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みそかのなぞらい (BaekHyun)




 お風呂から出て、ソファへ座っているチャニョルの背後から抱きついた。

「出たよ」

 そう耳元で囁くと、携帯をいじる手を止めてチャニョルがこちらを振り返った。
 相変わらず、綺麗な顔。大きな瞳によく通った鼻筋。羨ましいほどに整ってるなあ、とまじまじと見つめていると、その少し厚めの唇が照れくさそうに弧を描いた。
 胸がきゅうんと締め付けられる。この笑顔が、僕は何よりも好きだ。僕だけに向けられているこの笑顔を見れば、いつだってしあわせに思う。
 首を傾げて、そっと微笑んだ。そうしてひとつ、口付けをした。誰もいない、みんなが寝静まったリビングにわずかなリップ音が響く。そうして、すう、と自分から離れて行ったのだけれども、名残惜しさを感じて自分の唇をはんだ。すると、チャニョルがこちらへ手招きをした。素直につつつ、と誘われてその隣へ行けば、チャニョルに抱きしめられた。

「……ありがとう、ベク」

 同性同士の、それもアイドルグループ内での恋愛。外にはもちろん、メンバーにだってこの関係はバレてはいけないのはわかるけれど、想いが結ばれて三ヶ月、幸せなはずの毎日なのに何故だか心が苦しかった。
 抱きしめられたまま、上を向いてチャニョルを見た。かちりとすぐに目が合った。そのとき、僕にはチャニョルの目がきらきらと輝いているように見えた。
    ああ、なんて愛おしいのだろう。僕は力の限りチャニョルを抱きしめた後、腕を緩めた。

「おやすみチャニョル」

 つう、と頬を撫ぜながら、この瞬間を胸に刻む。伝わってくる温度に息が詰まりそうだった。
 すると同じようにチャニョルも僕を触ってきた。頬を、髪を、首を。大きな手が僕の身体を辿っていけばぞくぞくと背中が震える。僕はチャニョルの手を掴んで「もう、だめ」と言った。このまま触られ続けられたらきっと、僕は我慢できそうになかった。

「そっか、……おやすみ」

 チャニョルが笑って、僕の頭をくしゃくしゃと掻き回した。その笑顔は、僕の目が間違いじゃなければ、少し悲しげに見えた。チャニョルが立ち上がった。

「また明日ね」

 僕は精一杯チャニョルの瞳を見返しながら頷いた。するとさっきまでゆっくりだった鼓動が、何故か今になって騒ぎ始めた。チャニョルがバスルームへ行くその背中を見つめていると、どくどくと心臓が脈打ってきて僕は思わずうつむいた。
 好きという気持ちが、こんなに苦しいだなんて知らなかった。いっそのことメンバーには打ち明けてしまいたいけれど、考えても、考えても、答えはやっぱり「だめ」で。
 深くため息をついて、再びソファに座った。預けるように首をもたれて天井を見上げたら、自然と涙が溢れてきた。
 どうして、こんなに好きなのに。「ひとつになりたい」と伝える勇気さえないなんて。
 僕はすごく不安だよ、チャニョル。みんなにばれないように、ばれないように、って気を使っていくうちにこのまま、僕らの愛が埋もれて消えて行ってしまうような気がするんだ。

「チャ、ニョラ……」

 不安なのは僕だけなんだろうか。こんなに心が掻き乱されているのは、僕のほうだけ?
 一度そんな風に考えるともう止まらなかった。涙が流れれば流れるほど僕の気持ちは不安でいっぱいになった。いますぐ、チャニョルに触れたい、と思った。
 僕がわがままなんだろうか、どうしてもこらえきれなくって、とうとうバスルームへと足が向いたその時だった。

「ヒョン」
「……」

 突然の声に驚いて振り返ると、そこにはジョンインがいた。僕は急いで目元とごしごしと拭って「何だ、まだ起きてたの」と誤魔化した。ジョンインが頷く。

「まあね。でもヒョンのほうこそ。起きてるじゃん」
「僕はさっきシャワー浴びたばっかりだし、それに……寝つけるような気持ちじゃなくって……」

 どきどき。あながち間違いでもないような嘘をつきながら、僕は平静を装った。まさか起きているとは思わなかったから、声をかけられたときは心臓が飛び出るかと思った。
 ジョンインがじいと僕を見つめる。なに、と言ってみるがジョンインは何も言わずに僕を見る。動揺で詰まりそうな息を、僕は努めて隠しながら何とか微笑んだ。ジョンインの肩をぽんと叩く。

「早く寝ないと。明日も仕事あるんだから」

 ね、とやさしめに僕は言ったのだけれど、ジョンインの瞳は動かなかった。静まるリビング。気まずいと思いつつ、そのまま部屋にも戻りたくない僕はぽつんと棒立ちでいた。もちろん、何故かジョンインも。彼は何しに起きてきたのだろうかを考えながら、時計の針が刻む音が何十回かを越えた頃、やっとジョンインが口を開いた。

「あのさ」

 ジョンインが言った。見上げると、相変わらず気だるそうな顔をしていた。

「……ん?」

 ちらりとバスルームのほうへ目をやりながら返事を返す。あいつはあと一時間は入ってるだろうなあ、なんてことを思っていたら、急にジョンインに肩を掴まれて、そのまま壁に身体を押し付けられた。至近距離になったジョンインの顔に目を見開く。

   いつまで嘘つくの」
「……な、……んの、ことだか」

 誤魔化しの笑顔を作りながらも、額には冷や汗が伝った。動いたことによってまだ生乾きの髪からは今の雰囲気とは似つかわしくない、甘く重たいシャンプーの匂いがした。チャニョルが好きだと言ってくれた匂いだった。
 すう、とジョンインが大きく息を吸って、吐いた。その動作は、何故わからない、と言ったような気持ちを出しているようにも見えた。けれど、何で僕が壁に追いやられているのか一向にわからない。心臓がしきりに鼓動し始め、まるで危険だと警告しているかのようだ、なんてそう思った瞬間、ゆっくりとジョンインが動いた。

「うそつき……」

 そう言われた後、突如首筋へ生温かく、ざらりとした感触が這った。

「ちょ、……!」

 僕は咄嗟にジョンインを押し返したが、ジョンインに強い力で押さえつけられて、また壁に背中を打ちつけた。身体にびりびりとした痛みが走る。ジョンインが僕の肩を掴む手に力を込めた。

「ねえヒョンってば。何してたのか言ってよ」
「なにも、なにもしてない……からっ、やめろ、ジョンイナ……っ、」

 するすると登って行くぬるりとした舌。はあ、という息遣いが聞こえた瞬間、耳たぶを柔く噛まれて思わず身体が跳ねた。くすくすと、ジョンインに笑われる。途端に罪悪感と羞恥心で顔が熱くなった。

「弱いの? 耳」
「おねがい……は、っ……なして……!」
「やだ」

 身をよじってみたり、手を動かしてみたり、どうにかして僕はこの呪縛から逃げようとしたのだがその度にジョンインに力でもって抑えられた。こんなことをしていてはこの現場をチャニョルに見られるのも時間の問題だった。それだけは、どうしても避けたいことだった。僕はジョンインをきつく睨みつけた。

「なんでこんなことすんの……、はなしてよ……!」

 身体に力を入れて、押し返す。けれども哀れな体格差のせいでびくりとも動かない。飄々とした表情のジョンインが言った。

「なんで、だって?」

 ジョンインがゆっくり瞬きをする。

「そうだろ……っ。いきなりこんなことするなよな……、男相手に……っ」

 そう言ったら、は、と鼻で笑われた。ジョンインが鋭く眉を寄せた。

「……どっちがだよ」
「なに……? ……んっ   !」

 呟くように言ったジョンインの小さな声が聞こえたかと思ったら、熱いジョンインの唇が僕のものを塞いだ。思わず声が出て、チャニョルのものじゃないそれに鳥肌が立った。   気持ち悪い……! どん、と力強く胸を押し返した。するとジョンインがふっと身体から離れてくれたのだが、ごしごしと口を擦っているうちにぼろぼろと涙がこぼれてきた。

「な、なにすん……の……!」
「……はあ?」
「なんで、こんなことするの……!」
「まだわからないの?」
「わかんない……っ! わかんないよ……!」

 かたかたと震える脚。目の前にいる人間は、どうにも僕の知っている心優しい弟には見えなかった。まるで、狼のような顔をしているのだ。
 ジョンインの手が僕の顎を掴んで上に向かせる。ゆっくりと近づいて来たジョンインの顔。僕は思わずはたいてしまった。リビングに乾いた音が響き、途端に僕は我に返った。
 ジョンインが震える声で言った。

「……ヒョンが   、僕はヒョンが、……好きだから……」

 僕は言葉を無くして固まった。冗談、だろ。と本当はすぐにそう言ってやりたかったけれど、ジョンインの瞳の奥が悲しみに染まっているのが僕には見えて、そうはできなかった。すとんと足の力が抜けて床に座りこんだ。ジョンインがはたかれたほうの頬を抑えながら「ごめんなさい」と消え入りそうな声で言った。そしてとぼとぼと力無く部屋へ帰って行った。
 かちり、かちり、と時計の音が響く。部屋は再び静寂に返ったが、僕は依然立ち上がることもできずにいた。
 どうしたらいいのかわからなかった。どんな顔でチャニョルと会えばいいのかわからなかった。
 がちゃ、と扉の開く音がした。ひたひたと廊下を歩いてくる音にそれがチャニョルだとわかったけれど、僕はどうか来ないでくれと祈るばかりだった。




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