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光の反射の作用によって白く見える髪の毛は、本来ならばすっかり色を失っているらしい。色を失うと透明ではなく白く見えるというのはなんとも不思議な話だよなと思考を巡らせながら、余すことなく真っ白に染まった自身の髪の毛を軽く後ろへ撫で付けた。若い頃の様な張りや艶などはもうとっくの昔に失ってしまったが、量のみに関して言及すれば、全体的に減ったとは言えまだ余力を残しているといえるだろう。まあ禿げ上がったところで、きっと自分ならそれさえも魅力の一つになり得るだろうから特別気にはしていなかったのだが、それでもやはり若かりし頃の形を留めるというのは喜ばしい事ではあった。

手元に用意した鏡を覗き込むとそこに現れるのは幾重にも歳を重ねた年寄だった。
顔中に深く刻まれた皺をなぞって、自分もすっかり歳を取ってしまったなと感慨深く瞳を細める。そうするとより顕著に目尻に浮かぶ皺。そのひとつひとつに自分が今まで歩んできた歴史が刻み込まれているようで、それさえもなんとも誇らしく感じるのだから、やはり人間とは愛しいものだ。
誰だって誇りを持って生きている。若い頃から言い続けるその言葉は今でも変わらず、俺と言う存在を構成する大部分を占めていた。そして「誰だって」の中に含まれるのは自分自身も同様。俺は誰よりも光り輝いていると、今でも信じて疑わないでいるしそれが揺らぐことはきっとこの先一度だってないだろう。何があっても、何を言われても、それは変わらない。それが俺の全てであり、誇りそのものであるのだから。


「……今行く、悪いがもう少し待っててくれるか」

急く気持ちを落ち着かせる様に深呼吸をする。年甲斐もなくこんな気持ちになるなんてどれくらいぶりだろう。自分のしわがれた声が微かに震えていた。

嗚呼、全く。一体、この日をどれほど待ち侘びたことか。
いつか来る今日この日のために新調した、キッドモヘアを使用したオーダーメイドのスーツに袖を通す。柔らかくも強く、滑らかな素材が自分の体にぴったり沿う様で、やはりこの日のために誂えた甲斐があったと満足げに何度も頷く。
青を基調としたストライプの入ったジレのボタンを震える指先でゆっくりと一つずつ止めていき、緩んだタイを上まで締めると、いつにも増して背筋が伸びていくようだった。
ロング丈のジャケットが中々良い具合に印象を和らげているのではないだろうか。胸にはもちろん、金のブローチが輝く。仕上げとばかり、カールしたつばが特徴であるホンブルグハットを頭に乗せて、立てかけていた杖を手に力を込め、数秒をかけてゆっくりと慎重に椅子から立ち上がった。使い古された木の椅子がぎい、と悲鳴をあげる。
自分の力だけで地に立つのは、もう暫くぶりのことで上手く力が入らない。しかし今日くらいは、自分の足で立ち上がるくらいの格好はつけなければ。ベッドの上で再開だなんて、そんな格好のつかない姿を最愛の彼女に見せるわけにはいかないだろう。


「ああ、…悪いな。随分、待たせた」

閉じたままだった扉を開けると、年季の入った木の扉は低く鳴いて客人を招き入れる。開いた扉から室内に入り込む温かな太陽の光と溢れかえる様な草花の香り、そして一瞬遅れてから鳴るヒールの音。フレアスカートが風に吹かれて広がる。花が咲き乱れるように、色褪せた部屋の中を一瞬にして色鮮やかに彩った。
なんて眩しいのか。眩しくて直視するのも躊躇われる存在が目の前にあることに、胸が詰まる。あの頃と何一つとして変わらない姿のアンジュが可笑しそうに笑った。

「何言ってるの、待たせたのは私の方だよ。遅くなってごめんね、ユエ」



これまで、随分長いこと旅をしてきたようだった。草臥れた身体は思うようには動かず、何をするにしたってすぐに疲労を感じ、そのせいかあまり気力も湧いては来ない。あとはただ、心臓の音が止まるのをただ待つ日々、と言えば少し物悲しくも聞こえるけれど、最初こそ自身の衰えに衝撃を受けたものの今ではこの老いさえ愛しく感じるのだから不思議なものだ。
歳を重ねるということは愛すべきことだ。数えきれないほどの年月を経て、幾重にも重ねあげられた誇りが、どれだけの時間を経たとしても失われることなくその人を輝かせる、その様が美しくないわけがなく、それこそがこの長い人生を生きてきた喜びとさえ思える。

今までに俺は色んなものをこの目で見て、この手で触れ、感じてきた。時には届かない最果ての地に思いを馳せとっくに枯渇したサクリアを、あの頃の様に送る真似事をしてみたこともあった。
幸せなことも、泣けてくるほど悲しいことも、思い返すだけで頬が緩んでしまうようなことも、まるで昨日のことの様に鮮明に思い出せる。この歳になってもそうやって過去と今を混合させずに、過去の出来事を思い出として思い返すことが出来るということは当たり前のことではない。身体にはかなりガタがきていたけれど、頭の方はまだ正常を保っていられる事に今までどれほど安堵し、そして恐怖を感じてきたことか。
自分自身を、誇りを、愛しい彼女を忘れてしまう日が来る前に、どうか。そうやってずっと思ってきた。そうして願わくば、来たる最後の日。宇宙の彼方に置いてきた彼女に一目だけでも逢いたい。そんな俺の願いを、宇宙の女王は聞き届けてくれたのだ。


「お前は変わらねぇな、若くて……美しい、あの頃のまんまだ」

分かり切っていた事だけれど、やはり此の地と令梟の宇宙の中枢である聖地とでは時間の流れが違うということを、まざまざと見せつけられている様で少し胸が痛んだ。
俺が過ごしたこの何十年はアンジュにとって一体どれほどの時間だったんだろう。
寂しそうに微笑むアンジュの、その姿にまるで焦げるみたいに胸がひりつく。理由はわかっている、願うことなら彼女と共に時間を歩んで、同じように刻まれた皺の数を数えて、笑い合いたかった。
それはもう、今更言ったところで何をどうしたって叶わない夢物語でしかないし、例え過去に戻ってやり直せたとしても、やはり同じ結末を迎えていたどころかアンジュが俺ではない他の守護聖を迎えるような、そんな可能性すらあり得た。運命が交わらなければ、どうだっただろう。俺は俺のままでいられただろうか。それはわからないけれど、少なからず今、俺はアンジュと共にいる。それだけで十分幸せなことだと噛み締める他なかった。

「ユエも変わらないよ。相変わらず眩しいくらい輝いてる」
「そんなのは当たり前だ、どれだけ歳を取ったって俺様は光り輝く。なんたって光の元守護聖、ユエ様だからな」

胸を反って、若かりし頃に再三口にしたそれを再び躊躇いなく言えば一瞬呆れたようなジト目で見られ、その後に小さく吹き出す様に楽しげに笑う彼女にほっとした。これでいいんだ、不満なんてあるわけもない。人生にもしも、やあの時こうだったら、なんて話は必要ないから。


「なあ、アンジュ。俺は今まで様々な人と関わり合い、色んなものを見て、その都度再確認させられてきた。やっぱり人とは愛しいものだな」
「ユエも、たくさん輝いていたこと知ってるよ。別に驚くようなことじゃない、だってユエが、俺を見てろよって言ったんじゃない」

だから、ずっと見てたよ。そう言って微笑む。まるで花が咲くように、暗い夜道を月明かりで照らすように、じんわりと広がって行く熱。想像もつかないほど広く大きな、宇宙にもよく似た彼女の愛と優しさに呼吸さえ忘れて目を奪われた。
ああ、やはり歳をとると厄介だな。じんわりと目頭が熱くなる感覚にハットを深く被る。きっとアンジュには全てお見通しなのだろう。この歳になってもまだ心を強く揺さぶられることがあるだなんて。だから、やはり人とは尊い。


「……よし。そろそろ行くか」
「もう、いいの?」
「ああ。お前とまた逢えて、十分に幸福だ」
「私も。……私も、ずっとユエに逢いたかったんだよ。本当に、逢いたかった。」
「……なんだよ。やっぱり、どうしようもねぇな、お前。可愛い。……もう、お前無しじゃ生きられそうにもない。歳をとるとわがままになるって言うしな、若かりし頃の俺もよく手放せたと今更ながら思うぜ」

杖を手に取って一歩前へ行く。

「行こうぜ、アンジュ」

差し出した手を躊躇いなく取るアンジュが堪らなく愛おしい。ああ、俺はようやくここに辿り着いたんだ。まるで長い旅路のようだった、ずっと宛ても無く歩き続けて、少し疲れていた。ただ一つ、還るべき宇宙に、ようやく今日、最愛の人と帰れる。

一歩踏み出す足取りは驚くほど軽かった。夏の空が高く澄み切っている。照らす心地よい光。宇宙の青さが滲む様に一面が深い青に染まって、吹き抜ける様な一陣の風がまるで攫うみたいにハットを青い空の下へと飛ばしていく。手を伸ばしても届かないそれに、アンジュと顔を見合わせて笑った。
アンジュと手を絡ませる。張りがあり滑らかなアンジュの手と対照的な、皺だらけで骨と皮のような自分の手も余すことなく見てほしい、知ってほしい。俺が今まで歩んできた人生を、全てアンジュに受け止めてほしい。これが俺の誇りだと、胸を張って生きてきた俺の姿を、全て。
繋いだ手は温かい。更に前へと歩き出すのに、杖はもう必要なかった。