キャラメリゼ

「は? 俺その日任務や」
「え?」
「ずっとシフト丸やったで。寝ぼけとるんか?」

 そう言われ、スマホで急いでシフト表を見る。
 ボーダーの防衛任務シフト。水上の列を指でなぞりながら辿ると、たしかに十日後に出勤を示す丸がついていた。下の隊員のシフトは空白。痛恨のミス。確認ミスをしていた。ちなみにこのシフトが出たのはひと月前だ。

「なんかあるん?」
「いや、なんもないけど」
「ないんかい」

 嘘。あるに決まってる。
 十日後の土曜日は三門の花火大会。大通りは交通規制もかかって、そこらじゅう出店まみれ。神社か土手で花火を見るのが定番。
 浴衣を着て水上誘って、屋台を回って花火を見て。そんなことをひと月前からこっそり計画していたのだ。
 訝しむような目線をくれる水上から逃れるように、じゃあねと手を振ってラウンジを後にする。せっかく計画しても、そもそも彼が祭りに行けないのならなんの意味もないではないか。と、自分の確認不足を恨んだ。

 三門市の花火大会と聞けば、三門市民ならきっと胸躍るだろう。
 それだけではない。神社の境内に毎年出店を出しているおばちゃんが売ってるリンゴ飴を持って、花火が始まるまでに告白ができればうまく行くというジンクスがある。
 所詮ジンクスだが、三門市の学生はみんなその噂を知っている。だから、嫌いな人と祭りになんて行かない。祭りに誘ってオーケーがもらえれば、後は告白するだけなのだ。
 そのジンクスを水上が知っているのかは知らない。水上はそういうジンクスなんて信じたりしなさそうだが、私はそんな小さなジンクスに勇気をもらわないと「好き」なんて短い言葉も伝えられないのだ。

 水上と同じクラスになったのは二年生の時。ボーダーで地方組は何人か存在する。その中でも関西弁でまるでコントのように動き回る生駒隊は、よく目立っていた。
 ほらあれが噂の、なんて枕詞がついたりする。初めてボーダーで水上と話した時、聞き慣れない関西弁に少しどきりとしたけれど、別にそれから話す機会があるわけでもなかった。
 二年になったら奇跡的にボーダー隊員が私と彼の二人しかおらず、自然と会話をする回数が増えた。

――任務? ほんならノート取っとくわ
――悪いんやけど、俺午後任務やねん。これ提出しといて
――は? そんなん俺が教えたるわ。特別やで

 最近水上と仲良しだね、と友達に言われた頃には私は水上のことを目で追うようになっていた。ちょっと口は悪いが、彼は面倒見がいい。任務で手一杯になると、フラッと現れてはフォローしてくれる。
 クラスでそれがいつもの流れになると、今度はボーダーでも助けてくれるようになった。水上は頭が良い。本部で任務にあたる際のアドバイスを求めたら、欲しい答えがころんと返ってくる。俺がやりたいからやってんねん、と困った時にいつも助けてくれるのは彼。
 頭はいいのに、慰めようとするといつも言葉数が少なくなって、一人でノリツッコミを始める不器用なところがどうしようもなく好きだ。

 でも聞いての通り、私はいつも助けてくれて変なところで不器用な水上に恋をしたわけだが、水上からしたら私はただの手のかかるポンコツ。
 残念なことに、好きになってもらえる要素が見当たらないのだ。頭が良くなければ、蔵内くんのようにトリガーに詳しいわけでもない。生駒隊の人のように面白い切り返しができるわけでもない。
 自分で言ってて悲しくなるくらい、なんの取り柄もない。努力だけはするが、それが実った試しはない。恵まれてるのは、何人か気が置けない友達がいることくらいだろうか。
 だからほんの少し勇気が欲しかったのだ。ただのクラスメイト、ボーダーの隊員同士というラインを踏み越える勇気。リンゴ飴が私の背を一ミリでも前に押してくれればそれで良かったのだけれど。

「んなもん、確認しねぇお前が悪いだろ」
「影浦くんはそうやって正論を……」
「お前ほんと肝心なところ抜けてるよな」
「返す言葉もございません」

 三年の夏。今年も水上と同じクラスだった。今年はボーダーの隊員が他にもいるが、高校最後水上と過ごせることが飛び上がるくらい嬉しかった。
 ちなみに花火大会を明日に控えた本日。意味もなくボーダーにやってきたものの、水上の姿は見えない。近くにいた影浦隊の席に押しかけて暇を潰す。
 そういえば水上くん誘えたの? と聞いてくれた北添くんにことの顛末を話せば、影浦くんから憐れみの目が飛んできた。

「影浦くんお祭り行く?」
「わざわざ人の多いとこなんざ行くかよ。任務」
「みんな花火大会行きたがるから、シフトなかなか変われないんだよね」
「いいもん、友達と行くし」

 きっと告白するなというお告げだ。今ではないのだ。肘をついても口から出てくるのはため息ばかり。
 だが冷静に考えたら、水上があのジンクスを知っていて断った可能性もある。それなら、直接振られずに済んだからよかったのかもしれない。
 頭のいい人は、頭のレベルが違う人と話をすると疲れてしまうだなんて話も聞く。きっとずっと水上の隣に居られるような女の子は、私とは頭の出来も違うのだろう。
 考えても悲しくなるばかりだな。ネガティブな感情全てを喉の奥に流し込むように、手元のオレンジジュースをぐいと飲み干した。



「すごく、可愛い」
「歩き方気をつけないとすぐ気崩れするからね。トイレも気をつけなさいよ」
「ありがとう、お母さん」
「がんばってね」

 珍しく化粧までばっちりした娘に、少しニヤつきながらエールを送る母。完全に勘違いされている。というか、水上が当日任務だと知るまでの私は、完全にそのために用意してきたのだから間違ってはいないのだが。
 本日快晴。遠くからパンパンと花火大会の開催を告げる火薬の音がする。玄関から出ると、べったりと張り付くような重たい空気にすぐにうなじに汗が伝った。
 紺地に薄い空色の花。帯は真っ白。母は少し大人っぽすぎない? 可愛いのにしたら? と言っていたが、見た目だけでも大人っぽく見えればいいと思って買った。
 難しいヘアアレンジはできないので、クリップで髪の毛をまとめて前髪と顔まわりだけくるりと巻いた。練習通りできたが、見せる相手がいなくなるのは想定外だった。
 駅前で友達と合流すると、いつもより大人っぽくて可愛いねと欲しかった言葉をくれた。彼女たちは、水上を誘えなかったことを知っている。きっと気を使われたのだと思うと余計に気分は沈んだ。

「暗くなるまで屋台でいいよね?」
「神社と土手どっちで見る?」
「神社カップルやばそう」
「間違いないね」

 例のりんご飴屋さんは、毎年決まって神社の境内の同じ場所に屋台を出す。花火も見えるせいで、神社は人、特にカップルでごった返しているのだ。
 祭りは三門市全体を巻き込んだ大きなものだが、一応神社のお祭りということになっている。屋台は境内、参道、それから参道を出て曲がった大通りへと屋台が続いているのだ。
 大通りからまっすぐに進む。参道を通り抜けて境内の手前まで来ると、友達が鈴カステラの屋台を指さした。

「並んできていい?」
「あそこ美味しいよね」
「みんな食べる? 私一人で並ぶから他の見てきていいよ」
「なら私たこ焼き買ってくるよ」
「じゃあ綿飴とか買ってこようかな?」

 電波が入りづらいので、一旦解散して境内の階段の前で待ち合わせになった。
 たこ焼き屋を探して境内の中をフラフラと歩き回る。予想通り境内の中はカップルが多い。人と人の隙間を縫うように歩いていると、ちょうど境内にあるりんご飴やさんが目に入った。
 ジンクスもあるせいか、ものすごい行列だ。何本店先に出してもあっという間に売れていく。少し緊張した男の子に、女の子同士で並んでいる人もいる。それからよそよそしい男女ペア。それから。

「え……」

 思わず目を疑う。りんご飴の大行列の中に見知った顔を見つけたからだ。行列からひょろりと頭ひとつ分でかい。少しむすっとした顔で、手元のスマホに集中しているオレンジ頭。
 水上だ。そうわかった瞬間、弾かれたようにその場を走り出す。根拠もなしに見つかってはダメだと思った。下駄が地面に擦れるのも気にせず、待ち合わせの階段下まで走ると、ちょうど階段の下にたこ焼き屋があった。列に並びながら息を整える。汗が止まらない。息が整っても、心臓はいつまで経ってもドキドキと大きく動いたままだ。

――あんまり甘いもん好きちゃうねん。頭疲れた時くらいしか食わん。
 そう言っていた水上の言葉を思い出す。甘いものが好きじゃない水上が、ピンポイントであのリンゴ飴の屋台に並ぶはずがない。ならば結論はひとつ。水上はきっとあそこのりんご飴の持って告白するジンクスを知っていたのだ。
 シフトが入っていたはずの水上がなぜここにいるのかまではわからないが、今日が花火大会と知っていてリンゴ雨の列に並んでいるということは、何かあるのかと聞いてきたあれは、つまりはぐらかされたということになる。
 自分の列が来て、たこ焼きを三つ購入する。手が冷えて震えてうまく小銭が掴めない。仕方なしに財布の中に入っていた一万円札を出すも、返ってきたお釣りを屋台の下に転がしてしまった。拾うことさえ煩わしくて、そのまま平気ですと頭を下げて階段下に向かった。
 様子のおかしい私を見た友人たちにりんご飴の屋台で水上を見たと言うと、少しびっくりして二人で顔を見合わせていたが、手を握ってくれた。
 周囲は薄暗く、花火への期待で周囲は浮き足立っている。今にも誰かが叫び出したら、それに釣られてしまいそうなくらい少しだけピリピリした空気だ。
 来なければよかった。そんな周囲の空気とは裏腹に、私の気分は最高潮に沈んでいた。きっと今日は空よりも地面を見ていることの方が長くなるだろう。
 りんご飴を買ってでも告白したい相手が水上にいただなんて知らなかった。話しかければ話してくれるが、自分から積極的にクラスの女子と話をするタイプではない。だからてっきり私が一番仲が良いかと思っていた。
 別に色気のある話をする機会もなし、私に好きな人がいるだなんて水上は言わないだろう。それも悲しくて、失恋したショックで今にも泣いてしまいそうだった。
 どんな子なんだろうか。ボーダーの人だろうか。本部オペレーターなので、対戦ブースに顔出しする機会はあまりない。最近は女子隊員も増えてきた。私の知らないところで恋を育む水上がいたのだ。私が何も知らなかっただけで。
 もし水上の告白が成功したら、私と水上はもう話すことはできないのだろうか。二人でファミレスでテスト勉強したり、ボーダーで作戦会議をすることも。
 もし同じ高校の子だったら、ノートを取ったりする役目も私ではなくなるのだろうか。進学校の子だったら、一体どんな話をするんだろう。
 小学生の時に好きだった足の早い男の子と、クラスの女の子が付き合った時も、中学の時に好きだった先輩が美人の同級生と付き合った時も、こんなに悲しくなかったのに。
 じわじわと滲む視界を壊さないように土手を歩く。すると、狙ったかのようにドンと一発目の花火が打ち上がった。上を見るとぽろりと大粒の涙が溢れた。
 りんご飴を持って、花火が打ち上がる前に告白。水上の告白は成功したのだろうか。

 友達が持ってきてくれたシートに座って花火を見上げる。時々つまむ鈴カステラはまるで味がしなかった。たこ焼きのソース味も今日ばかりは薄い。
 せっかく花火大会に来たのに変な空気にしてしまった。隣で手を繋ぎながら綺麗だねと声をかけてくれる二人にも申し訳なさでいっぱいだった。
 しばらくすると、土手の上の方で唐揚げを売りにやってきた声がした。どうやらどこかの惣菜屋が弁当屋のように移動販売を始めたらしい。
 隣に座っていた二人は、買ってくるねと財布を持って土手を登っていった。ぽつんと一人残さると途端に寂しさが込み上げてきた。
 結構水上のこと本気で好きだったんだな。そう思いながら空を見上げていると、誰かが隣に座った。友達二人は今土手を駆け上がって行ったばかりだ。帰ってくるのには早すぎる。そう思って隣を見れば、そこには見知ったオレンジ頭がいた。

「……え?」
「よ」
「み、ずがみ?」
「なんやねん幽霊見たような顔すんな」

 シートの上に何故か水上がいた。
 任務はどうしたの? さっきりんご飴買ってた? ジンクス走ってるの? 誰かに、告白をするの? 聞きたいことがたくさん浮かぶが全てが相殺されるように消えていく。

「迅さんて、マジでやばいな」
「じ、迅さん?」
「いやここにおるって言うから」
「……誰が?」
「お前以外誰がおるねん」
「て、いうか、任務は」
「なんか知らんけど王子が変わってくれた」

 そういうと、水上はおもむろにりんご飴をこちらに差し出した。さっきの屋台のりんご飴だ。縛ってあるモールがピンク色なのはあそこだけ。三門市内の人なら誰でも知ってる。

「……ジンクス、知ってたの?」
「いや知らん。さっき本部でゾエから聞いた」
「……告白したい人いるの?」
「そ。でも間に合わんかったわ」…
「そっか」
 
 会話の隙間を縫うように、ドンと花火が上がる。どうやら水上は告白できなかったらしい。それに少しホッとしている自分がいてまた嫌気がさす。振られた時の辛さを今しがた体験したばかりだと言うのに。

「ら、来年できるといいね」
「は? せえへんわそんなもん」
「……なんで」
「別に花火始まってからでも問題ないやろ。俺はそんなメルヘンなこともスピリチュアルなことも信じへん」
「じゃあ、何で買ったのよりんご飴」

 すると、りんご飴の袋が解かれた。ベタベタの袋を乱雑にポケットに押し込んだ水上は、りんご飴を私の口へと運ぶ。運ぶなんてものじゃない。ぴたりと真っ赤なりんご飴が私の唇に触れた。暑さのせいか表面は少し溶けてベタベタする。ほんのりと甘い匂いと独特の甘味がした。

「な、なに」
「こう言うの好きやろ? 自分」
「――え?」
「食べてええよ。そのかわり食べ終わったら俺の話聞いてくれ」

 花火もう始まってるけど、なんかうまく行く気するわ。そう言って笑う水上の顔が花火で照らされている。いつも余裕綽々で眉だけ持ち上げる水上の癖。こんな時までそんな表情をするのか水上は。
 前歯で軽くりんご飴を齧る。パリパリと表面の飴が割れて、ほんの少しリンゴが削れた。味は全くしなかった。
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