可愛さ余って愛しさ百倍

 昔からドジ。本当にドジ。ドジを通り越して友人と大喧嘩をしたこともある。わざとでしょと責められるのは、慣れてしまった。そうだとしても、このミスは私の十九年の人生の中でもランクインしてしまうくらい最低なミスだ。

「先輩って、マジでそう言うとこあるよなあ」

 声は戯けたように笑ってはいるけれど、顔はどうだろう。今は怖くて彼の顔が見られない。よりによって、このタイミングでやってしまった馬鹿みたい。あひゃひゃと腹を抱えながら笑っているのは太刀川さんだけだ。
 十一月の中頃に出た十二月のシフト表。私の欄には二十五日の欄に日勤の文字が書かれた。二十四日はシフト的に抜けづらいから二十五日に合わせて休みを取ろう。私が出水くんに提案したくせに、提出の時に一つ丸をずらして提出してしまったらしい。二十六日のなんでもない日がオフになっていた。提出したシフト表にはバッチリ二十六日に休み希望が書かれていた。
 二十五日に休みを代わってくれる人なんかいるわけがない。本部オペレーターの大学生組みは卒論の実験でてんてこ舞いらしい。同じ時期に入ったヨッコちゃんも彼氏と過ごすと言っていた。休みを取った後輩だってみんな家族と過ごす、友達と過ごすと各々楽しそうにクリスマスの予定を語っていた。
 全体シフトを何度見返しても人が一人抜けても構わないといったシフトではない。ボーダーはそう、いつでも人手不足なのだ。
 隣でシフトを覗き込んでいた太刀川さんは「こりゃ無理だな」と追い討ちをかけてくる。柚宇ちゃんは二十五日から北海道に帰省するらしい。代わってあげられなくてごめんねと少ししょぼんとする彼女に罪悪感が募った。
 クリスマスにはテーマパークに行こうね。と発売日にチケットを取ったのも水の泡。激戦が予想されるからと発売日に二人で必死にネットを繋げて取ったに。それも無駄になってしまった。いや、私が無駄にしたのだ。

「あ、あの……、出水くん、チケット代は私が出すから」
「いいよ別に」
「……ご、ごめん」
「スマホ貸して」

 そう言うと出水くんは私のスマホに表示されたチケットの画面をいじって席を立った。追いかけようとしたけれど、今追いかけてなんで謝れば良いのかもわからず、椅子に縫い付けられたように腰が上がらなかった。
 もしかしなくても、これは喧嘩? 出水くんが怒鳴ったり表立って怒ったり悲しんだりしない分、やってしまったと言う気持ちがむくむくと風船のように膨れ上がる。
 いっそのこと、お前なんか知らないと怒ってくれた方がマシだとさえ思えた。極め付けに、太刀川さんに「遠征前に喧嘩してやんの」と追撃をもらって見事綺麗に撃沈した。
 太刀川さんの言う通り、遠征は来週からから約一月。つまり彼には会えない。



 二十五日。三門市はとても、とてつもなく平和だった。遠征部隊も全員無傷で帰還したそうだ。ちなみにまだ出水くんに会ってはいない。帰ってきてからも色々あったらしく、しばらく出水くんは本部に来ていないからだ。遠征部隊は帰還後しばらくは通常任務から除外される。そりゃそうだ。
 メッセージを送ればいいのに、時間が空きすぎてなんて返していいのかわからないのだ。遠征中はもちろんスマホは使えないし、互いに元々筆まめなタイプでもない。
 私と彼のトークラインは業務報告のような内容が多く、覗き見した友人に本当に彼氏? と驚かれるぐらいだ。普段から余計なことはメッセージをしない。ボーダーで会えるからと直接話してしまうことが多い。
 今したのはそう、全部彼にメッセージすら送れない臆病な自分への言い訳だ。

「今日暇だね」
「ね。一応ゲート誘発がないとわかってても一応警戒するよね。年の瀬だし」

 今日は珍しく一つもゲートが開かなかった。もしかしたら、近界にもクリスマスという文化があるのかもしれない。家族や大切な人と温かい料理を囲み、その日くらいはどこか遠い土地に生きる人たちの平和を祈っているのかもしれない。
 つまり暇だ。オペレーターの手が空いて、みんな雑談に花が咲くほどには。これなら私なんていなくても良かったではないか。半分も頭に入ってこない雑談に適当に愛想笑いを浮かべながら、自分の失態を呪った。
 今日も彼はボーダーには来ていないようだ。個人戦が好きな彼は休みの日でもよく本部に来ていることが多いし、彼と行動をよく共にしている米屋くんはさっき近くの廊下ですれ違った。
 出水くんは一体なにをしているんだろうか。家族とご飯? 友達とパーティー? 太刀川隊は柚宇ちゃんが帰省してしまうからと早めに忘年会をしたのを太刀川さん経由で聞いた。
 出水くんが実は結構モテることを私は知っている。プールに行こうだとか、夏祭りに行こうだとか。文化祭で女の子に囲まれていた出水くんのナチュラルさと言ったら。あ、この人は普段から周りに女の子がいるんだと確信してしまった。
 他の女の子と会っていたらどうしよう。そんなマイナスで彼を信用してない最低な考えしか浮かばない自分に落ち込んで、仮にそうだとしても怒る権利すらない自分にさらに気持ちは落ちる。
 数分に一度吐き出されるため息に、私の事情を察しているオペレーターたちは言葉もなく苦笑い。とてもクリスマスとは思えない雰囲気になってしまった。
 手元のカフェラテが底を尽きた頃。ようやく定時の十七時を迎えた。これから夜勤務の人と交代である。ロッカールームで制服を脱いで、私服に着替える。暖房がよく聞いた本部内でマフラーを巻くと暑くて仕方がないから手に持って出口を目指す。
 出水くんに連絡してみようかな。スタンプひとつくらいだったら送れるだろうかと、歩きながらトーク画面を睨めっこ。しかし出口の前についても何一つ送れなかった。

「先輩」

 ふと聞き覚えのある声に弾かれたように顔を上げる。そこには鼻の頭を真っ赤にした出水くんがいた。

「い、ずみくん」
「さみーよ外」
「ど、どっか行ってたの?」
「別に。家から来た」
「……そっか、あの、お帰り」
「ん、ただいま」

 出水くんは私服だった。少し気怠げ。もしかして迎えに来てくれた? しかし顔に笑顔はなく、黙々とマフラーや防寒具を外していく。別に私の帰りを待っていたわけでもなさそうだ。会いに来てくれただなんて甘っちょろい考えはあっという間に粉々になって飛び散る。
 彼が会いたいと思ってくれていたら、仲直りできる勇気が湧いてくる気がした。酷い話である。他力本願のようなことでしか勇気が湧いてこないだなんて。会話の止んだ二人の沈黙は、まるで息をするのも許さないと言ったように重たかった。

「……ごめん、わたし帰るね」
「米屋に明日シフト変わってもらう代わりに今から個人戦やんの」
「……え?」
「先輩明日予定ないでしょ。送るから待ってて」
「な、ないけど、でも」

 すると彼は少しだけ体を屈めて私に目線を合わせる。猫みたいにツンと釣り上がった目で掬い上げるように私を見た。

「一緒に帰りてえから言ってんの。ダメ?」

 初めて会った時、もっと小さかった出水くん。散々可愛がった彼は、私が自分のどう言う表情を憎からず思っているのか分かりきっているようだった。

「ま、待ってます」
「んで、明日こそディズニー行こうな」
「……え、だって、え、チケットは……!?」
「は? っていうか普通に日付変更出来るし。明日なら今日より人いないっしょ」

 まさか、とスマホのチケットアプリを立ち上げると既にチケットの指定日は二十六日になつており、日付変更は済んでいた。どうやら、あの日私のスマホを触っていたのはこう言うことらしい。

「……なんか、本当にごめんなさい」
「なに? それ」
「もっと早く謝るべきだった、ごめんなさい」
「いいよ、そもそも怒ってないから」
「ごめんなさい」
「謝んなよ。俺先輩がドジなの会った時から知ってるし」

 ドジ。そうドジ。そんな可愛い言葉で片付けてもらえるだけ私は幸せだ。初めて会った時、氷がたっぷり入った水をトリオン体とは言え彼の体にぶちまけてしまったことがある。あり得ないと声をあげて笑ってくれたのが彼だ。
 チームオペレーターにでもなったらチームメイトを殺しかねないからやらない。涙目でそう言い切った私にも出水くんは、最高の大笑いをくれた。
 どうしようもなく君が好きだと言った時は、ふにゃふにゃに柔らかくて溶けてしまいそうなくらいの笑顔をくれた。
 声が低くなって、手足が伸びて筋肉がついて目線が合わなくなっても、私のドジを笑い飛ばしてくれる彼が大好きだ。

「そんなんで嫌いになんねーから」
「……うん」
「だから先輩も俺のこと好きでいろよ」

 そんなことでは嫌いにならない。その言葉に私は崩壊しそうな涙腺を隠すように、俯いて何度も頷いた。
 じゃあブース行こうぜ、と自然な流れで絡んだ指。ほんのり暖かくて骨張った出水くんの手。握るたびに少し大きく、大人の男の人になっていく。きっと私はずっとこれからもドジだけど、どんなに変化していく出水くんでもきっと笑い飛ばしてくれるのだろう。
 大好きだ。じわじわと体内に沁みるように広がる感情。もう二度と解けないようにと強く彼の手を握りしめた。
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