同期のカクくんはいつも優しい


(現パロ)

 
 ごめんなさい最下位です、と朝のニュース番組で見事に最下位に輝いた私の星座。まぁ、私は良いことだけ信じる派の人間なんで。と履きなれたヒールを履いて家を出たら、会社の最寄駅の段差に躓いてヒールが取れた。高さの違うチグハグのヒールを履きながら、なんとも言えない顔で出勤した私を見つけた上司は、流石に靴買ってきて良いぞとマルイの開店時間に私を見送った。
 新しく買ったヒールは昼過ぎには靴擦れを起こし、履いていたストッキングはつま先が丸出しに。電話を出たらクレーマーだし、クレーマー対応が終わった頃にはとても昼休憩に入れる時間は残っておらず、デスクのストックのカロリーメイト一つを口に放り込んだ。午後もトラブル対応に後輩のミスの尻拭いエトセトラ。
 フウと一息ついた頃には、一つ下の後輩のサトウくんは「じゃ、おれ今日合コンなんすよ」なんて鼻の下を伸ばして退勤していった。とっ散らかった私のデスクと、綺麗に片付いた彼のデスクを見てなんだか少し惨めな気持ちになってしまった。
 全部終わった頃にはなんかもう二十時すぎてるし、お腹空いたし。デスクを一通り片付けていると、端っこに寄せていたコーヒーの缶が倒れた。ガッデム。
 もう帰ろう。帰りに近所の美味しくて大きい唐揚げを買って、明日休みだしビール飲もう。嗚呼、もう! なんて今にも叫び出しそうな気持ちを必死に抑えて、ティッシュでコーヒーを拭き取っていると、部署の入り口の方で見知った顔が私を手招きしていた。
 カクくん。これがびっくりするくらい仕事が出来るやつで同期。私たちの中で一番の出世頭だ。スパンダム部長のところに引き抜かれてから何の仕事をしているのかよくわからないけれど、こうやって時々私の部署に顔出しては「飲み行くぞ」なんて声を掛けてくれる。なんでも付き合ってくれる唯一無二のいい奴だ。今はそんな気分にならないけれど。
 おおい、と私を呼びつけたカクくんは「それ」なんてジジイみたいな声を出してぽいと何かをこちらに投げてよこした。初めて会った時はびっくりしたが、これがからの通常運転である。カチャンと手のひらの中で音を立てたのは車のキー。飾り気のない青いキータグにはテプラで弊社の名前と番号が書かれている。いつもカクくんが乗り回している営業車のキーだ。

「いつものとこに止めてある。車冷やしておいてくれんか」
「……私もう帰りたいんだけど」
「つれない奴じゃのう。ええとこ連れてってやる」
「今日はいい」
「聞いたぞ。飯食ってないって」
「誰から」
「そりゃ、秘密じゃ」
「……営業車勝手に借りたら怒られるよ」
「週明け客先直行なんじゃ、多少使ってもばれん」

 ちゃあんと家まで送ると言ったカクくんは、そのまま立ち尽くす私の答えを聞かないまま自分のフロアに戻っていった。カクくんのフロアはセキュリティ云々で、専用の社員パスがないと入れない仕様になっている。週明けに直行で客先に直行するなら私がこの鍵を持って帰ることは出来ない。これでは大人しく営業車を冷やすしかないではないか。
 荷物をまとめてかちゃかちゃと鍵を鳴らしながらカクくんのよく乗っている営業車に向かう。エンジンを掛けて、ナビを弄ってテレビをつける。胸で鞄を抱えながら人気の芸人たちの番組を見るが、今日の出来事がノイズのように邪魔をして上手く頭に入ってこなかった。
 来週の仕事もうまくいく気がしない。こういう負のループは悲しいかな意外と続くのだ。波があるのは仕方がないかとリクライニングを倒せば、ちょうど運転席の扉が開いた。

「うわ、全然クーラー効いてない。アッツ」
「……早すぎるからでしょ」
「午後ティーのミルク飲む人おるか」
「……はぁい」
「好きじゃなァ、コレ」
「高校生の時から飲んでる」
「ワシよりよっぽど付き合い長いのぅ」

 カクくんは汗をかいたミルクティのペットボトルを助手席のドリンクホルダーに挿し、シートベルトを絞める。カーナビで目的地も設定せずに、芸人のトークを見てわははと笑った。

「さーて行くか」
「どこに」
「外回りで汗かきすぎてしょっぱいもんが食いたい。ラーメン食わんか」
「何ラー」
「聞くか?」
「一応」
「煮干し
「好きだね、カクくん」
「お前も好きじゃろ」
「うん、好き」

 車でしか行けないいつものところに行こうとカクくんはハンドルを握る。車は郊外へ向かう国道へと乗った。週末ということもあってか、道路は比較的混んでいた。あまり渋滞は好きではないけれど、スマホで音楽を流しながらカクくんと二人で歌っていれば比較的楽しい。あまり歌は得意ではないけれど、カクくんの前なら下手くそでもいっかと思えてしまう。
 そういえば前新宿のラーメンに並んでいたら見事に終電を逃し、二人で朝までカラオケに行ったっけ。最後の方なんてカクくんは眠気で呂律がまわっていなくて、二人してソファでだらしなく眠った。コンビニで買った拭き取りクレンジングでスッピンになった私見て、本当に眉毛無いんじゃなと言われたことは忘れない。彼氏の前では絶対にスッピンを見せたくないという確固たる意志を持ち、風呂上がりの湿気まみれの洗面所で必死にノーメイク風の化粧を仕込んでいるというのに。まぁ、そうやって頑張って努めていた彼氏とも喧嘩ばかりで別れてしまったけど。
 彼の前で私は気取る必要がない。どんな私でもカクくんはいつも通りに接してくれる。彼氏と一緒にいる時よりも、よっぽどカクくんといる時の方が私らしくいられた。同期がいた方が心強いという言葉は、カクくんとの関係性を指すのだろう。
 国道を下り、カクくんとよく二人で行く人気のラーメン屋の駐車場の残り一台のところに滑り込む。時間が遅いが店の前では小さな行列ができている。メニューは見るまでもない。いつも通りのやつ、と頭で唱えながらカバンの中から財布を探している間に券売機にはランプが灯っていた。

「早う押せ」
「え、自分で払うからいいよ」
「後ろつかえてる」
「わ、え、後で返すから」
「はいはい」

 絶対この人わざと万券入れたなと睨んでも丸い目はにこりと微笑むだけだった。順番抜かされてしまうぞと私を急かし、金も受け取らずに背を押した。

「味濃いめメンマ薬味マシマシ」
「私のメンマもあげるよ」
「相変わらずメンマ嫌いじゃのう」
「カクくんたくさん食べられるんだからいいじゃん」
「押し付けておいてよく言うわ」
「じゃあチャーシューもらってあげるよ」
「最悪のトレードじゃ」

 追加で大盛りの券を買ったカクくんは、待ちの椅子に私だけを座らせてその前に立った。後から来た客に座らないのでどうぞとスマートに席を譲ってしまえるこの男は、まぁ女にモテる。ちょっと変な鼻だけど、それ以外の加点が多すぎる。実は狙っている後輩が多い男ランキングナンバーワンだ。
 ルッチさんより取っ付きにくくないし、ジャブラさんよりも物腰柔らかい。変な喋り方だけど人懐こいし、あの部署で話しかけやすい人と言ったら七割くらいの人間がカクくんを選びそうだ。それなのにこんな冴えない同期に構ってくれる彼は奇特な存在である。話してみると、この人モテなさそうだなと思うところがたくさんあるのはさておき。
 順番が来ると、カクくんの前にはいつもどおり私が頼んだものよりもひとまわりふたまわり大きなラーメン丼が現れる。未だに男子高校生の胃袋である。今年二十五なのに。
 大きな口でラーメンを頬張ってリスみたいになってるカクくんを盗み見すると、金取るぞとデコピンが返ってきた。そういったくせに結局車に戻ってもお金は受け取ってもらえず、カクくんはまた国道を下った。
 ええとこ連れて行くと言っただろうと言ったカクくんは、途中で国道を抜けると暗い住宅地を進む。辿り着いたのは、真っ暗な住宅地の中で煌々と光を放つドラッグストアだった。都市型のビルの一階だなんてものではない。郊外型の莫大な駐車場を備えた超広いところである。店内に入ると、キャッチーなBGMが流れていた。

「夜の田舎のドラスト好きなんじゃワシ」
「……カクくんそういうとこあるよね」
「聞き捨てならん。どういう意味じゃ」
「モテなさそう」
「でもお前はこういうの好きじゃろ?」
「ふふ、うん、大好き」

 女を慰めるために、こんな郊外まで車を走らせて、しかもたどり着いた先がでっかいドラスト。本人は至って真面目なのだから笑いが止まらない。
 走れてしまうくらい広い店内を回る。入り口にはシーズン物の日焼け止めや制汗剤が並び、レジ横には大きな花火が置かれていた。謎のお饅頭に謎の蒸しパン。無駄に残っている都内では完売の人気コスメ。お酒も飲んでないのになんだか無性に楽しい。今度線香花火しようよと花火片手に彼の元に戻れば、彼は賛成と言ってカゴに入れた。

「ワシの奢りじゃ。なんでも好きなモン入れろ」
「カクくんの好きなごっつ盛りあるよ」
「高校生の時死ぬほど食ったのう」
「わ、もう都内じゃ見ない限定ドリンクある」
「アツい、入れろ」

 するとふとアルコールコーナーに目が入った。明日休みだし、本当だったらビール飲む予定だったんだよなと覗くといつもストックしてあるビールが叩き売りされていた。田舎名物。しめたとダンボールのビールを掴めば、遠くの方でカクくんが腹を抱えて笑っていた。

「なんでも持ってきていいとは言ったがお前」

 わはは、と独特のBGMが流れる店内にカクくんの笑い声が響き渡った。夜遅く店内に人は少ないが、眉毛のないスウェット姿のカップルは不審そうにスーツ姿でビールケースを抱える私と笑い転げるカクくんを眺めていた。

「ぶ、っ、ふ、箱で持ってくるアホがいるか」
「だったカクくんも飲むでしょ」
「あー、やばい涙出てきた。飲むがわし運転じゃ」
「じゃ、コーラ買お」

 コーラにポテチ。ピリ辛チーカマにあたりめ。ラーメンを食べると食欲の箍が外れる現象にはそろそろ名前がついても良い頃だろう。仕上げにとカクくんの大好きなまるごとバナナを二つカゴに入れた。
 愛想のない髭面の店員のやる気のない金額読み上げを聞きながら、今度こそ財布を出そうとするカクくんを阻止しようと手を伸ばすが、彼の自称股下八メートルの長い足に阻まれた。私とカクくんのやりとりなんて目にも入らないと言った様子の店員は、あっという間に決済を済ませてしまった。ビニール袋は指先を絡めとるように奪われてしまう。
 車に戻ると、映画でも見るか? と真っ先にポテチの袋を開けた彼に思わず聞いてしまった。

「あのさ……」
「ん?」
「なんで、そんなに優しいの」

 と。入社当時からずっと疑問に思っていた。彼は優しい。でも当の私に優しくされる理由などない。カクくんに大切に思ってもらえるほど私はたいそうな人間ではなかった。
 今日みたいに慰めないで気分転換をしてくれるカクくんの存在はありがたいけれど、私はカクくんが落ち込んでいる時を感知できない。一方的なのだ。私は入社してから、カクくんに出会ってから一度もカクくんに何一つ返せていない。この関係は歪だ。私がカクくんに依存しているだけの、少し歪んだ関係なのだ。ずっと続けばいいと思うけれど、続けば続くほどカクくんがいなくなってしまった時が恐ろしく思える。
 カクくんは私の質問になんと答えるべきかと迷ったように右に目線を泳がせると、ふむと唸った。

「優しいかのう、ワシは」
「優しいよ」
「お前さんにだけじゃ」
「なにそれ」
「ワシら結構相性いいと思うんじゃが」

 どうじゃ、とカクくんは少し真面目な顔をして言った。そんな顔をしてそんなセリフを言ったら、私みたいな面倒臭い女に勘違いされてしまうのに。
 時々カクくんはこうやって私を試すようなことを言う。カクくんと私。ただの会社の同期。この太いようで希薄な関係はきっと距離を見誤れば一瞬で途絶えてしまうのだろう。
 ずっとカクくんのそばに居たい。彼女になれなくてもカクくんと長く居られるならそっちの方がいい。賢いカクくんの言葉の意図はわからないけれど、選択肢は間違ってはいけないことだけは哀れな私にもそれだけはわかった。

「……うん、最高の同期だよ」
「ほんまじゃ。お前も早う出世せえよ」
「私には無理かなぁ」
「志低いのう」

 今日の答えは間違っていなかっただろうか。暗がりで車内灯をつければ、彼はいつも通り呑気に笑っていて少しだけホッとする。
 ポンコツで哀れな私に情けをかけてくれる優しいカクくん。願わくば、この吹いたら飛ぶ砂の城のような関係がいつまでも続きますようにと信じもしない神に祈るのであった。



「カクくんありがとね」
「……眠いか?」
「いつも優しい、助けてもらってばっかり」

 本当にそう思っているのか。と少し低い声のカクのそんな質問に女は言葉を返さなかった。彼女のリクエストでかかっていたアイドルのラジオを切れば、スウスウと寝息が聞こえてきた。赤信号で止まったのをいいことに、カクは左手を伸ばす。頬を摘み、鼻を摘んでみるが反応はなく女は心地良さそうだ。今なら起きないだろうかと顔を近づけてやめた。

「……アホな女じゃ」

 優しいわけがない。見返りもなしに自分のような人間が人を助けるわけがない。入社式で初めて見かけた時から、少し抜けているが底抜けに優しく、不器用なほど真面目でどうしようもない彼女を独り占めしたくて止まないのだ。カクにとって、善の象徴というものはいくつか存在するが、間違いなくその一つがこの女である。
 新入社員歓迎会の時だ。あまりに不毛な時間に耐えきれず、酔い潰れたふりをして座敷の奥でふて寝していたカクを甲斐甲斐しく介抱したのがこの女。心の底から心配しているのであろう彼女を前に、本当は酔ってなどいないと言い出すタイミングを見失った。
 先輩に仕事を押し付けられようが、理不尽に後輩の責任を被ろうが、意味不明なクレーマーにぶつかろうが、抱え込んでは時々こうやって爆発する。違う部署に配属されてからはこうやってたまにしか出掛けたりはしないが、同じ部署にいた一年目の頃は、カクと仲が良い社員といえば必ず彼女の名前があがった。そうなるようにそばにいた。
 カクだって何も手をこまねいているわけではない。それに近いことを先ほどのように何度も口に出してはいるものの、絶望的にカクのことを――彼女の言葉を借りるならば「最高の同期」と思っている彼女には大袈裟だなと流されるばかりで、本気だと思ってもらえない。それが彼女の一番近くにいられる秘訣でもあるのだが、時々やるせなくなる。
 カクが総務のこの女を狙っているなんて、きっとこの隣で眠りこける女以外には周知のことである。まだ付き合っていなかったのか? といった別の同期もいた。彼女がカクに囲われていると気づいた頃には、引き返そうったって後はもう落ちるしかないのだけれど。
 ゆっくりと助手席の座席を倒してから眠っている彼女が起きないように、踏み込むアクセルに集中する。信号は青。帰り道の国道は比較的空いている。彼女のアパートまでは安全運転であと一時間と言ったところか。彼女が自らの手の中に落ちるまでの算段を考えながら、カクは彼女が口ずさんでいた覚えたての流行りのバラードを口ずさんだ。
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