「臨也さん、これ、なんですか?」
「見て分からないの?」
「いえ、分かりますけど」
「ならわざわざ聞かないでよ」
臨也さんは数十分前に、「ちょっと出てくる」そう言って新宿にあるこの高級マンションを後にした。
勿論その言葉だけじゃ何処に行くかなんて察しがつかないから出掛けた理由も全く分からない。何かあったのだろうか。
仕方なく私は臨也さんに頼まれた仕事をやりながら彼の帰りを待っていた。
調度その仕事が終わり、ソファで寛いでいた頃、臨也さんは2つのレジ袋を手にして帰って来た。
どうせまたすぐにパソコンの前に向かうのだろう、そう思ったけど臨也さんは意外にも私が座っているソファの向かい側に座った。
1つのレジ袋を見ると、本屋に行ってきたということが分かる。何をしにいったかは全く想像できませんけど。
「はい、これ」
臨也さんが袋の中から本を取り出した。
料理本だった。
そして今に至るのだが…
「今からなんか作ってくれない?お腹空いた」
「え…その為にこれ買って来たんですか」
「普段外食だったからね。君の料理食べたことなかったし。何作るか怖いから一応これ、買ってきた」
「……随分酷いことを言いますね。まあいつものことですけど」
そう言いながら料理本をペラペラ捲っていると、何ヵ所かのページの端が折り曲げられていた。
誰かが意図的に曲げたと言うのは直ぐに分かった。その誰かも直ぐに分かった。
臨也さんしかいるわけない。
「あの、この印は何ですか?曲がってますけど」
「ああそれ。今特に食べたい料理。タクシーの中で色々考えてたんだよ」
「タクシー乗って行ったんですか…て言うかよく車に乗って本なんか見てて酔いませんよね」
「そんなんで俺が酔うと思う?」
「いいえ」
そう即答すると、折原さんがニヤリと笑みを浮かべた。
何だろう。
「エプロンも買ってきたよ」
「え…」
臨也さん、一体どんなの買って来たんだろう。
やっぱり真っ黒かな。
もしファーとか付いてたらどうしよう。
「今変な想像したね」
「そんなことないですよ」
「笑顔が引き吊ってるよ」
そりゃそうでしょう。
黒いファー付きのエプロンなんて見たこともなければ聞いたこともないですもん。
「大丈夫だよ。別に変なもの買ってきたわけじゃないから」
そう言って臨也さんが袋から取り出したエプロンは確かにごく普通で、私は安堵の意味を込めて深くため息を吐く。
「でさ、冷蔵庫にある材料だけで出来そうなのをその折り曲げてあるページの中から探して作って欲しいんだけど。給料は割増しとくよ」
「はい!」
余りやる気は無かったが、最後の一言で私の顔はパッと明るくなったことだろう。
臨也さんの割増って凄い額だから割増どころじゃすまないのだ。これはラッキー。臨也さんもラッキー。
私にも臨也さんにも都合が良いならOKでしょう!
「じゃあ作ってきますね」
そう言って私はエプロンと料理本を持ってキッチンの前に立った。
身支度し終わった後、早速冷蔵庫の中身を見てみると意外にも材料は豊富だった。
食事の時は臨也さんが奢ってくれる。
飲み物は自分でマンションの下の自販機に買いに行く。
だから冷蔵庫の中なんて普段あまり見る機会などないからこんなに具材が揃ってるだなんて知らなかった。
でも待って…
何日も料理してないはずなのに何でこんなに沢山…
「消費期限とか大丈夫かな…」
確認できるものは一通り確認したけれど、問題は無かった。
野菜も肉も大丈夫そうだ。
「何してんの。そんなごそごそと」
「何で何日も料理してないのにこんなに沢山あるのかな…と。期限切れじゃないのかな…みたいな」
「俺が昨日買ってきたから。名前に作らせるために」
「臨也さん、スーパーとか行ったんですか」
「当たり前だろ」
スーパーで買い物をする臨也さん…買い物籠に商品を入れていく臨也さん…
臨也さんなんて高級そうなものしか買ってるところ見たことない。
「あっそ」
「何がですか」
「君の心の声が聞こえたよ」
「ともかく、作らせていただきます!」
このままじゃまずい事になりそうだったので、私は話を切り替えようと、敬礼しては料理本をペラペラと確認していく。
臨也さんはそんな私に少しだけ微笑み、再度チャットルームへ足を運んだ。
「うん、これにしよう」
冷しゃぶなら簡単に出来そうだ。
失敗することもなさそうだし。
♂♀
「臨也さん出来ましたよー」
「分かった。今行くよ」
すると臨也さんはパソコンの電源を一旦落とし、テーブルの前の席に座った。
「うん、見た目は良いね。いただくよ」
箸を取り、冷しゃぶを口にした臨也さんは何も喋らなかった。
何か言ってくれ。
「あの…味はどうですか」
「ま、良いんじゃない。これからも作ってもらうことにするよ」
そして臨也さんは完食してくれた。
あ、そう言えば私臨也さんの分しか作ってないや。
でも、臨也さんに喜んで貰えた…わけじゃないかもしれないけど、少なくとも美味しいと思ってくれたことが嬉しくてそれだけで今は十分だ。
「名前は何食べるの?」
「作ってないんです。でも今は臨也さんに完食して貰えただけで満足なんです」
「そう」
一言だけしか返事はない。
でもそのたった二文字の言葉でも、今は満足だった。
「じゃあ君の好きなケーキでも食べに行こうか」
「いいですよ、給料割増されてるのにそんな事まで…」
「違うよ。作ってくれたお礼とかじゃなくて。部下の空腹を満たしてあげようと思っただけだよ。行く?」
「はい!はい!」
二つ返事の私を見る臨也さんは、少し微笑んでるようにも見えた。
椅子にかかってるコートを羽織り携帯と財布をポケットにしまい、玄関へ向かう臨也さんの背中を私は駆け足で追いかけた。