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 はじめは何か自分の思い違いだとか、考えすぎだとか。とにかくこれまでの経験則から自然と導かれた答えに対して、真摯に受け止めるどころか、一目惚れなんて恋も知らない10代が起こす錯覚だと笑って一蹴していた。今までそれなりに人生経験を積んできた方だと思うけれど、これまで一度だってそんな簡単に人を好きにはならなかったし、そもそも恋は落ちるものではなく落とすものだという認識だった。あまつさえ、きっとこれからも自分は本気で心の底から人を好きになることはないのだろうと、悪く言えば人生に対して高を括っていたのである。
 そう。まさかなのだ。まさか自分が一目で恋に落ちていただなんて思いもせず、能能と彼女の前に間抜けな姿を晒していただなんて。それも中途半端なものではなく、気がつけば自力では最早這い上がることのできないほどの深さの落とし穴に、まんまと落っこちていたのだった。


「アンジュ、お願いですから俺の話を聞いてください……」
「嫌です。ヴァージルの話は聞きたくありません」
「アンジュ……」

 俺の可愛い恋人はそう言って先ほどから目も合わせようとしてくれない。かれこれ30分ほど経つだろうか、初めはきっとなんやかんや言いつつもこれだけ謝っていればすぐに許してくれるだろうと思っていたのに、一向に目を合わせてくれないどころか話さえ聞いてくれない始終一貫した態度に、もう俺のメンタルはギリギリを迎えていた。

 事の発端は先ほどまで行っていた大陸での視察中に起こった出来事だった。
 少しずつだけれど着実に育成されている、平和で豊かな大陸を二人で視察し、締めには夜の街、ファンタジーパークに向かった後のこと。一瞬アンジュと離れるタイミングがあったのだけれど、その際に声を掛けてきた女性と会話を中断すること無く続けていたのがまず一つ目のチェックポイントだった。それがとても悪いことだとはわかっていた。けれど、待ち合わせ場所で見ず知らずの女性と会話を繰り広げる俺の姿に、用事を終えて現れたアンジュが困惑したように、遠巻きに視線を寄越すその姿に高揚したのも紛れもない事実だったのだ。
 アンジュがこちらを見ている。少し距離を取ったところで、俺の会話が終わるのをひたすら待つアンジュ。
 そこで素直にアンジュの元に駆け寄っていけばよかったのだ。しかしその時の俺の中には悪い俺と良い俺が二人いて、二人が交互に囁くのだ。アンジュの嫉妬した顔が、もっと見たくないか?だめだ、可愛いアンジュが俺のことを待っているんだから、早く行ってあげるべきだ。と。
 以前にもファンタジーパークで全く同じようなことがあったのは記憶に新しい。女性に声を掛けられる俺と嫉妬をするアンジュ。その時アンジュがしてくれた可愛い嫉妬をもう一度受けたくて、拗ねたような顔が見たくて、アンジュに怒られたくて、ただ魔が差しただけだったのだ。

 不意の事だった。一向に会話を止めようとしない俺に痺れを切らしたアンジュがくるりと踵を返した。
 早歩きで行ってしまうその後ろ姿にぎょっと目を剥いて、慌てて会話を終わらせアンジュを追いかける。人混みをかき分け、逃げるアンジュを捕まえるように、彼女の細い肩を掴んだ。

『待ってください、アンジュ!』
『…お邪魔みたいなので。私は帰ります』

 怒っている、それも非常に。眉間に皺を寄せて声を低くするアンジュの姿に、本当はそういう場合ではないのだろうしこれを知ったらアンジュは更に怒るだろうけれど、正直に言うと非常にときめいた。思考が停止して、ただ目の前で固まる俺を怪訝そうな顔で見つめる…というよりも睨み付けるアンジュ。怒っている。可愛い。嫉妬している。可愛い。拗ねている。可愛い。全てが可愛くて、愛おしい。ああ、なんでそんなに可愛いのか。
 自然と顔が笑ってしまうのを隠すように口元を手で覆う。抑えきれず溢れ出る感情にひとまず落ち着け、と必死に自分を自分で宥めるけれど、アンジュは待ってくれない。呆れたようにため息を吐いて、俺には目もくれずにスタスタと前を歩いて行ってしまうアンジュの背中を俺はどこか浮き足立つままに追いかけた。

『アンジュ。アンジュ、待って下さい、帰るなら俺も……』

「ヴァージル」ぴた、と歩みを止め、振り返るアンジュが俺の名前を呼んだ。それは緩む顔は未だに収まらないまま、さてこの後この可愛い恋人をどうしてくれよう、どんな愛の言葉を囁こうか思考を繰り広げていたところだった。アンジュがふわりと微笑む。アンジュの微笑みに、俺の緩んだ顔が驚くほど一瞬で強張った。
 それは恋人に向けるような笑みではなく、外側の人間に向けた微笑みであることに、俺が気がつかないはずがなかった。

『私は本気です。帰るならお一人で。それでは楽しい夜を』

 そこで初めて自分がとんでもない過ちを犯してしまったと気がついた。
 もうこちらを振り返らないアンジュの背中を追いかけ、何を言っても返ってこない返事に深く傷つき、けれどめげずに彼女の後をぴったりとくっついて行く。それは飛空都市に帰っても尚、変わらずで。

 ――そうして、冒頭に至ると言うわけである。