*ネタ提供


今から10年前。俺がまだ中学三年生だった時のことだ。ある日たまたまクラスメイトとぶつかった事があった。相手の名前は、白石蔵ノ介。廊下の曲がり角で出会い頭に衝突したのだったが、特別仲が良かったわけではないが仲が悪いわけでもない白石とは別に揉めることもなく、互いに謝罪とお互いを労わる言葉をかけるのみだった。

なぜ俺がそんなただのクラスメイトのイケメンと、たかがぶつかった事を覚えているかというと、それはだ。

「ハル、久しぶり。俺の事覚えとる?」
「…白石か?うわ、久しぶりだな。えっ何、どうしたのこんなところで」
「会いに来たん」

ずっと会いたかった。そう言って笑う古い級友に、身体が強張るのを感じた。
本当に、中学を卒業してからの10年ぶりの再会なのだ。喜ぶだとかそう言った感情よりも前に湧き上がるのは単純に驚きと、不審感。ばったり会ったとかそういうわけではない、まるで待ち伏せしていたかのような登場の仕方に俺は彼を怪訝に思った。
あの頃から10年経ち、25となった白石は随分と大人っぽくなっていた。とはいえ、劇的に変わったかといえばそういう訳ではない。ただ少し、瞳の奥が以前にも増して底知れないように感じた。


「やっと、ハルに会う決心がついたん。10年かけて、って阿呆やな俺」
「えっと、俺白石と何か約束とかしてたっけ?」
「約束、してたよ。ハル、俺と結婚してください」

…はあ?
素っ頓狂な声が出た。ポケットから小さな箱を取り出し、目の前で大切そうにゆっくりと開ける。その箱の中には光る指輪が、受け取られる事を今か今かと待ちわびていて。
待って、待って。わけわからない。ちょっと待ってね、えっと、どういう事なんだろうか。これは、もしかしてプロポーズ的なものなのだろうか。まって、よくわからない。

「えっと、なにかのサプライズ?ドッキリ的な?」
「ちゃうよ」
「えー、じゃあ人違い、かな。忘れてるかもしれないけど、俺中学んときの同級の…」
「わかっとる、間違えるわけないやろ」
「えっと、えー、?」

至って真面目な顔でいつのまにか俺の両手を握る白石に腰が引ける。本気でわけがわからない。なんで10年ぶりに再開した同級生にプロポーズしてるの?しかも特別仲良くもなかった、同性に。

「やっぱ、あかんかったかなぁ」

少し悲しそうに、目尻を下げて微笑む白石。もし白石の目の前にいる人物が俺ではなくまた別の女性だったならばそれはとてもドラマチックな再会だったに違いない。10年以上も前にした約束を果たすために、目の前に現れたイケメン。自身は約束の事を覚えてなくとも、特別な好意も抱いておらずとも、少なからず目の前に現れた事に対して驚きそして白石という人物が気になる事だろう。そしてどんな約束だったかに想いをめぐらせてふと思い出す。そうして、紆余曲折を経て二人は結ばれるのだ。いい物語だった。まあ、相手が俺では何も始まらないのだけれど。

「あの時のこと、覚えとらん?中三の卒業前のこと」
「えっと…」
「廊下で、曲がり角やった。俺たちはぶつかってしもうて、ハルは書類を、俺は運んでいた花飾りをぶちまけて」
「あ、ああ。覚えてるよ。結構ド派手にぶつかったよな、俺は前歯欠けたし」
「…俺は、唇切ったしな」

白石が自身の唇をなぞり、笑った。
瞬間思い出す、あの日の光景。窓から差し込む西日が強くて、目が開けられないほど眩しかった。あの日の放課後、俺たちは廊下の曲がり角で、出会い頭でぶつかったのだ。書類が散らばり、花飾りが舞い落ちる。俺は前歯が欠け、白石は唇を切った。ただの事故だった。今もその光景が強く脳内に焼き付いているのは、口内に広がる鉄の味のせいか。唇を真っ赤に染め、血を流す白石の驚いたような顔のせいか、それともあれが俺にとって初めての、

「ち、ちがう…!あれは事故だったし、お互いそれで納得しただろ、だから、お前の初めても、俺の初めても、あの時じゃなくって、」

俺は一体、なんでこんなに必死になってるんだろうか。
もう俺も白石も25だ。こんな歳で今更初めてのキスが誰が、とか別にどうだっていいしそんな事もあったなって思い出話で済む話じゃないのか。


「あの日、俺が話したことは覚えとる?」
「…ああ」


『血、ついとる』

そう言って、尻餅をつく俺に白石はティッシュをくれた。
そのときはただ自分の唇も切れているのかと思ったが、すぐに白石の血がついてしまっているのだと気がつく。そしてはじめに考えるのは、これはファーストキスに数えるのか、という問題。目の前で口をティッシュで押さえつけながらぼんやりとするのは級友の姿。ただの事故だし、男同士だし、数えないよな。あっ前歯欠けてるわ。口内に硬い小石のようなものを見つけて手のひらに吐き出す。それはほんの小さなカケラだった。

『もしかして初めてやった?』
『え…あー、うん。まあ、数えるならそうなるけど、』

でも、これは数えないよな?
主語のない話し方には少し違和感があったけれどわざわざ言うのもなんだか気まずい。白石は少し笑うと俺も、と自分を指差した。

『え、うそ』
『嘘なんて言わへんよ。ほんま』

あの白石がキスをした事がないなんて、にわかに信じられなかった。しかしわざわざ嘘をつくメリットもない今、疑うだけ無駄だろう。それに俺にとってそんなことはどちらでもよいのだから。

『俺な、初めてキスした人と結婚したいねん』
『そ、それは申し訳ない事をした…』
『こんな少女みたいな事言って、引かないんか?』
『だって、それが白石の夢なんだろ。引くわけないじゃん』

まあなかなか難しいだろうけど、いい人と出会えるといいな。あっこれはノーカンの方がお互い都合良さそうだし、そうしような。
そんな俺の言葉に白石は少し驚いたように目を丸めて、笑ったのだった。



「あれから俺、ハルのことが頭から離れんかった。何をしてても、誰といたって頭に浮かぶのはあの時俺の血を唇にくっつけたハルの姿やねん」
「それは、多分、事故のショックとかで、」
「わかっとる。あれは事故で、キスだって言い張ることがおかしい事くらい。ずっとあの日を夢見て、ハルを思い浮かべる俺がおかしい事くらい。せやけど、消えないんや…ハルが、頭の中からどうしても消えてくれないんはどうしたらええの。もう、気がつかないふりするんは辛いんや、」

俺の両手を握る白石の手に力が篭る。
わかっている。白石の言いたいことは全てわかるのだ。
だって、俺もあの日の白石に今日この日までずっと縛られていたから。苦い思い出として、今も胸を締め付けてくるんだから。

「…、」

白石の胸ぐらを掴んで引き寄せた。
驚いたように目を丸める白石との距離が近づいて、そしてゼロになる。

「…」
「、ハル」
「ファーストキスなんて、ただの幻想だ。そんなに夢見るほどいいもんじゃない、…だろ」

呆気にとられたような顔をする白石。掴んでいた胸ぐらを離し、逃げるように踵を返して歩き始めた。

「まっ、て」
「なんだよ、もう話すことはないだろ…ちなみにプロポーズはお断りだ」
「っ、せやったら!…まずは、お友達から」

俺の腕を取り引き止める白石の顔は夜でもわかるくらい赤く染まっていた。その顔を数秒見つめて、息を吐く。

「…行くぞ」
「え?」
「飲み行くんだよ!友達なら付き合え」

ファーストキスが幻想だなんて、よく言ったもんだ。俺が一番ファーストキスに幻想を抱いていたくせに。
あの頃の景色がフラッシュバックする。廊下の曲がり角、出会い頭にぶつかった級友。書類と花飾りが舞い落ちる中、絡み合う視線と口内に広がる鉄の味に、衝突した痛みさえ忘れて。級友の真っ赤に染まった顔に、俺は心臓が高鳴ったんだ。




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