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 アンジュが怒っている。どうしようもないほど、怒っている。ここまで怒った彼女をこれまで見たことがあっただろうか。いいや、ない。というか彼女は何も一人で怒っているのではなくて、怒らせたのは紛れもなくこの俺だ。俺が彼女を傷つけた。傷ついて、ストレスを感じて、それが一定のラインを超えて怒りという感情になっている。怒りのメカニズムとはそういうものだ。紛れもなく、俺が彼女を傷つけたのだ。

「アンジュ、…話を聞いていただけませんか」

 これで何度目の嘆願だろう。いい年した男が情けない事この上ないけれど、余計なプライドなど捨てるべきだと俺は彼女と結ばれる以前に強く実感したはずだった。なのに、全く俺は懲りない。浮かれて、調子に乗って、結果俺は彼女を深く傷つけたのだ。今俺に出来ることと言えば彼女に謝り通すことのみで。強く心を閉ざしてしまった彼女に俺はもう何回目かもわからない懇願を何度も何度も、飽きずに繰り返すことしか出来ないでいた。


「アンジュ、お願いですから…。」
「……ヴァージル。もうわかりましたから」

 粘り勝ち、と言えば聞こえは悪いかもしれないけれど、実際根負けしたのはアンジュの方だった。大陸の視察から帰った後のこと。アンジュの行く先々に、まるで親鳥について回るひな鳥のように…否、そんなに可愛い物ではないので、狂信者かのように、と例えた方が近いだろう。まあとにかく何度鬱陶しがられてもめげず、他の守護聖達に不審者か奇行種を見るような目で見られてもお構いなしに、ただひたすらアンジュの後を追う一日を過ごした。そうして日が暮れる頃にようやく口を聞いてくれたアンジュは呆れ混じりにそう言い放ったのだった。言葉は発さないものの、喜びを隠しきれないでいる俺に対してアンジュは気まずそうに、一瞬こちらへ視線を向けるけれどそれもすぐに伏せてしまう。

「私も怒りすぎました、大人げなかったですね」そう続けるアンジュの台詞に、ずっと緊張していた身体に一気に血が巡っていく。すぐに伏せられてしまったアンジュの気まずそうな瞳は落ち着かなさそうに揺れていて、その横顔を見つめるだけで凍えていた心臓が溶けていくよう、じんわりと熱が広がっていった。正直な話、もう限界だった。夜になってアンジュが自室に戻る時間帯になっても尚、俺の目を見ず、話を聞いてくれないまま自室を扉を閉められてしまえば俺はきっと、みっともなく涙を流していたことだろう。

 そうして気がつけば、考えるよりも早く身体は動いていた。アンジュの細い腕を掴んで、抵抗の隙を与える間もなく俺の腕の中へと閉じ込める。突然の行動にアンジュは悲鳴を上げる暇も無く、ただ息をのむ音だけが空気を震わせた。

「ヴァ、ジ……」
「アンジュ、アンジュ……すみませんでした。……本当に、…」

 頭の中では冷静なのに、どうして身体はこんなに言うことを聞かないんだろう。アンジュが困惑しているのがひしひしと伝わってくるけれどどうしても俺はこの温もりを手放せなかった。本当に、もう二度と触れることを許されないかもしれないと、俺はなんてことをしてしまったのかと、今日一日生きた心地がしなかった。触れるどころか、会話も許されず、目も合わない。俺は自分の欲望を満たすためだけに、アンジュを傷つけたことを一生後悔して生きていくのだと、何度後悔したことだろう。大袈裟かもしれないけれど、…いいや、大袈裟なんかではない。今日俺は、もう二度と同じ過ちを繰り返さないと心に決めたのだ。

「大人げなかったのは、俺です。本当に、すみませんでした」
「……もういいですから、謝らないでください。私も、ずっと無視してごめんなさい」
「俺は……俺は、」

 アンジュの手がまるで小さな子供を宥めるように、ゆっくりと背中を撫でた。優しくて、温かい、小さな手だ。なんて愛しいのだろうと思う。彼女が俺のことをどう思っていて、嫉妬とか束縛だとか、そういう感情がどうだとかって、今になって思えばどうだっていい些細な問題だった。数時間前の自分に呆れかえって、なんて馬鹿だったんだと、調子に乗りすぎだと一喝してやりたい。目の前のアンジュが、俺に触れているアンジュが全ての答えじゃないか。
 アンジュの温もりに瞳を閉じて、小さく、息を吐き出した。

「…俺は、アンジュに嫉妬をされたかった」
「……は?」

 背中を撫でる手の動きを止めて、嫉妬?と知らない単語を繰り返すように言うアンジュの声がまるで責めるように心臓をつつく。嫉妬をされたかった、だなんてなんとも格好が付かないのは重々承知だ。けれど俺の方へ向いてくれたアンジュに対して、これ以上何か隠し事をする気にはならなかった。せめて今の情けない表情を見られたくなくて、腕の中に閉じ込めたままでぽつりぽつり、と言い訳にもならないことを呟いていく。もうこれ以外、彼女の前で誠意を表す術が思いつかなかったからだった。

「すみませんでした。本当に、貴女を傷つけるつもりなんて無かったんです。こんなのことで俺の行いが無かったことになるとは思いませんが…本当に、俺は愚かです」
「嫉妬って……。私に嫉妬をして欲しかったんですか?」
「馬鹿みたいな理由ですか?でも俺はあなたにそういう感情を抱いてほしいんです。俺が他の女性と話をしていたら怒ってほしい。俺のことをもっとアンジュの愛で雁字搦めにして欲しい。俺のことを離さないで欲しい。……こんな恋人は、嫌ですか?」

 まるで乞うように言う自分の姿は、アンジュの目にはどれだけ情けなく映っているのだろうか。いや、今はまだいい。抱きしめている今、彼女に届くのは俺の情けない声と、腕に込めた思いの強さだけだろうから。

「俺はアンジュのものです。身も心も、全部貴女のものだ」
「ヴァージル、わかりました。あなたの気持ちは十分伝わりましたから」
「伝わっていません。わかってなんかいませんよ、貴女が思うよりずっと、俺は貴女を愛しています。三分の一、いや十分の一もきっと伝わっていません」

 そこまで言い切ってから、ふと腕の中のアンジュが「はい?」と低い声を発したことに、時が止まって、次の瞬間にはどっと嫌な汗をかいた。何か、不味いことを言っただろうか。まさか、また俺は何か間違えてしまったかも知れない。もしかしたら今度こそ、もうだめなのか。俺は本当に、なんでこんなに……。自分の不器用さに呆れを通り越して最早哀しくなっていると、アンジュは俺の肩を掴んでひっぺ返すように身体を離した。瞬間アンジュとの間に出来た距離と離れていった温もりに、ただただ傷つく。きっと俺はそれは酷い顔をしていることだろう。
 けれど俺の予想とは反してアンジュの瞳には強い意志のようなものがあって、それは特別責めるようなものではない。むしろ心地よささえ感じさせる温かさを有していて、その瞳は俺を見つめて離しはしなかった。

「その言い草は、少し怒ります。そうしたらヴァージルこそわかっていないです。私がどれだけヴァージルを好きなのか。私は普通に嫉妬もしますしやきもちも焼きます。貴方が他の女性と話をしている姿にはもちろん嫉妬しましたし、ヴァージルの試そうとするその行動には強烈な怒りを感じました」
「……それは、その」

 本気で怒っている様子のアンジュに返す言葉もなかった。ただなぜだかわからないけれど、彼女の言ったことの半分も俺は理解出来ないでいた。俺を貫くその瞳はただ真っ直ぐに俺の目を見つめていて、強烈に惹き付けられて目が離せない。確かに彼女の言うとおり、その瞳には愛や優しさ、温もり。俺に対する愛がいっぱいに含まれているのではないか。
 その事に気がついたとき、遅れ馳せながらも彼女の言った台詞の意味がやっと伝わってきて、全身が歓喜に打ち震えた。きっと俺が思っているよりずっと、彼女は俺のことを愛してくれている。…本当はわかっていたはずなのに、ただ欲張りになっていただけだった。気がつかない振りをして、もっと欲しいと強請っていただけだったのだ。

「わかってはいると思いますが、今後同じようなことはしないでください。わかりましたね、ヴァージル」
「……はい。本当に、すみませんでした…。」

 まるで叱られた子供だ。情けなくて俯くけれど、アンジュは俺の返答に満足げに頷き、少しおかしそうに笑った。瞬間周りに花が咲いたように空気が和らぐ。「もう。一日怒ってたらお腹すきました。カフェテラス、一緒に行きませんか?」そう言って首を傾げるその姿にぎゅっと胸が掴まれたみたいになって、ああやっぱり彼女には敵わないと実感する。
 それはきっと、いつになっても、いくつになっても変わることはないだろう。それでもいい。…いや、それがいい。

「もちろんです」そう答えて彼女の小さな手を握りしめた。アンジュは嬉しそうに笑ってその手を握り返す。小さくて温かい、それは確かに愛そのもので。

 願わくば最後の時が来るその日まで。俺は彼女の隣にいたいと心から思うのだった。