第二ボタンより愛を込めて

「え、ごめん、だって、だって前に三井くん要らないって、その、言わなかったっけ」

 三井は自らの記憶を掘り起こして、思い当たる節にぶつかる。綺麗にラッピングされたビニールの包装。ピンク色のリボンがついた中には、カラフルなデコレーションがされたチョコレートのカップケーキが入っていた。三井の隣でまるで子供の様に目を輝かせる桜木、いつも通り興味は無さそうだがガッチリと掴んで離さない流川。
 部員分の手に渡ったバレンタインのカップケーキの贈り物はちょうど三井の分だけがなかった。代わりに手渡されたのが、ラッピングこそ同じだが、市販のチョコレートが入ったもの。
 三井は項垂れる。よく覚えている。ちょうど去年のことだ。バスケ部のよしみで三井にもずっと声をかけ続けてくれていたマネージャーは、バレンタインの贈り物を三井にもくれた。去年はごろごろとしたチョコレートの入ったハート型の可愛らしいクッキーだった。しかし、擦れていた三井は確かに言った。要らないと。そして迷惑だとも言った。もちろん本音ではない。
 迷惑なわけがなかった。この通り三井はマネージャーに首っ丈だ。ただ、当時の三井には少し小っ恥ずかしかったのだ。不良のくせにバレンタインにクッキー本命のクッキーをもらって舞い上がるなんてカッコ悪い。三井は過去の自分に強く理解を示しつつも、この世の何よりも深く恨んだ。
 あからさまにショックを受ける三井に、マネージャーは申し訳なさそうに眉を垂らす。カップケーキの入っていた袋は空っぽ。部活に来る前に全て配り切ってしまったのだろう。彩子と晴子、安西先生の分まで配れば三井の分はなかった。

「め、迷惑って言うから、あの、手作り嫌なのかと思って」
「……いや、別に」
「ごめんね、あの、明日とかでもいい?」
「いや、いらね」
「来年は、その、用意するから」

 来年。三井も彼女も三年だ。もちろん進路も違うし、恋人だなんて名前のある関係にはない。今だって卒業間際だと言うのに部活に顔を出してくれているのは、三井が一人は嫌だとわがままを言ったからだ。彼女は推薦ですでに進路が決まっており、仕方がないなあと笑って部に残ってくれた。今はこんな子供の様なわがままが通用するが、それは同じ学校にいるから許されているのだ。この次があるはずがなかった。

「残念だったなミッチー、恨むなら自分の過去の所業を恨むんだな」
「うっせえ」

 言われなくたって恨んでいるとも。三井は癪なのでその言葉を飲み込んだ。ちょうどひと月前の話である。



「はいもしもし」
「もしもし、……三井ですけど」
「え、あ、三井くん? どうしたの?」

 三月十四日。卒業式はすでに終え、三年生は皆新たなステップへと足を進めた。滑り込みで進学が叶った三井も、春からは晴れて大学生である。
 三井は人目を盗む様にして駅前の公衆電話からマネージャーに電話をかけていた。電話番号はありがたいことに部活の連絡網に書いてあった。それをこっそり家から持ち出していた。家族が出なかったことに三井はほっと胸を撫で下ろす。
 電話の向こうの彼女はなぜ三井から電話がかかってきたのかわからないと言った様子で、語尾にはてなマークが浮かんでいた。

「……何してた」
「なに? うーん、テレビ見てた」
「そうか」
「うん。今一人だからね、暇なんだ」

 少し恥ずかしそうにそう答えたマネージャーに、三井は意を決する。
 卒業式の日、三井は結局マネージャーに好きだと言うことはできなかった。赤木や木暮が居たからと言えばそれまでだが、つまり勇気が出なかった。式の最中からずっと泣いていて、友人や部員に囲まれていた彼女に声をかけられなかった。
 三井は受話器を肩口に挟みながら、ポケットから金色に鈍く光るボタンを取り出した。学ランの上から二番目についていたボタン。いわゆる第二ボタンである。三井は告白出来ないと悟った代わりに、自分の学ランからこのボタンだけ外していた。

「渡したいものがあってよ」
「渡したいもの?」
「今から家、行ってもいいか」
「え、いいけど場所わかる? 私駅まで行こうか?」
「いやいい。連絡網に書いてある」

 連絡網を持ってきていたことをうっかり口を滑らせてしまった。そして本当はもうマネージャーの最寄り駅まで来ていた。部活が白熱しすぎて遅くなった時に何度か送ったことがある。駅からの道を真っ直ぐ行ってコンビニの角を右に曲がる。簡単な道のりだったはずだ。詳しくは覚えていないが、あとはもう勘と電柱を頼るしかない。
 バレンタインのお返しを渡すと言う名目で持ってきた、小さな赤い紙袋を揺らしながら道を歩く。三井のでかい図体では、プレゼントであることが傍目から見てもわかるほどに浮いていた。
 ヘアアクセやハンカチなど喜びそうなものを考えたものの、店先に立っているだけで小っ恥ずかしくて買うことができなかった。三井に女兄弟はいないし、女の流行り物もわからない。無難にホワイトデーのお返し用として販売されていた可愛らしい包装のクッキーを選んだ。
 朝晩は冷えるものの、風がなければ昼間はぽかぽかと暖かい。コートは無しで厚手のセーター一枚だけでも良かったかもしれないと、日増しに暖かくなる陽光を見上げた。きっと来週には桜も咲き始める頃だろう。
 目当てのコンビニの角を曲がり、道はいよいよ住宅地に入っていく。ここを曲がった気がすると薄らいだ記憶をひっくり返し、思い当たった公園を過ぎたところを曲がると、玄関の門の前にマネージャーが立っていた。

「あ、三井くん、こっち」
「おお」
「道わかった?」
「なんとなく」

 普段は制服かジャージ姿しか見ない彼女の私服に、三井はドギマギしてしまった。足なんていつも見てるじゃないか。化粧をするタイプでもない。いつも通りなのに、何故だか心臓が早る。
 土曜の昼間とあって、あたりに人通りは少ない。時々自転車で前を通りかかる程度だった。彼女の家のリビングの戸は暖かいからか網戸になっていたが、人の気配はない。
 ここまで来ておいてなんだが、三井の中にここから先のプランはなかった。そもそも家に押しかけずデートに誘えば良かったのではないだろうかと、今更すぎる後悔が湧く。
 中に入るかと聞かれたが、うまく行かなかった時のことを思うと首を横に振ってしまった。わざわざ会いに来たくせに黙り込んだ三井を彼女は不思議そうに見ていた。そして手ぶらではない三井の紙袋に気がついた様で、三井と紙袋を交互に見やる。

「これ」
「……旅行でも行ったの?」
「違えよ。その、ホワイトデー」

 彼女の中で、ホワイトデーの存在は抜け落ちていたのだろう。一瞬固まってから合点が言った様に数回頷いた。彼女の小さな手に紙袋をかける。中を覗き込むと、可愛いとつぶやいて頬を緩めた様子に、三井はようやくホッとした。

「なんか、バレンタインの時ごめんね。あんなものしか用意しなかったのにお返し用意させちゃって」
「去年も、渡してなかったからな」
「去年?」
「あれだ。クッキー」
「ああ、あれか。手作りダメだったのにごめんね」
「食った」
「え?」
「別に手作りが嫌なわけじゃねーよ。美味かった。し、迷惑でもねえ」

 頭の中がうまくまとまらない。言いたいことはたくさんあるはずなのに、あまりに曖昧でうまく形を掴めない。
 こんな話をしにわざわざここまで来たわけではないはずだろう、三井寿。と喝を入れる様に肩を振って姿勢を正す。
 三井は気まずそうに頭をかいてから、左のポケットに手を入れる。小さなボタンは動揺からか、ポケットの中でコロコロと暴れた。意を決した様に強く握ると、ボタンはひんやりと冷たかった。

「その、なんだ」
「え?」
「これも貰ってくれねぇか」

 三井は何をとは言わず、左の拳だけをマネージャーに突き出した。マネージャーは可愛らしく小首を傾げて、紙袋をぶら下げた両手を掬う様に拳の下に出した。
 ボタンを握る手は、もうそれは手汗でびしょ濡れで酷い有様だ。こんな場面で渡すボタンなど、第二ボタン以外ありえない。つまり好きだと言っている様なものである。恋愛話が好きなマネージャーはきっとそこまで鈍くない。
 三井は息を吐き出して指を一本一本解く様に開く。コロンと音もなく手のひらからボタンがこぼれる。マネージャーは、小さな両手の上に転がったボタンに目を丸くした。

「……これ」
「……まあ、なんだ、その」
「第何?」
「第二に決まってんだろ」

 三井はやけになって少し声が大きくなった。マネージャーは自分の手のひらに転がるボタンが第二ボタンだと知ると、目をまん丸にした。

「卒業式の時、三井くんボタン付けてなかったから、もう誰かにあげちゃったのかと思ってた」
「――は?」
「本当はねボタンくださいって、言おうと思ってたんだ」

 マネージャーの口から飛び出したのは、予想外の言葉で今度は三井が目を丸くする番だった。
 マネージャーにあげようとして三井が先に外していたのは第二ボタンだけ。他のボタンは袖口のボタンまで綺麗に全て揃っていた。彼女が声をかけるのをためらったと言うことは、そこに無かった第二ボタンが欲しかったと言う意味だ。
 第二ボタンが欲しい。その言葉の意味は恋愛に疎い三井も知っている。

「オレのボタンなんか誰も貰いに来ねーよ」
「そんなことないよ」
「不良だぞ、学校生活の殆どが」
「でも最後は普通だったでしょ?」
「……お前だけだろ、オレに話しかけ続けたのは」

 みんなが道を避けて歩く中、平然とした顔で挨拶をしてのけたのは彼女だけだった。部活に行かなくなった三井をバスケ部として扱っていたのも、バスケ部に戻ってからも「三井くん」と呼んで、誰よりも復帰を喜んだ。
 気まぐれだろうが思い上がりだろうが、たとえ誰にでもそうすると言われたって三井はそれが嬉しかったのだ。
 彼女は少しだけ照れ臭そうに笑ってから、実はと口火を切った。

「私ね、マネージャーだからって言ってたけどねほんとは三井くんのこと好きだったから声かけてたんだ」
「……そうか」
「でもバスケ部に戻った三井くん見てたら、すごくバスケが楽しそうでなんか好きって言えなくなっちゃって。だから……」
「悪い。そっから先は、オレに言わせてくれねえか」

 マネージャーの言葉を遮り、三井は着ていたコートで手汗を拭う。髪が長かったせいで時折でる前髪をかきあげる癖。少しだけ伸びた髪型指の隙間から流れていく。

「オレもお前が好きだ。来年は本命をくれよ」
「ふふ、うん。いいよ」
「それから」

 彼女になってくれませんか。こんな恥ずかしい言葉を口にしたのは生まれて初めてだ。バスケがしたいと泣いた時もこんなに恥ずかしくはなかった。顔を真っ赤にした三井は声を絞り出す。耳までジンジンと疼くように痛かった。

「……浮気しない?」
「あ? しねーよ」
「大学行ったらさ、きっと私より可愛い人も綺麗なお姉さんもさたくさんいるよ」
「知らねーよ。お前がいいから、ここまで来たんだろ」

 格好がつかない。今更真っ赤になった顔を隠す気にもなれず、くそうと眉根を寄せて目を逸らす三井に、マネージャーは待ちきれないと言った様に抱きついた。
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