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優しいだけの男


放課後の教室で彼女は泣いていた。
教室の隅っこで丸くなって、声を殺して泣いていた。
俺は彼女が泣いている理由を知っている。
彼女には好きな人がいた。思いを寄せている人がいた。けれどその好きな人に彼女がいるという噂が広まった。
彼女は伝えようとしていた思いを放棄した。
開きかけていた口を噤んだ。恋心を捨てようとした。
けれど、そんなに簡単なことじゃなかった。
苦しかった。諦められなかった。好きだった。

それでも、彼女にはどうすることもできなかった。
想いは口に出せないまま涙となって冷たい地面に落ちるだけだった。

だから、俺は手を差し伸べた。
まるで俺みたいな彼女に手を差し伸べた。


「泣かないで」

「たちばな、くん・・・?」

涙でぐちゃぐちゃの顔。
驚いたように目を丸めて俺を見上げる彼女に優しく笑いかける。
キミが泣く必要はないんだ。だって、こんなにも美しいんだから。

「ハルに恋人はいないよ」

「っ、なんで・・・」

「部室に一人で待ってるから、行ってきな」

照れからかそれとも他に理由があるからか、顔を真っ赤に染めて口を開く相羽さんにもう一度笑って手を取った。
少し涙で濡れた冷たくて、小さな手だった。


「ほら、待ってる」

「なんで、・・・なんで、橘くんはそんなに優しいの?」

彼女の率直にぶつけられた疑問に目を細める。
優しい、だろうか。俺は優しいのだろうか。

「・・・優しくなんかないよ」

「嘘、だって関係ない私にこんなによくしてくれる」

「違うよ、誰かが泣いている姿を見たくないだけだ」

違う。本当はそんな綺麗な理由なんかじゃない。
そんなに俺はよくできた人間なんかじゃないんだ。ただ、俺は自分のために嘘をついて、自分のために人にやさしくして、


「だから元気出して、きっと大丈夫」

自分のために、笑顔を作っている。


「ありがと・・・、私言ってくるね」

「うん、頑張って」

彼女は一度俺を強く見つめて、泣きそうに笑うと走って教室を出て行った。
一人ぼっちになった教室は酷く寂しくて広く感じた。運動部の掛け声が校庭から聞こえてくる。ああ、もう今日も終わりだ。
笑顔がはがれおちる。能面みたいな表情が現れた、自分の顔を相羽さんと繋いだ方の手で撫でた。熱く熱を持っている。触れた部分だけが、まるで生を取り戻したかのように熱く火照る。

ああ、俺は優しいだけの男。
好きな人にいい人間だと思われたがためだけに自分を偽る、最低な男だ。

全て。すべて自己満足の上で成る、優しいだけの男


END