きみとマフラーを外す

帰りのホームルームも終わりそれぞれが帰宅の準備をしていく。
私は机の中にしまいっぱなしだった使い込まれたファイルを取り出すと明日までに仕上げなければいけない課題がないか今一度確認する。古典の現代語訳は確か来週までだったし数学も次回の授業までって言っていた。あとは美術の課題を各自決めてくるくらいだし。
課題はまとめてやる派の私としては本日やらなければいけない課題はゼロということで有意義な放課後を送れそうだった。
課題ファイルは丁寧に机の中へしまう。最近新調したばかりのスクールバッグを肩にかけ、2月の外の寒さに備えマフラーを首に二重に巻いてから緩めに後ろで縛った。

「佐藤」

唐突に私の名を呼ぶ声に反射的に振り向く。
鞄を背中に背負い、口元までぐるぐるに巻かれたマフラーが彼の寒がりを物語っている、そんな彼はクラスメイトの財前光である。
とりわけ仲がいいという訳でもなく、むしろ会話したのなんて数える程度だろう。あまり女子と話すイメージもなく、大阪人としては些かローテンションで常にダルそうな感じ。かと思えば部活熱心ときたもんだから私は陰で神秘くんとか呼んでたりする。嘘だけど。
そんな財前くんが私を呼び止める理由について一瞬考えを巡らせるが心当たりは特にない、それでも無理くり探し出すとしたら本日の日直が私で財前くんが最前列のど真ん中の席であることくらいだろうか。彼はその悲惨な席に普段からほとほと迷惑しているようだったし。

「ほれ、日誌」

やはり、私の考えは的中だったようだ。
私が朝に直接担任のもとへ日誌を取りに行かなかったばかりにこうして財前くんは使われる羽目になったわけだが、当の本人はきっとこうやって日誌を届けるのも今回が初めてではないのだろう。諦めからなのか特に怒る様子も機嫌が悪い様子でもなくただいつも通りダルそうに片手をポケットに突っ込んで私が日誌を受け取るのを待っている。

「あ、ありがとう」

「おん」

私は先ほど肩にかけた鞄を机の上に降ろしてから日誌を受け取る。完全に忘れていた、素っ気なく返事を残す財前くんには申し訳ないけれど、できることならば彼に呼び止められる前に逃げるように帰るべきだっただろうか。否、それは財前くんの手間が増えてしまい流石に申し訳なさすぎるので却下、少々私自身の帰宅までにかかる手間は増えるがこれも日直の責任というものだ。甘んじて受け入れるほかないだろう。
財前くんは当たり前だけれど用事は済んだとばかりに、ほんじゃ。と一言置いてから私に背を向けて帰路につくために歩き始めるのを、気が付いた時には私の右手が彼の左腕を掴んで阻止していた。

「え?なに?」

「あ・・・えっ」

困惑した財前くん以上に困惑する私。がやがやと騒がしい教室の中の雰囲気がより一層際立った気がする。じっと私を見つめる財前くんを前に掴む手を離さないあたり私は結構肝が据わっていると思う。
左手に受け取った日誌、右手に財前くんの腕。服の上からでもわかる意外としっかりした男らしい腕に心の中でうわあ、と一人騒ぐも表情に出さないままにほら、あれ。と言葉をつづける。自分でも気が付かないほどに、どうしても財前くんの腕を離したくなかったようだ。

「財前くんって、テニス部だったよね?」

「せやけど」

「えーと、あのさ・・・ほら・・・」

「なんや、はっきりせんな」

ぐるぐると頭が回る。考えているはずなのに途中からわけもわからず、何を考えているのかさえもわからなくなっていてただただ混乱しているだけになっているようだ。今更だが私は大分頭が弱い方である。右脳が発達しているタイプといえば聞こえは良いだろうか、つまり感覚で生きている。そんな私のことは私が一番理解しているし、というか他人がそれを知る由はないし、ましてや数回程度の会話をしただけの財前くんが理解するはずもなく何か答えがあるのでは、と財前くんは私の返事をただ待っている。見つめられれば見つめられるほどに混乱していく。2月だというのに変な汗をかきながら、そうだ。と一つの答えを見つけ出してしまった。

「し、白石先輩!そう!白石先輩が好きなの!」

答えを見つけたことが嬉しくって笑顔が溢れるも一拍空いてから、あれ?と体が固まる。
財前くんと私の間に妙な間が空く。目を丸める財前くん、固まる私。
白石先輩とは他学年にも知れ渡る程誰もが知るテニス部の部長である、一個上の先輩である。白石先輩はひたすらかっこいいのである、顔良し体形よし運動神経よし性格よし、非の打ちどころなんてないような完璧な人間。そんな彼にあこがれを抱く人間なんて校内にどれほどいるのだろうか、私も少なからず憧れを抱く気持ちはあるものの、そんな好きだなんて・・・あれ?

「ほんで?」

唐突な告白に驚いただけだったようで、その内容には特別驚く様子を見せないままに財前くんはだから?と言葉をつづける。
それで、だから。口の中で復唱する言葉はとても重たい。気が付けば私の掴む手は外れてるも、財前くんは体をこちらへ向けて両手はポケットへ突っ込んでいる。空気は何やらおかしい感じになっているが、引き留めることには成功したようだった。

「手伝って欲しい、っちゅー話?」

「てつだ・・・って、・・・う、うん」

手伝う。よくわからないままに曖昧に頷く。何やら勝手に一人解釈を進めてくれている財前くんはふむ、と少し考える様子を見せると眉を寄せて私をじいっと上から見下ろすように見つめた。

「佐藤ってなかなかせこい奴やな」

「せこい・・・」

「ま、ええよ。そのせこさ嫌いじゃないわ、手伝ったるよ」

「え、いいの?」

「面白そうやしな」

そう言って少し笑う財前くんは私の前の席に腰を下ろすと、日誌書いてる間はなし付き合ったるよ、と続けた。思わぬ展開に目をぱちくりさせて曖昧にありがとう、と言う。
実を言うと財前くんを呼び止めたのはもう少し話をしていたかったからで、気になるのは白石先輩ではなくて財前くん自身なのである、と言ったらどうなってしまうのだろう。
まさかせっかくできた接点を不意にする程阿呆ではないので喜んで白石先輩を好きな私を演じる他ないのだが、それでも財前くんとの少しだけ縮まった距離とただのクラスメイトから恋の相談相手に変化した関係に胸は高鳴る。なんてナイスな展開。
机の上に置いてある鞄を床に降ろして、代わりに手に持つ日誌を机の上に置くと自身の席に腰を下ろした。その様子を財前くんは心なしか楽しそうに見つめると必要なくなったマフラーを外す。やっと見えた口元に、真正面から財前くんの顔を見つめるのは初めてかもしれない、と顔を少し赤くさせてそれを紛らわすように、私もマフラーを二度ぐるぐると回して外した。外気から守るものがなくなった、すっきりした首元が少し肌寒かった。

END



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