819 | ナノ
目が合えば軽い会釈が返ってくる。すれ違えば眉根を潜めながらではあったが挨拶してくれる。部活中の彼を見かけて頑張れと声をかければ、ぶっきらぼうだがありがとうと返してくれる。
クラスメイトの影山とは、だた、毎日それだけのことしかしない関係だったはず。いわゆる友達ってやつだった。
しかも悪く言えばただの知り合いの枠にさえ収まりそうなほど、私たちの距離はそんなに近かったわけではない。

それなのになぜ今私は、彼に手を引かれて歩いているのだろう。男の子と手をつないだのなんて初めてだ。私なんかより幾分か大きい骨ばった手のひらに少しだけ、いや嘘だ、かなり緊張する。しかも相手はあの影山なのだ。
詳しくは知りはしないが、彼は高校生バレー界では天才だと持て囃されているらしく(友人がいつだか言っていた)、それに加え顔も整っている部類である。こんなところ誰かに見られたら勘違いされるのではないかと思っていたら、体育館の入り口あたりでこちらを唖然と見つめている日向くん(影山のバレーの相棒らしく、なぜだかいつの間にか仲良くなった)が見えた。もしかしたら彼なら影山のこの急な奇行の理由を知っているのかもしれない。そう思って日向くんに助けを求めようとしたら。


「ふざけんな」


凛とした一言だった。
逃げるな、と気圧されたようだった。今までに見たことがないほど眉根に皺を寄せた、そう、不快感を顕にした表情を張り付かせた影山が私の唇に指先で触れた。別に口をふさがれたわけでもないのに、彼の指先が私の言葉をのどの奥底に押し込めた。恐ろしい、そんな感情が背筋を駆け抜けたが、彼から逃げられる気もしなかったため私は連れられるままに歩き続けた。
それにしても私が声を出す前に見かけた日向くんを呼ぼうとしたことに影山が気づいたことが驚きだ。まるで私の心が読まれたかのよう。もし私の心が読めるのなら、今私が怯えてるのに気づき解放してくれたらいいのに。
と思っていたら突然影山が振り返り、壁に押しやられる。いや、正確に言えば押しやられたわけではない。影山が私を覗き込んでくる表情にどこか恐怖心を覚え、後ずさりして肩が壁にぶつかったのだ。


「影山、一体どうし」
「俺はどうもしていない」


どうもしていない?この状況がどうもしていないわけあるものか、なんて思ったけれど口に出せる雰囲気ではなかった。戸惑う私を尻目に影山はまた1歩距離を詰めてくる。顔が、体が、近い。


「ただ、足りないと思った」


彼の言葉の真意がわからなくて視線を泳がせていると、影山がずいっとより顔を近寄らせこちらを覗き込んできた。思わず呼吸が詰まり、息を呑んでしまう。足りない?どういうこと?私に理解できることがひとかけらもない。


「他のやつに取られるのは御免だ」


まるで氷のように冷たい声だった。その言葉に衝撃を受けている暇もなく影山がまたもやより一層こちらとの距離を詰めてきた。もはや鼻先がつきそうな距離である。逃げることも出来ず困惑していると彼の眉根の皺が無くなっていることに気がついた。

それに一瞬気を取られてしまったのがいけなかった。その隙を逃さず彼は私の唇を塞いできた。彼の唇で。

初めて感じるその生暖かい温もりに酔いしれるわけにも行かず、彼を引き剥がしにかかるが無理に決まっていた。
鍛えられた彼の体に私の力が敵うはずもない。いつの間にか彼の手のひらが私の頭の後ろに回されより一層唇が重なり合う。無駄にもがいた為苦しくなって唇を少しだけ開いて酸素を求めたが私の口内に入り込んできたのは望んだものじゃあなかった。ずるりと彼の舌が入り込み、口の中を引っ掻き回される。異質なものが自らの体内で動き回るほど不快なことはないと思う。
異様な感覚に背筋に悪寒が走った。早く解放して。そう願ったのも束の間、彼はねっとりと自分の舌を私の舌を絡み付けそれからゆっくり離れていった。ぼんやりする私と対照的に満足そうに妖しい笑みを浮かべた彼は、唾液で塗れた自らの唇を舌なめずりしていた。


「足りない」


知人の枠組みから飛び出たこの男に、食い尽くされる、心の底からそう思わされた。

2018/12/24
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