「――・・・それじゃあ、週末は会えないんだ」

「すまん、多分こっち帰ってくんの日付跨んねん。次の日から遠征やし・・・ごめんなあ」

「ああ、いいよ別に。家族で出かけるなんて滅多にないだろ、それはそっち優先して」

「ありがとハル。絶対埋め合わせするから、来週ちゃんと空けといてな」

「ん。楽しんできて」

「・・・ハル、こっち」


唇が軽く触れた。
すぐに離れていく体温に小さく笑うと、白石は少し照れたように頬に朱をさす。学校でチューは新鮮やな、なんて言って視線を逸らして笑う白石に、そんなに照れるくらいならしなければいいのにと思う。

同じクラスの白石とは、交際を始めて半年が過ぎようとしていた。俺たちは男同士で、元々は友達同士だったけれど恋人になった今はお互いがお互いの事を好きでちゃんと大切にしようとしている。と俺は思っていた。少なくとも俺はそう思っているし、大切にされているということも身に染みてわかっているつもりだ。だから俺は白石に対して本気で向き合えてるしこれからの事も考えられるのだろう。男同士だからといっても、俺たちは至って普通の恋人同士に変わりはなかった。


「それじゃ、俺は帰るから。委員会頑張って」

「おん。気をつけて帰るんやで、また夜電話するわ」

保健室のイスに腰かけて手を振る白石に背を向ける。
白石はこれから保健委員の仕事がある。帰りのHRが終わってすぐ此処まで引っ張り連れてこられて冒頭に至るわけなのだが、白石は人のいないところでゆっくり話をしたかったのだろう。教室で話すのも保健室で話をするのもあまり大差ないと思うが人目がない分(これもまた保健室まで来てみなければわからないことだったが先生も生徒も誰もいなかったので)割と二人の時間を過ごせた気はする。
週末会えないのは少し残念だが仕方のないことだ。最後に顔だけ振り返って手を振る。白石が微笑んで手を振り返したのを見届けてから保健室の扉をゆっくり閉めた。


「ハル先輩」

「・・・財前?」

名前を呼ばれてはっとする。
同じ委員会の後輩である財前がいつも通りのつまらなさそうな顔で、保健室の目の前の廊下の壁に背中を預けながらそこにいた。
両手をポケットに突っ込み何かを待つかのようなそのポーズに首を傾げる。保健室の前にいたということは、保健室に用でもあったのか。というか、いつからそこにいたんだろう。

保健室内のやりとり、まさか聞こえてたりしないよな。
財前は俺の委員会の後輩でもあるが白石の部活の後輩でもある。万が一にでもバレでもしたら白石に迷惑がかかるのではないだろうか。財前は、そういう偏見を持っていたりするようには・・・いや、ちょっとわからないけれど、それでも俺と付き合っていることが理由で白石と財前の関係が崩れでもしたら最悪だ。聞こえていなければいい。いや、待て。別にそんなにおかしい話はしていない、し。・・・おかしい話、してないよな?
視線を宙に彷徨わせて、あー。と声を漏らす。ここはとりあえず普通に会話を続けてみよう。気を取り直して、不自然にならないように笑って尋ねた。

「どうした?保健室に用か?」

「ハル先輩こそ。保健室に用っすか?」

「質問に質問で返すなよ、俺は別に・・・白石とちょっと週末の話してただけだ」

週末?方眉を上げる財前に、これは聞こえてなかったっぽいなと安堵する。よかった、無用な心配だったみたいだ。
廊下を通行する生徒たちの邪魔にならないよう財前の隣まで移動して、そう。と話を続ける。

「週末遊びにいく予定だったんだよ。あっちが予定入ったからキャンセルになったけど」

「へえ。それでお詫びのキスもろうてたんすか」

「・・・は、・・・え、?」

「にしても不用心やないっすか?隠してるんやったら学校ではやめといた方がええと思いますけどね」

「・・・いや、財前、・・・あのさ」

「目にゴミだとか角度がとか言い出さんといてくださいね。あんな甘ったるい雰囲気出しておいてそないな事言われても説得力に欠けんねん」

血の気が引いた。始終興味がないようにこちらを向きもせず話を続ける財前はまるで追い打ちをかけるかのように「にしても白石部長が男とねえ」と呟いた。まるで見えない糸で縫い付けられたかのように、その横顔から目が離せない。聞こえていた、んじゃなくてコイツ見ていた。なんの言い訳も取り繕う事も出来ずに、失くした言葉を探してただ口を開閉するのみ。
しかも意地が悪いのは目の前にいるのは俺のはずなのに、白石の名前を出すところだ。ただからかっているだけか、それとも何かほかの思惑があるのか。・・・全て、俺の考えすぎならいいのだけれど。

「財前、」

「付き合うとるんですか?部長と」

「・・・」

そこで漸く財前と目が合った。
まるで射る様な・・・蔑むようなその瞳に嫌な汗が浮かぶ。違う。別に、財前はそんな目をしているわけじゃない。俺が勝手にそう感じているだけで財前はいつも通り、ただ単に気になったことを尋ねているだけなのに。そんな風に思ってしまう自分に嫌気がさした。

きっとごまかしは効かない。財前のこれは質問ではなく確認だ。
俺は視線を彷徨わせて、そして小さく頷いた。財前はぶっきらぼうで冷たい人間にも見えるが、実はいい奴だという事を俺は知っている。馬鹿にしたり蔑むことはきっとしない。そう、決して先輩が男同士で付き合っていたとしても。


「財前、この事は・・・」

「まあ、なんとなく気がついとったし。秘密にしとるんやったら黙っておきますわ」

「あ、ありがと」

予想外にも・・・といったら失礼だろうか、返ってきた普通の返事に呆気にとられる。こんなもん、なのか。そうか、全部俺の考えすぎだったんだ。・・・よかった。いつもと変わらない財前の様子に漸く何も恐れる必要などなかったことに気がついて、心の底から大きなため息を吐き出した。気の抜けた俺の様子に財前は少し目を細めて前を向く。廊下を歩く生徒たちが俺たちの前を通り過ぎていくのをぼんやりと眺めた。


「ああ、よかった・・・そうだよな、こんなもんだよな」

「何を想像してたんすか」

「脅されたり言いふらされたり。初めて人にバレたからさ、・・・あー、バレたのが財前でよかった」

心の底からそう思った。本当に、バレたのが後輩の財前でよかったと思ったのだ。さっきまで散々疑い怯えていたというのに大した心変わりだと笑うだろうか。
それでもいい、俺と白石とのこれからに財前は首を突っ込んでは来ない。俺にとってはそれだけが全てだった。ただ誰にも邪魔をされたくない。それだけだった、のに。


「まあ、それは全部あんた次第やけどな」

「・・・え?」

「俺かてこんな悪役みたいな事言いたないねん。せやけど、仕方ないやん。これが一番手っ取り早いんやから」

「・・・待って財前、何の話を・・・」

してんの。そう続けようとして、押し黙る。財前は笑っていた。とても楽しそうに、まるで何か悪戯を思いついた子供のように笑いポケットに突っ込んでいた手を取りだした。その手にはスマホが握られていて、俺のことなど気にする素振りも見せずスマホをいじり始める。一体、なんなんだ。どういうつもりなんだろう。何を、しようとしているんだ。嫌な予感が胸をざわつかせたけれど、これもまた俺の考えすぎに違いない。きっとそうだ、からかわれているだけだ。自分にそう言い聞かせて、隣で黙ってただ財前を待つ。財前が携帯をこちらへ傾けた。動画が流れる。場所は、保健室。映る人物は、白石と俺だった。

「っ、お前、どういうことだよ!?」

「しいって。ここ廊下っすけど騒いでええんですか?あんたにとって不都合でしかないと思いますけど」

「っ、……一体、どういうつもりだよ」

財前のスマホを掴んで問いただそうと、そして動画を消させようとするが、そこでガラガラと音を立てて目の前の保健室の扉が開いた。そこから現れる人物に身を固める。そうだ、ここは保健室の前で、中にはずっと白石がいたのに。


「ん?あれ、まだおったんハル・・・と財前?どないしたん二人で保健室の前で・・・」

詰め寄る場面を、白石に見られてしまった。
真っ白になる頭は使い物にならない。しかしどこかで白石にバレてはいけないという思いが強く働いて、気が付けば口から出てきたのは取り繕うような言葉ばかりだった。

「白石、いや・・・たまたま会って、雑談中・・・」

「委員会のあれこれ決めへんといかんのでこれから場所変えて話し合おうかっちゅー話をしてたところっすわ」

よくもまあそんな嘘っぱちがペラペラ出てくる。フォローするように付け足された財前の台詞はいかにもそれっぽい。ここでせっかくのフォローを台無しにするわけにもいかないので否定することも出来ず、しかし特に相槌を打つでもなく黙り込む。それでも押し黙る俺からは不機嫌なオーラが滲み出ていたようで、白石はなんちゅー顔してんねん、と小さく笑った。


「いや・・・中々、意見が合わなくて」

「まあそのための話し合いやろ?頑張ってな、ほな俺職員室までいかなあかんから」

「ん、じゃあ」

手を振って廊下を行ってしまう白石を見送る。本当は財前が脅してくる、助けてと言いたかったけれど、脳裏に過る先ほどの動画がそれを止めた。・・・白石に、迷惑はかけたくない。
財前は上機嫌な様子で俺の頭に手を置いてまるで犬か何かにするかのようにわしゃわしゃと撫でまわす。それを払いのけて財前をきつく睨み付けた。


「怖い顔してもどうしようもないっすよ。ほな、俺たちも行きましょか」

「待てよ。・・・お前、本当どういうつもりなわけ?回りくどいことしないで言えよ」

いつまで引っ張るつもりなのか、声を押さえながらそう言うと財前は何も答えずジっと俺を正面から見つめた。
何も言わない財前に痺れを切らして、今一度彼の名前を呼ぼうとしたとき、財前はわかりました、と話し始める。


「ほんならハル先輩、俺に男を教えてもらえません?」

「・・・は?」

「前から興味あったんすわ。せやけど、こないな事誰に言うわけにもいかんし」

「いや、俺は・・・」

まさかのカミングアウトにしどろもどろになってしまうが、財前はそれを一蹴するように鼻で笑うと髪をかき上げた。

「せやろ、やっぱ渋るやん。せやからわざわざ回りくどい方法で、・・・つまり脅してるわけなんやけど。これ、お願いちゃいますから。命令っすよ」

「・・・」

命令。その単語が嫌に耳に残る。
つまり俺に拒否権はないと言いたいのだろう、これは立派な脅迫他ならないのだが財前は至って普通・・・いや、いつもより涼しい顔をしてどうですか?と首を傾げている。
どうですか、じゃない。そんなの聞いているようで全然聞いていない、命令なら俺の答えなんてどうでもいいはずなのになぜわざわざ聞くのだろうか。財前の意図が全然わからない。なんて答えるべきかわからずに黙り込んでいると財前は顔を顰めてため息を吐いた。まるで出来の悪い飼い犬に呆れる様なその仕草に一瞬ムッとするが、そんな俺なんてお構いなしというように財前は壁に預けていた背中を離して、にこりともせずに手を差し出すとそのまま俺の手を取って指を絡ませた。


「そんじゃ、まずは手でも繋いでみますか」

「ちょ、財前!ここでそんなっ」

「手くらい誰も気にしませんわ。ほな行くで、部長戻ってきたら元も子もあらへん」

「っ財前!」

聞く耳を持たない財前に引っ張られ廊下を歩いていく。すれ違う生徒たちは俺と財前の繋がれた手には全く気がつかない。例え気がついたとしても深くは考えないだろう。財前の言う通り、手くらい誰も気にしないのだ。

振りほどくことも出来た。なのにそうしなかったのは、やはり脅されているという自覚があったからかそれとも、男に興味があるという財前に自分を重ね、そして同情したからか。

繋がれた手は熱を持ち、少し汗ばんでいた。



つづく


男に興味があるんじゃなくて主に興味があるんだけどそうは言えなかった財前くん。涼しい顔して内心すっごくドキドキしてる。
ぜひこのまま寝取られてほしい