*ネタ提供


しいていうのであれば、今日はいつもより目覚めが良かった。
それは昨晩、いつもより早めに布団の中へ潜り込んで目を閉じたからか。
それとも窓から差し込む太陽の光があまりにも優しく温かかったからか。
朝のニュース番組の占いで1位だった私は漠然と、今日は何かいいことがありそうだなとそう感じていた。・・・感じていたのは確かだ。確かに私はそんな事を悠長に思っていた。しかしそれは精々100円を拾うだとか、誰か人のやさしさに触れるだとか、旧い知り合いにばったり出くわしたりするとか、そういった些細な幸せが訪れそう――というだけのことであって、別に私は彼とのこの再会に幸せを見出したりはしないし出来ることならば最後に会ったあの時の記憶のまま、きれいなまま大切に仕舞っておきたかった。(旧い知り合いと言ってしまえば確かにそうなのだけれど!)


「えー、今日からうちへ異動になった白石くんだ。大阪支社での営業成績はトップ、皆も白石くんに負けず頑張ってください。いい刺激になることを期待しているよ」

そう言って集まる社員の前で部長が紹介したのは、優しいミルクティ色の髪の色をした端正な顔つきのイケメンだった。その顔面偏差値の高さに女子社員が色めき立つ。かくいう私もその中の一人で、彼の整った顔立ちに圧倒されて、まじまじと観察するように彼の姿をじっと眺めた。あんなイケメン中々いない、しかも高身長。そのうえ若いのに営業成績トップって。どんだけ完璧なの?すごいなあと素直に感心しながら部長の紹介を聞いていると、ふと彼、白石さんと目が合った。切れ長の目と遠くからでもわかる少し色素の薄い瞳の色に、まるでひきつけられる様に目が離せなくなる。彼と絡み合う視線に心臓が高鳴る。ああ、本当に綺麗な顔。まるでお人形さんみたい。・・・“まるで、お人形さんみたい”?

「……、」

何かが記憶を揺さぶった。瞬間まるで降りかかるように様々な記憶が溢れ出して、・・・そうだ。私は以前にも、誰かに同じ感想を抱いたことがあった。
整った綺麗な顔。大きな瞳と形の良い鼻、きめ細やかで真っ白な肌、整った綺麗な顔。お人形さんみたいなお顔。
桜色の唇が小さく、私の名前を呼ぶ。ハルちゃん、僕らまたきっと会えるよねって。私は何度も頷いた。会えるよ、ぜったいに会える。会いに行くよ。そう言ったはずなのに。結局、それっきり。連絡をとることもなく再開を果たすこともなく、私たちは大人になってしまった。

それは、小学校に上がる前のこと。私がまだ大阪に住んでいた時の記憶。
――…くーちゃん。それは昔、近所に住んでいた優しいミルクティ色の髪の色をした男の子の呼び名。



控えめに抑えられた話し声がどこからともなく聞こえてきて、はっとする。色めき立つ女子社員のささやき声だ。周りを見渡せば、どこもかしこも女子たちの視線は白石さんに釘付けで、彼を見る目は輝いている。というか、狙っている。その眼光の鋭さに狩る者の気迫を感じて気圧される。いやしかしわかるよ。こういうのは初手が大切だものね。
そう思いながらも改めて白石さんに目を向けると、もう白石さんはこちらを見てはいなかった。




一段落ついた仕事をファイルに保存して、ぐっと伸びをした。時計はもう昼休みの時間を指している、周りの同僚たちも各々動き始めたのを眺めながら、今日はコンビニで適当に済まそうと財布を手に取って席から立ち上がった。

「……?」

廊下の少し先の方が何やら騒がしい。何事だろうかと思いながらもエレベーターに乗るためにそちらへ向かって廊下を歩いていくと、エレベーターの少し手前。そこで今朝紹介されたばかりの白石さんが女子社員数名に囲まれていた。
ああ、そう言う感じね。まあそりゃあれだけの顔面をもっていたら周りの女子たちが放っておくはずがない。きっとこちらへ異動してくる前の大阪でも変わらず、そして社会人になる前の学生のころからずっと彼はそうやって生きてきたのだろう。

「よろしかったらお昼ご一緒にどうですか?」
「近くに美味しいカレー屋さんがあるんですよ!」

「へえ。カレー、ええですね。ほんなら女子会にお邪魔させてもらおかな、」

女子社員の数名に囲まれた白石さんは特別困った様子もなく、かといって浮足立つような感じでもなく至って普通に会話を楽しんでいるみたいだった。そんな彼の様子に嬉しそうにする彼女たちは社内でもかわいいと評判のグループだ。きっと白石さんみたいな人には彼女たちのように誰からもかわいいと言われるような女の子でなければ釣り合わない。私のような地味子が彼らのようにキラキラした人種にお近づきになれるのは少女漫画の中の世界でのみなのだ。


「あ。落としましたよ」

足早にそこを通り抜けようとして、それを引き留めるように背後から声が投げかけられた。瞬間体が固まる。まさか、私だろうか。恐る恐る振り向くと、案の定というか。彼、白石さんは廊下に落ちたタオルを拾い上げてこちらへ向かってにこやかに手を振っている。彼の手の内にあるタオルは確かに今朝私がポケットにねじ込んだハンドタオルで。
ああ本当私馬鹿。なんでこのタイミングで、楽しそうに談笑する彼女たちの目の前で落とし物をするかなあ。羞恥と気まずさと何かほかにもいろいろな気持ちが全て綯い交ぜになって、気が動転してしまって言葉が何も出てこない。きっと私の今の顔は見るに堪えないだろう。ダメなのだ、昔から。こういう予測不可能な出来事が起こると頭が真っ白になって何も考えられなくなってしまう。しかし今はそうも言っていられない。自分に喝を入れるようにぎゅっと財布を握る手に力を込める。
私は慌てて白石さんの元へ駆け寄って、どうにか絞り出すように、小さな蚊の鳴くような声でありがとうございます、と彼女たちの突き刺さるほどの視線を感じながらも礼を述べた。
白石さんはなんてこともないようにいいえ、と笑顔で言って私にそのタオルを手渡した。瞬間また目が合うが、彼は人の良い笑みを浮かべるのみ。やはり今朝の事は全て考えすぎ、気のせいだったのだろう。
そもそも幼いころの友人が彼だという確証は元々なかった。
他人の空似、私のただの勘違いということだったのだろう。それに例え白石さんがあのくーちゃんだったとしても、彼がその事を覚えていないのならそれはもうそれまでの話だ、私は全て気が付かなかった振りをしよう。それがきっと、お互いにとって一番の選択だ。
私は小さく会釈をして、踵を返して歩き出した。




「とまあ、そないなことが今日の12時くらいやったっけ?ほんま薄情になってもうたな…これが東京に出たモンの末路っちゅうの?いややわあ…」

「あの……いったい何が、…えっと」

目の前に寄せられた綺麗な顔に、目のやり場に困って視線を逸らす。すぐ後ろは壁。なんでか私は現在、壁に追い詰められている。それも、あの、白石さんに。
もうわけがわからない。今の私はきっと、混乱と羞恥と恐怖で青いのか赤いのかよくわからない顔をしているだろう。なんでこうなったか、なんて私にもよくわからない。今日の業務が全て終わり、さあ帰ろうと思って会社を出たところまでは覚えている。ただ、そのあとすぐに…なんでか…どうしてか…駅につく直前で私は白石さんに呼び止められて、そして…あれ、なんで?


「まさか俺の事忘れたわけやないやろ?十何年も人の事待たせといて、自分だけ自由に生きてきたとか言わへんよなあ」
「あ、あの白石さん…!少し、ちか……っ、」
「ちゃう」

離れてもらおうと白石さんの肩を押したのに、その手を取られてさらに引き寄せられては元も子もない。
鼻先がくっついてしまうほどの距離の近さに最早眩暈がするが、白石さんはそんな私の様子を苛立ちげに見つめるともう一度、ちゃうやろ。と呟くように言った。何が違うというのか。確かに彼の事を思い出したのは今日だった。白石さんが言う通り、私は今までずっと彼の事を忘れて生きてきた。けれどそれがどうしたというのだ。まさか幼いころの友人が忘れられずずっと捉われて生きてきたというのか。白石さんのような完璧な人間がそんな、たかが小さなころのなんのアテも確証もない約束に捉われ続けるだなんて。そんなの阿呆らしい上に馬鹿みたいなことがあってたまるか。
いい加減離れてください、とその距離に耐え切れず白石さんの名前を呼ぶが、それに彼はまたも怒ったような表情を浮かべて、被せるように私の名前を呼んだ。

「ちゃうって!……くーちゃんって、呼べや」

突然の大きな声に肩を震わす。白石さんも、こんな声を出すんだ。そのことに驚いて、更に彼のまるで子供のような願いに私は呆気に取られてしまった、
白石さんって、なんやねん。続けて出た彼の台詞はもう耳に入ってこない。そうか、本当に彼はずっと、幼いころの私との約束に捉われ続けていたのか。


「……くー、ちゃん」

こぼれるように出た彼の名前に、くーちゃんは悲し気に顔を歪めて、そしてようやく笑ったのだった。




(なかったことになんてさせへんから)
知らんぷりする夢主にぐいぐい行く白石
すみませんすみませんこんなはずではなかったのに…あれえ……???