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■ あの空を飛べるまで

人生そう悪い物じゃないって誰かが言っていた。
辛いのは今だけでそこから抜け出しさえすれば、あとは悩んでいたことが阿呆らしくなるとも聞いたことがある。だから今は耐えるとき。それでも、どうしても辛いのなら逃げてもいいんだよって、優しい顔をした大人は無責任にそう言う。

じゃあ、どうしても耐え切れずにもし逃げたとして。
どこへ逃げればいいの?家から出ないで閉じこもっていればいいの?そうした後で、そこから僕はどうしたらいいの?学歴も何もないまま、世間からは引きこもりと言うレッテルを貼られこのまま落ちこぼれの人生を歩んで行かなければならないの?

それならば、これから何十年と続く人生に希望も何もないのなら、一層の事今この瞬間に命を絶ってしまえば。僕はこの先苦しむこともなく楽になれる。人生から解き放たれる。こんなくそみたいな人生、今ここで終わらせてやるんだ。楽になるために。

冷たい風が下から吹き上げる。
柵を越え隔てるものは何もない。目前に広がる僕の生まれ育った町を感情もなくただぼんやりと眺めて、なんてつまらない人生だったんだろうとふと悲しく思う。唯一未練があるとすれば、今から死のうとしているのに楽しい思い出など何一つ思い浮かばない事だろうか。まあ、もう、どうでもいいや。目を閉じる。ゆっくりと重心を前に、前に、前に…。


「いや逃がさへんって言わんかったっけ。何勝手に死のうかしてねん、許さへんで」
「っ!?」

背後から声を掛けられたかと思うとすぐ直後、腕を取られ後ろへと強い力で引き寄せられた。

そのまま尻もちをつき、お互いが座り込んだ状態で男の腕の中へと収まってはっとする。制服から香る、覚えのある柔軟剤の匂い。幾度となく殴られ、羽交い締めにされた時、嗅いだ匂い。

不機嫌そうな低い声と腹に回された腕に容赦なくこもる強すぎる力、内臓が押しつぶされるほどの圧迫感に顔を歪めてその男の名を、まるで潰されたカエルの鳴き声のような声で呼んだ。

「ざい、ぜっ…は、はなしっ、!」
「離したら自分飛び降りるやろ、離すわけないやん」
「な、ん……で、」
「阿呆やな自分、こんな高さで楽に死ねると思うたん?」

財前の嘲るような、鼻で笑う音が耳元で聞こえて、それとほぼ同時に強い風が下から煽るように吹く。咄嗟に宙に投げられた足元に視線を落とすと気が遠くなるほどの高さにクラリと眩暈がした。

学校の屋上から見下ろすこの風景はいつにもまして高くも感じるが精々建物5階分の高さだ。この男の言う通り、今さらだが例えここから落ちたとして、本当に楽に死ねるだろうか。
痛みと苦しみに喘ぎながら助けを呼ぶことも出来ずに暫く意識が残ってしまったり、変な障害だけが残ってしまって一生歩けない、一生体を動かせないような、それこそもう自分で死ぬこともできなくなってしまって、暗い絶望の中で延命装置に繋がれたまま後悔する。そういうこともありえるのではないだろうか。

まるで夢から覚めるように、ぼんやりと靄がかかっていた思考が晴れ始める。飛び降りるだけ、そうすればこの先ずっと、半永久的に僕は楽になれる。ただそれだけの思いでここにきたのに。
全くと言っていいほど感じていなかった恐怖をふと感じて唾を飲み込む。こんな事なら、財前に見つかる前にさっさと飛び降りておくんだった。
あまつさえ後ろからがっちりと支えるよう腹に回された腕に、安心感を覚えてしまうだなんて。

「……なんなんだよ、一体何がしたいんだよ。僕のことが嫌いだから、うざいからいじめてたんじゃないの、?死ねって、何度も言ってきたじゃないか……っ、なのに、なんで、今更こんな……」

今日まで続いたいじめの数々を思い出して溢れ出る涙をそのままに強く目を瞑る。悲しい?違う、悔しいのだ。悔しくて悔しくて、情けなくて、もう僕は死を選ぶことしか、できなくて。


きっかけなんてもう思い出せない。何か大きな間違いをしてしまったというわけでもない。

ただある日なんとなく、陰口が始まった。それは次第に無視となって周りに拡がり、無視だったものが嘲笑になり、直接的な悪口になり、いじわるになり、暴力になった。僕にとって学校は苦痛そのものになった。
いじめに加わらない者もいたけれど、みんな見て見ぬふりをして、結局助けてくれる人はだれ一人といなかった。

もう僕は、人生に絶望をしたのだ。自らの手で終わらせようとしていたのに。


「もうやめたろか、いじめんの」
「……え?」
「他の奴にも言ったる、いじめんのはやめにしよて。もう嫌なんやろ、耐えられへんから飛び降りようとしたんやろ」
「…なに、なんでそんな事……」

財前の意図がわからず、訝しく思って眉間に皺を寄せる。

そんなのやめてほしいに決まっている。いじめられることが辛いからこうやって死ぬことまで考えていたのだ。

その元凶がもし無くなるのなら、平穏な学生生活を送らせてくれるなら……それ以上に望むことなんて、もう何もない。……けど。
財前にそんな事をするメリットなど一つもないはずだ。僕の事をいじめて笑っていたやつが、何を今さら。そう思うのは、別に不思議な事ではないはず。

後ろから抱きかかえられる体勢のままのせいで財前の表情は何一つわからない。しかし不意に耳元にふっと吐き出した息がかかって肩が跳ねる。笑ったのだろうか、なにも、おかしいことなんて言っていないはずのに。


「ええで。俺からやめるよう言ったる」
「……、……それは、ほんと…に、?」
「おん、嘘はつかへん、安心せえ」
「………、」

「せやけど」
僕の無言の喜びを感じ取ったのか、財前が僕の希望をへし折るように静かに続ける。

「俺の言うこと聞けるんやったら。やけど」
「……」
「せやな。例えば…まずここで俺にキスしてみい」
「っ!?な、なに……え、」

財前の発言に目を見開き咄嗟に顔だけ振り返る。
財前はまるで楽しむよう口に弧を描くと腹に回した腕をぱっと離して身を引いた。

離れていく体温と出来た隙間に吹き込む風に、無意識に宙に投げられた足元に目を向けてしまい、そして後悔する。
いくら時間が経っても、いくら死にたいという気持ちが薄まって行こうとも、現実僕のいる場所の高さが変わることはないのだ。僕は今、死と隣り合わせにある。

「それとも、ここで死ぬんか?」
「なに、なんで、そんな…何考えて……」
「別に俺の考えなんて知ろうとせんでええねん。ただ高瀬は選べばええ、いじめのなくならないいつも通りの教室に絶望して死ぬか、俺に助けを乞い生きるか。なあ高瀬、どないする?」

「死ぬんやったら、手伝ったるよ」
そう事も無げに続けて言い笑う財前は俺の背中に手を添えるとあろうことか、そのまま背中を軽く押したのだ。

「!」

瞬間、視界がぶれて体勢が前のめりになる。情けない悲鳴も、音として出ることはなくただ喉から漏れた空気がヒュ、っと鳴るのみ。
財前が肩を掴んで、そのまま前のめりになって落ちることはなかったものの手汗が一気に噴き出し心臓が煩く鳴る。
嫌な汗が額に浮かんで、恥ずかしいことにもそこで初めて自分の死をリアルに感じたのだった。


「なあ、あてたろか?」
「………」
「死にたい、なんてただの勘違いやったろ。お前、ほんまは死にたないねん。誰よりも生きたくて、でも誰より人生に絶望してるだけちゃう?なあ、俺がお前を救ったる。そこから助けたるよ」

せやから、俺に助け求めてみいや。
財前の手が僕の手に触れる。冷え切ったその手はまるで鉄製のロボットみたいで、なんで財前はここまでして僕に付き合うんだろうとぼんやり思う。

死なれたら困るとか、そういう単純な理由ではないのだろう。なら次はそういう嗜好のいじめる方法に切り替えたとかなのかな、他の奴にいじめられなくなって、財前一人のいう事を聞くだけでいいんだったら負担はきっととても減る。もしかしたらとんでもない要求をされるかもしれないけれど、でもそれでも、今ここで死ぬよりも、彼の手を取ることはずっと簡単なことだった。

「こっちきい」

財前が僕の腕を引っ張る。
僕は引っ張られるがままに財前との距離を詰めて、その唇に自らの唇を押し付けた。

「……」

2秒か、3秒か。押し付けた唇をゆっくり離して、おずおずと財前を伺う。
財前はいつもどおり鋭い目つきで俺をじっと見つめると、まるで解けるように小さく笑った。
その笑みに目が奪われる、今までこんな表情一度もみたことがなかったから。
こんなに優しく笑うこともできたんだ、…いやもしかしたら、僕がそう感じているだけなのかもしれない。本当に財前が僕を助けてくれると、救ってくれるとどこかで信じていたのかもしれなかった。

財前の手のひらが僕の手を強く握り、恐怖で腰が砕けて立ち上がれないでいる僕を支えて策の内側へと引っ張っていく。
ようやく安全圏に入ったところで財前はグっと伸びをして空を仰いだ。

「いや屋上寒すぎやわ。さっさと教室戻るで」
「……」
「なにぼんやりしてんねん。行くで、青」
「…な、名前……なんで…」
「お前はもう俺のもんやろ、何て呼んだってええやろが」

青。そう何の気なしに呼ばれた自身の名前に頬が熱くなる。

いじめっ子に何を期待しているのか。財前は今まで僕を助けてはくれなかった、僕を苦しめいじめてきた人間ということは自分でも一番理解しているはずなのに。
心臓が煩い。これが吊り橋効果とかいうやつなのだろうか、それともこの先の未来に対する高揚かはたまた緊張か。

立ち止まったままの僕を振り返り、呆れたようにため息を吐く財前。
彼のその様子に怒らせてしまっただろうかと、いつもの習慣で肩が跳ね心臓がキュっと締まって嫌に汗をかく。やっぱり、そう簡単に普通には戻れないことを痛感させられる。

財前はそんな僕の様子をジっと見つめると徐ろに手を取って、そのまま前を向いて歩き始めた。引っ張られるよう歩いていく。財前は振り返ることもせず前を見据えたまま、呟くように言った。


「もうお前は他の奴にはいじめさせへん。俺だけのもんや」


「精々覚悟しとき」そう言う財前の背中をジっと見つめる。
まるで愛の告白のようなそれに、もう僕は何を考えたらいいのか、何もわからなかった。ただ冷たい風が吹く。

僕の人生はどうなっていくんだろう。今日ここで死を選ばなかったことを、いつかよかったと言える日がくるだろうか。
それなら、いいな。

繋がった冷たい手に縋るよう、ぎゅっと力をこめる。財前は振り向きもしないし何の反応も見せなかったけれど、教室の前につくまで、その手が離されることはなかった。


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