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 それはサイラスから受け取った怪しい薬の作用で、他の人からは俺の姿が女王候補のアンジュに見えるようになった、数時間後のことだった。
 サイラスの指示通り、アンジュに成りきってお饅頭を配るべく守護聖を回って歩いていたとき、偶然通りかかった女王候補たちの寮の前。見慣れた薄桃色の髪をした彼女の後ろ姿を見つけて、思わず声にならない悲鳴のような音が漏れて、空気を震わした。
 あれは、まさか、アンジュじゃ……。今朝のサイラスの言葉を思い出すけれど、サイラスはまだ、女王候補達は帰ってこないって言ってなかった?そもそもの話、アンジュ達が休暇を取っているから俺とゼノが女王候補になりきっているんじゃなかった!?どういうこと、もう帰ってきたの?!といった具合で、相当気が動転していたのだろう。現在他の人間からは自分の姿がアンジュの姿に見えるということ……もちろんそこにはアンジュ自身も含まれるということも忘れて、俺は隠れることもせずにただただ呆けたように立ち尽くしていたのだった。

「……?え。えっ、…えっ!?」

 そしてそんな風に阿呆みたいに立ち尽くしていればアンジュが気が付くのも当たり前に時間の問題なわけで。
 こちらに気がついたアンジュが驚愕に目を見開き、その顔からはみるみるうちに血の気が引いていく。普段は落ち着いていてどんなことにも動じないような彼女の初めて見るその反応に対して、そんな顔もするんだと新鮮に思うけれど、いや待て待て。今はそれどころじゃないし。
 今にも気を失ってしまいそうなアンジュの様子に、慌てて駆け寄るとアンジュは更に怯えたように身体を揺らして目を白黒と反転させた。まずい、と直ぐさまその場で立ち止まる。休み明け、留守にしていた場所へ戻るなり自分と瓜二つの得体の知れない物が遠慮もなく近づいてきたらそりゃ怖いよ…。
 数メートル離れた先で身体を固めたまま瞬き一つしないアンジュにどうしたものかとあれこれ考えるけれど、何一つとして良い案は浮かばない。俺に出来ることと言えば取り繕うよう、適当な言葉を発して偶発的にでも何かしらの突破口を見つけることくらいだった。

「えっ、えっと……あの、!」
「えっ!?え、……えっ!?」
「あっ、……アンジュ!!お、お帰りなさい!!!休暇はどうだった!?飛空都市は、平和でした!!!」

 この場を打破出来るのはもうこれしかない。いや、もうこれしかないと言いつつ、自分でも何をしているのかわけがわからなかったけれど、もう成るように成れだ!
 俺が言葉を発したことに対してだろうか、驚いたように目を丸めて動きを止めるアンジュは数秒フリーズした後、そのまま顔を突き出すようにすると、繁々と俺の姿をつま先から頭の先まで観察するように眺めた。痛いほど突き刺さるアンジュの視線に背中に浮かぶ脂汗が止まらない。一瞬たりとも外れないアンジュからの視線に、きっと俺は赤いのか青いのかよくわからない顔色をしているに違いないだろうと思う。もうだめだ、こんなのどうやったって誤魔化せるはずがない…。そうやって諦めかけたとき。ずっと無言でいたアンジュがはあ、と呆れたように小さく嘆息したのだった。

「…これは…、またサイラスの悪趣味かな……。これが噂に聞くゼノとロレンツォの合作…?それにしても本当……よく出来てるなぁ……」

 俺の奇怪な行動も、どうやら奇跡的にアンジュの中では何かうまいこと腑に落ちたようだった。俺からすればわけがわからなかったけれど、ひとまず、俺の捨て身の、何も考えないでいこう作戦は上手くいったらしい。表には出さないよう気をつけながらも、心中では全身の力が抜けるほど大きく安堵していると、アンジュが恐る恐る、と言った具合に手を伸ばして、そうして緩みきって全くのノーガードだった俺の頬に指先で触れたのだった。

「っ!?!?」
「うわ、本当に…生きてるみたい」
「……っ、」
「私、こんなに肌綺麗だったっけ?」

 アンジュの顔が眼前に迫って息が止まった。なに、なんなのこの状況!?あり得ないほど、心臓が鼓動している。それも、このままでは爆発してしまうんじゃないかと不安になるほどに。
 触れた場所がまるで燃えるように熱くて、柔らかなアンジュの手のひらが酷く心をかき乱す。こんなの、耐えられるわけないじゃん。お姉さんは一体何と勘違いしてるんだろう、頬を滑るアンジュの手を掴んで、いっそのことその手を拘束し、動きを完全に止めてしまいたい衝動に駆られるけれど、それを必死に理性で押さえ込む。とにかく、今は我慢だ。私はアンジュ、私はアンジュ。私はこの宇宙を守るための女王候補の一人だから。

「……ふうん。身長も同じだし、……大きさも…変わらない……」

「二の腕のお肉を持ってくればもう少し……」そう呟きながら、俺の思いなんて全く知る由もないアンジュが脇に手を差し込んだ。瞬間、心臓が口から飛び出るかと思うほどの衝撃が襲う。「ひゃっ!?!?」と漏れてしまった声に顔を青くさせて慌てて口を両手で塞ぐけれど、そんなどっからどう見たって不審でしかない俺の様子にも、アンジュは特別気にしていないように小さく首を傾げるのみだった。

「反応が少し可愛いめなのはサイラスの趣味かな」

 あの執事は全く、と引きつる顔で言うアンジュ。もうアンジュの中で目の前の俺はアンジュの姿をした、サイラスが用意した何かで確定しているのだろう。例えそうだったとしても、俺はもう限界だ。このまま耐える事なんてできない。

「アンジュ、もうっ……!」
「あっ、カナ……アンジュ!!?!?」

 遠くから聞こえてくる聞き覚えのある声が飛んできて、そちらに弾かれるように目を向けると、駆け寄ってくるのはレイナの姿をしたゼノだった。

「あれ?レイナ、今日はもう部屋で休むって言ってなかった?」
「あ、ああ!あ、あはは!そう!そうなの!ちょっと、散歩がしたくなって!!!もうこれから戻るところよ!!アンジュこそ!!疲れてるんだから、今日くらいゆっくりするべきじゃないかしら!?」
「えっ?あ、うん、そうだね。一回育成地見てこようと思ったんだけど……」
「タイラー!今いないって!!そういえばそんなことを耳にしたわ!!!タイラーがいないんじゃやっぱり確認も全部明日ね!!!」
「そうなの?それじゃあ仕方ないか、今日はもう部屋に引きこもる」

 なんだか眠くなっちゃったし。ふわぁ、と気の抜けた欠伸をするアンジュの姿に心臓が跳ねる。レイナ(実際はゼノだけど…。)を前にしているからこそこんな顔をするのかと思うと、なんだか少し胸が痛む。この顔は俺の前では決して見せない顔だ。

「うーん。あなた、サイラスのところに一人で戻れる?文句は明日にしておくけど、って伝えてもらえるかな」
「えっ、あ……うっ、うん!もちろん!気に掛けてくれてありがとう!!!」
「……うーん、愛想も少し良く設定されてるのがどうも気にくわないなぁ」
「あ、あはは!ほら、もう日も落ちてきそうだし、部屋に戻りましょう!?」
「あっうん、そうだね。それじゃ、レイナまた明日」
「ええ、おやすみアンジュ!」

 アンジュが眠たそうに、覚束ない足取りで自室へと戻っていく様を見守る。
 その姿が見えなくなって、扉の閉まる音が聞こえた数秒後、ようやく呼吸が出来るようになったみたいに、ゼノと二人して大きく息を吐き出したのだった。

「……」
「……」

 数秒の沈黙。全身に回る疲労。今日一日でいろんな事があったけれど、もしかしたらこれが一番かもしれない。珍しく、隠し切れない疲労が顔に浮かぶゼノに目を向けて、力なく笑うと正殿の方へ指を差した。

「…帰ろうか……」
「…そうだね、……俺たちは十分頑張ったよ……」

 顔を見合わせて、二人してもう一度息を吐き出す。正殿に向かう道のり、俺とゼノは疲れ切った身体を引き摺るように歩きながら、アンジュに対して少し様子のおかしいジルさんの話だったり、ゼノが今回レイナになってくれてよかったといった、他愛もない話を繰り広げるのだった。
 この数時間後、疲れ切った女王候補に代わって緊急要請に俺とゼノが応じることになるのは、また別の話である。