*ネタ提供


「わっ、わっ、」

腕に抱えた書類が風に舞う。
廊下の窓は全開になっていて、そこから吹き込む風に吹かれたのだと顔を青くさせた。すぐに手元の書類を胸に抱き抱えるが時は既に遅し、半分以上の紙があたりに散らばってしまって、私は深く息を吐き出した。

「何やってんねん。ほんまトロいなお前。はよ拾わんとまた風に吹かれるで」

「光……」

どこから現れたのか、気がつけばすぐ後ろに立っていた幼馴染の名をおずおずと呼ぶ。光は私の様子に呆れた顔をして床に散らばった紙を拾うために腰を屈めた。

「ご、ごめん…」

「ぼけっとしてへんでもっとしっかりせえやアホ」

「うん…」

光の言い方は相変わらずのキツさだったけれどその口ぶりと反して、遠くの方まで吹かれてしまった紙まで取りに行ってくれた。光のダルそうな後ろ姿を見つめながら、その優しさにじんわりして、私も辺りに散らばってしまった紙を拾って行った。



結局回収するのに1分もかからなかった。一人で集めるよりも全然早く回収し終えた書類にホッと息を吐いて、どんくさ。と追撃してくる光に遠慮がちに笑みを浮かべた。

「あ、ありがと光…、助かった」

ん。小さく答える光となんとなく並んで廊下を歩いていく。
私は幼い頃から鈍臭かった。そんな私をいつも隣で見て、罵りながらも助けてくれたのは他でもない光だったのだ。
光の存在があったからこそ、私はきっと、今まで特に大きな問題にぶつかる事もなく平和に暮らせてきたのだろうと思う。もしかしたら車に轢かれてたかもしれないし虐められていたかもしれない。光に、私は助けられて生きてきた。


「ハル、またやらかしたのー?」

「財前、お前しっかりハルのこと見てろよな」

すれ違いざまにクラスメイトに投げかけられた声に二人して振り返った。クラスメイトはそんな私たちの様子を可笑しそうに笑いながら、廊下を歩いて行ってしまった。

まるでその場に取り残されたように立ち尽くす。
…これ。ずっと昔から言われてきたけど、私はあまりこういう風に言われるのが好きではなかった。

私たちはただの幼馴染で、私が他の人よりもぼけっとしてて、光が他の人よりもしっかりしてるだけの事。
今思えば小学生の時、もたつく私にいい加減呆れかえった先生が、お隣さんだからって私の面倒を光に押し付けたことが事の始まりだった気がする。
小さな頃から数えきれないほど光には助けてもらってきた。けれど、私たちはもう高校生だ。周りの二人は一つみたいな評価は、なによりも光に申し訳ない。

「あいつら好き勝手言いおって」

「ひかる、」

「ハルの保護者ちゃうぞ」

「あの、私…」

ぶつくさと文句を垂れながら前を歩いていく光。
もうこんなのやめにしなくちゃ。いくら幼馴染とはいえ、光が私の面倒を見なれけばならない理由なんて何もない。私が光を頼ってばかりなのが、いけなかったんだ。

「光っ」

「なんやねん、いきなりデカい声出すなビビるやろが」

「わ、わたしもう、だ、っ大丈夫だから…!あ、あの、もう気にしない、で……」

「はあ?」

いっ、言った…!
自分の思いを光に告げた感動から書類を抱える手が震える。ずっと悩んできたことだったけれど、その悩みは高校生になってから益々強くなる一方だった。光は彼女も作らずに私に構いっきり。光の部活がない日は登下校は一緒だしお弁当だって二人で食べている。こんなことは、もうやめにするべきなんだ。

よく言った。私、もしかしたらこのまま上手く一人でもやっていけるのではないだろうか。
不思議な高揚感に満ちてドキドキした。光も、やっと私から解放される。少し寂しいけれど、これでいいんだ。そうだよね、光もおんなじ気持ちだよね。そう思って少しワクワクしながらどんな顔をしているのか光を見上げたのが、いけなかった。


「何。急に」

底冷えするような瞳と、低い声が私を一瞬で支配する。光の事はずっと隣で見てきたからわかる。光、いますごく怒っている。
高揚感なんて、もうどこにもない。
私、へんなこと言っちゃったのかな。

「わ、私たちもう高校生、だし、自立しようと思って……それに、光の負担に、もう…」

「はあ?負担?なんやそれ、誰が言ったん」

「い、いや…っ、私が勝手に、」

「他に好きな男でも出来たんか」

「違うよ!そうじゃなくて、」

「ふうん。わかった、ええよ」

しっかりせえよ。そう言い残して一人で廊下を歩いて行ってしまった光の後ろ姿をじっと見つめる。意外にも、最後はあっさりしていた。
私、光のことを怒らせてしまったんだろうか。呆れられた?でも、これでもう光に迷惑をかける事はなくなった。あとは私がしっかりすればいい事。

一人残された廊下で立ち尽くす。頑張らなくちゃ。もう助けてくれる人はいない。
書類を抱える腕に無意識に力が入った。





次の日、久しぶりに一人で学校まできた。朝はいつも光と一緒だったから、なんだか不思議な感じだったけれど、でも一人で登校した事によって否応無しに頑張らなければならないと改めて実感したのがよかった。


いつもは光が先に入ってくれる教室も、今日は私が一歩を踏み出さなくちゃならない。
教室の扉に手をかけて、ゆっくりと開く。
一歩足を前に出すと、先に登校していたクラスメイトたちの視線が一斉に注がれた。そしてすぐに離れていく。いつも通りの教室の風景だった。

「…」

私は何をそんなに構えているのか。大丈夫、全ていつも通りだから。隣に光がいないだけで、他は全て同じなんだから。
自分に注がれる視線が消えたことにほっとしながら、自分の席へ向かう。まずは挨拶から、だよね。机の上に鞄を置いて席に着く。小さく深呼吸をして、強く手を握った。

「おっ、おはよ…!」

「えっ、あ……うん、おはよ」

隣の席の女の子は驚いたように目を丸めて、そしてすぐに目線を泳がせ小さく挨拶を返した。
そしてすぐに席を立つと教室を出て行ってしまう。
あれ?私なんか、おかしかったかな。女の子が出て行った後の教室の出入り口をぼーっと見つめて、いやたまたまだよね。と気を持ち直す。
そういえば教室に入ってから心なしか、視線が刺さる気がする。そして微かに聞こえてくる話し声と笑い声。きっと、全て私の気のせいなのだけれど。

それから程なくして、登校した光が教室に入ってきた。
私の斜め前。席に着く光に唾を飲み込んで、彼の名前を呼んだ。

「ひかる、おはようっ」

「ん。はよ」

顔だけ振り返って、怠そうに挨拶を返してくれた光に詰めていた息を吐き出す。
よかった、いつも通りの光だ。昨日怒っていたようだったから不安だったけれど、それは杞憂に終わったらしい。
前を向き眠そうに欠伸をかみ殺す光の姿に、私は心から安堵した。


しかし、それからの一日は考えていたよりもずっと大変だった。
化学の授業でペアを作らなくちゃいけない時、誰も私とは組んではくれなかった。代わりに先生と一緒に実験をした。体育の授業も同じ、私とペアになってくれる子は誰一人いない。
お昼の時間。勇気を出して女の子のグループに一緒に食べていいか尋ねるも申し訳なさそうに断られてしまった。
私は取り繕うように笑い教室から逃げるようにして、結局一人空き教室でお弁当を食べることになった。

今日一日で、私は気がついた。
隣に光がいない私に価値はないんだ。誰も私と一緒にいたくないしそもそも興味もない。私って、なんなんだろう。


「ハル、なんちゅー顔しとんねん。ぶっさ」
「光…」
「もうめげとんのか。まだ一日しか経っとらんで」
「わたし、」

放課後の教室。他のクラスメイトはみんなもう帰った。光ももう部活に行ったと思ってたのに、教室に現れそう声を掛けてきた光に俯く。
…そうか、そういえば今日は部活休みの日。週に一回一緒に帰る日だったんだっけ。

私の様子に何かを察したのか、呆れたように長いため息を吐き出す光に私はもう何も言えなくなってしまう。
光の言う通りだ、まだ一日しか経っていないのにもうめげている。しかもこの状況を作り出したのは自分。こんなの、馬鹿みたいだ。もう、何もかもが嫌だった。


「迷惑とか負担とか、余計な事考える暇あったら他のことせえ。大体何を今更なことを」
「でも、私のせいで光に彼女出来ないし、友達と遊んだりも出来てない」
「せやからそーゆうんが余計やって言っとんねん。」

光は黙り込み俯く私の頭を両手で掴むと無理やり視線を合わせた。
その瞳は強く真っ直ぐに私を射抜く。いつの間にか、こんなに身長差が出来てたんだと場違いにもそう感じた。

「ひかる、」
「そんなに気になるんなら、ハルが彼女になればええ。彼女の面倒見るんは彼氏の役目やろ」
「え………」

呆ける、とはまさにこの事。一体なんの話……えっと、私が、光の彼女?
至って真面目な顔で話を続ける光に、状況を上手く飲み込めずに顔をしかめた。そして数秒間の沈黙。光の言ったことを徐々に理解して、一人顔を真っ赤にさせて口を開閉させた。

「まっ、待って、彼女?私が?そ、そんなの、」
「一人ぼっちはもう嫌やろ。俺が隣で我慢せえよ」
「そっ…んな、…」

今日一日の事を考える。
断られたり、逃げられたりして辛かった。悲しかった。今まで気がつかなかったけれど、ひとりぼっちは寂しい。ひとりぼっちは、もう嫌だ。
思い出すだけでも辛い。つい泣きそうになって、ぎゅっと光の制服の袖を掴む。一日光が隣にいないだけでこんなに辛いなんて、知らなかった。唇を強く噛む。
私はなんて、弱い。

「もう一人にはさせへんから安心しい」
「……うん。」

袖を掴んだ手を、そっと握られる。
その手の温かさと、光の熱を帯びた瞳にどきりとする。光ってこんな顔するんだ、へんなの。こんなの、知らない男の子みたいだ。

夕焼けに染まる教室で、幼馴染だった彼と唇が重なった。
この日から私と光は彼氏彼女の関係になったのだった。




首謀者財前
これで俺のもの。
(囲んでいくやばめ財前)