ブラコン3

※log ブラコン1,2 続編


「蔵ー、ビール取って」

リビングで牛乳を律儀にコップに移す弟の蔵ノ介に声を張る。少し広めの1DKの我が家に新たな住人が増えたのはつい先週の出来事だった。この春無事高校を卒業した愛しの弟、蔵ノ介は地元である大阪を出て都内にある国立の大学へと進学が決まっていた。当初の予定では一人暮らしが提案されていたようだが何せ高校生だった蔵ノ介が実家を出るのは初めて。なんでもそつなくこなす器用な弟だったが流石に地元を離れ一人上京する息子を心配した両親が目をつけたのは兄である俺だった。こんな兄でもいないよりはマシだろうとなんとも失礼な物言いで俺の一人暮らしのアパートにとりあえず三ヶ月、という期限付きで蔵ノ介を寄越してきた両親はさぞご機嫌みたいだ。めっきり無くなっていた仕送りが蔵の引越しを境に復活したのをみる限りこの選択に満足しているようで俺も蔵もひとまずはひと段落ついたところである。

「ん」
「さんきゅー、なんかつまみなかったけ?」
「つまみは後で俺が作ったるから先に飯くお」
「おおっ今日もすまんなぁ、うまそー」

机の上に並べられていく夕飯に目をキラキラと輝かせる。風呂から上がったらなんだかいい匂いがすると思ってたらまさか手作りだとは。今日は回鍋肉か、ビールとの相性も抜群、素敵だ。
鼻をくすぐるいい匂いに食欲は掻き立てられる。ここ最近仕事が忙しくってろくな食事をできていなかったがそれも先週までの話。蔵ノ介が越してきた日から我が家の卓上は華やかになり、キッチンは使用される毎日に喜んでいる事であろう。
タブを押し込むとぷし、と音を立てて栓が開く。空のグラスを手にそわそわする俺に、蔵ノ介は無言でビールを注ぎ込む。蔵が越してきて早一週間、気がつけばこれが日課となりつつあったし、俺はこの日課を楽しみにこの家に帰ってくるようになっていた。

「よーし、そんじゃ今日もおつかれ」
「お疲れさま」

グラスとグラスが音を立てて軽くぶつかる。
なみなみ注がれたキンキンに冷えたビールと、蔵はほうじ茶。乾杯をしたビールを喉に流し込む。口内で弾ける炭酸と荒い泡が喉を滑り潤していく。三度ほど喉を鳴らしながらグラスを煽れば身体中に染み渡っていく心地よいアルコール。残るほどよい苦味に今日1日の疲れがじんわりと浄化されていくようでうっとりと目を細めた。やはり仕事終わりはビールに限る。

「蔵、学校どう?」
「まーぁ普通やな。ただ高校から上がったばっかなのにああも簡単に人間的に軽くなれるんや謎やわ」
「そういえば、昨日新歓の飲み会だったよな?なんかあったのか?」
「あれは…地獄やった。ほんまに食われるかと思ったわ…」

昨日の夜青い顔をしながら帰宅してきた蔵を思い出して苦笑を漏らす。メールで、飲み会があるから帰るのが遅くなるとは聞いていたがまさかあんな生気のない顔で帰ってくるとは思わなかった。布団をかぶり女は怖い、と繰り返し呟く蔵に、確かにお前のその顔ならとって食われる事もあるだろうよ。と少しだけ羨ましく思ったりもしたりしなかったり。
じっとこちらを見つめる蔵ノ介に実の弟ながら何故こんなにも顔面に差が出てしまうのか疑問に思いながらグラスを煽った。

「アオもそーゆう飲み会とか行くことあるん?」
「んー。そりゃ学生の時は遊んでたけど仕事始まってからは中々なぁ。そういえば今度同期のやつと合コンでも開こうっつー話は出てるな」
「合コン…アオも彼女、欲しいとか思うん?」
「まあ欲しくないわけないよな」
「彼女…合コン…あかん。彼女、なんて必要ないやろ」

かちゃ、と音を立てて箸を置く蔵ノ介は切羽詰まったように顔を歪める。痛く真剣な顔をして作らんで、と懇願するよう言う蔵ノ介。その姿に目を丸めるも、どこか昔のお兄ちゃん大好きな素直な蔵ノ介の面影が重なり自然と頬は緩んだ。

「かわえーなあ、構ってもらえなくなるとでも思ってるのか?」
「…家、居づらくなるし。俺の居場所はどうなるん?」

悲しそうにそう言う蔵ノ介に不覚にも胸はずきゅんと打たれる。
19の男子大学生にときめくおじさん…
年の離れた弟にときめくおじさん…もう字面がやばい。何がやばいっておじさんっていうのがもう犯罪的なにおいしかしない。
真剣なまなざしで乞うように俺を見つめる蔵ノ介の頭をぽんぽん、と軽くなでる。お風呂上がりで少し水分が含まれる髪の毛は柔らかく指の間をするりと落ちていった。

「蔵ノ介が家と彼女見つけるまでは俺も彼女は作らないよ」

お前で十分だ。歯の浮くようなセリフに自分で言っておきながら少し照れる。それは蔵ノ介も同じだったようで、蔵ノ介は真っ赤に染まった顔をそらしてしまった。その姿に笑いながら俺もだいぶ重症なブラコンだなあと一人ぼんやり思う。大体、こんなセリフ弟にいうものではないよな。続く沈黙になんだか居心地の悪さを感じて、ビールの空き缶を意味もなく潰す。静かな部屋に缶のつぶれる音がやけに大きく感じた。



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