kurumi | ナノ

息をする (ChanYeol)




 窓から朝日が差し込み、目を覚ます。今日も学校だ。
 夏も終わり秋が近づいてきて、大きな伸びをしたら肺にはしんみりとしたやや冷たい空気が染み込んだ。ついこないだ夏が来たと思っていたのに、もう秋だなんて早いな。
 重苦しいスウェットを脱ぎ捨て、制服に身を包む。まだうまく開かない目を擦りながら階段を下りて、リビングへ入るとキッチンから母が笑顔を覗かせた。目線を合わせて、おはよう、と挨拶を交わしてテーブルにつく。こんがり焼けたトーストとコーンスープに両手を合わせた。
    今日は、会えるかな。
 どきどき、わくわく。トーストをかじりながら、俺は今朝からまた"例の彼女"へと思いを馳せていた。名前も知らないけれど一目見ただけで恋に落ちてしまった、天使みたいな女の子……。
「何笑ってんのよ」
「へ? ……あ、っ」
 くすくすと母が笑う。彼女のことを考えていたら、知らず知らずのうちに頬が緩んでいたらしい。かあっと頬が熱くなるのを感じて、ごまかすためにトーストを詰め込んでコーンスープで流した。けれど慌てて食べたもんだから危うく器官へ入りかけてしまって、途端にごほごほと咳き込んだ。
「あらあら」
 意味深ににやにやとする母にまた何かを言われたくなくて、食器を片付けると間を置かずに鞄へ手を伸ばした。玄関で靴を履く俺に、腰へ手を当てた母が言った。
「あんたそんなんで事故なんかしないでよ?」
「もーわかってるってば、大丈夫だって」
「まあ本当かしら。チャニョリったら今朝からにやにやしちゃってー」
「あー! もうはいはいはいはいー! いってきまーす!」
 食い気味に俺がそう言い返すと、母は呆れたように笑って、足早に出て行く俺へ手を振ってくれた。
 快晴。今朝はなんとも美しい青空が広がっていて、気分が良い。家の脇にある自転車の鍵をるんるんと外し、サドルを跨いでペダルを漕ぎ出せば、ようようと心臓が騒ぎ立った。
    今日の放課後は、あの子に会える気がする。
 陽射しで目覚めて、空はこんなに綺麗で、……いい予感しかしなかった。
「ふふ」
 またしても緩み出す頬を感じながら、少し傾斜のある長い坂を滑るようにおりていった。
 それから、授業中の俺は全くと言っていいほどにうわの空であって、何度か先生に注意されたのだが、それでも黒板の文字を追う気にはなれなかった。……ひとえに、彼女のせいで。
 彼女、というのは、俺の知る限りでは"ベク"という名前の子で、それでもついこの間出会ったばかりの女の子だった。学校が終わって、暇だからと友達とぶらぶら街を徘徊していたら、人通りの多い道の角でティッシュを配っていたのだ。その子は、イマドキの"メイド"というやつだった。全身を、非日常的なひらひら、ふわふわとしたメイド服で身を包み、これまたくるくるとした茶色の巻き髪が似合っていて、ひどく目についた。メイドは彼女の他にもいたのだが、俺の視界には映っていなかったりそれくらい、足が震えるような出会いだった。
 けれど友達がいる手前、へたな真似はできずにそのまま、彼女の手渡すティッシュをさりげなく受け取ったくらいだった。
 思い返すと、その受け取った右手が震える。間近で見た彼女は、更にかわいかったからだ。
 もう瞬殺。彼女の微笑みに、俺は恋に落ちた。
 しかしながら、素敵な出会いをもたらしてくれた神様はまた、イタズラな奴でもあった。それから毎日その運命の通りを寄り道して帰っているというのに、一向に、会える気配も無く。配ってもらった宝物のようなティッシュを胸に抱くくらいしか心の痛みを和らげる方法がなかった。
 だがそんなに会いたいなら彼女のいるメイドカフェにでも行けば早いのに、と言いたくなる人がいるだろうけど、その人は全然わかってない。学生がメイドカフェに行くということがどれだけ勇気のいるものかを。それに、ティッシュの広告を見る限りメニューも高そうだし、何よりもただのお客さんとして見られたくないし、一緒にされたくない。加えて万一知り合いに目撃されたとしたら俺のスクールライフは音を立てて崩れ去るだろう。実はキモオタなんて、根も葉もないことを言いふらされそうで……。
 だが、今日。またしてもあの角に彼女の姿は無かった。
 明らかに期待してしまっていたためか、落胆でどっと身体が重くなった。俺は彼女とは縁がないのだろう、とさえ思った。こんなにも胸が痛いのに、好きなのに、それでも会えないのだから。
 行き場のない恋心に鼻がつんとした。それと同時に自分の意気地無さやしょうもない見栄に腹が立った。
 もう帰ろう。と思った。ハンドルを強く握り、ペダルを漕ぎ出す。頬へ当たる風が今日はやけに生温い。
 俺はもうやめよう、決めた。
 



ダスゲマイネ 卑俗
まいね 駄目



 prev   back   next 




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -