対して無関心になると同義なわけで。本人からしたら一体どれほどの負担だったのだろうと考えるだけで嫌になる。その負担を私がかけていたわけだから。思い返せば私はとんでもない最低なヤツだ。彼の思いに気がついていながら、それをなかったことにした。それは拒否を示すことよりも最悪なことだ。思いに向き合ってすらいないのだから。ああもう本当に最低、消えてなくなってしまいたい。


「今まで俺がどんな思いだったか、あなたにわかりますか」


ギリリ、と力強く掴まれた腕がジンジンと痛む。私の両手は彼の両手によって壁に縫い付けられ、背中は当たり前に教室のコンクリートに接触している。抵抗なんてものは示さなかった。逃げられるはずがないと分かりきっていたし、これ以上彼を追い詰めるようなこともしたくなかった。知らない振りをし続けていた私は気づいていた。いつまでもこの現状が続くわけがない、コップに注がれた水が表面張力でギリギリで耐えていたのに、それは一滴の水によって簡単に一気に零れ落ちていくようなことになるだろう、と。そんなこと、わかっていた。そしてもう、コップの水は溢れ落ちてしまった。

唇を噛み締めて、涙が零れ落ちるのを必死に堪えた。ごめんなさい、それしか目の前の彼に言うことが出来なくて。彼の髪の毛が私の前髪にかすかに被さった。呼吸が感じられるほどに、近い。


「木兎さんが触れるたび、胸が焼かれるようだった」


ずっと俺も触れたいと思っていた。赤葦の悲痛な声色が、私の鼓膜を揺らす。仕方がなかった。赤葦の思いを受け取れるはずがない、私は木兎の彼女だったのだから。木兎が好きだったから。でもそんなの結局言い訳に過ぎない。私は逃げ出したのだ。大切な後輩の赤葦から、逃げ出したのだ。何であろうとその事実は変わりない。


「好きです」


赤葦のこんな必死な顔、いつもなら指を刺して腹を抱えて笑ってやるのに。ごめん、ごめん。涙が零れ落ちていく。赤葦の顔が近づいてきて、この次の瞬間何が起こるかなんてわかりきっていた。それでも彼を拒否することが出来ないのは、彼に罪悪感を抱いているからだ。唇が優しく触れたかと思いきや、いきなり口内をこじ開けられ荒々しいものへと変化した。まるで押さえつけていた熱が開放されたかのよう。心地よいとはかけ離れた行為。早く終われと心で強く願っていたら一際強く手首を握り締められて、思わず閉じていた瞳を開けた。

赤葦の肩越しに見えたのは教室のドアに手をかけながら驚愕の表情をしている木兎。見開いた私の瞳からまた涙が凍れ落ちた。

神様、もし本当にいるのだったら今すぐこんな最低な私を消してください。

20190523
--------------
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -