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春の霹靂 (YoonKi)



 満員電車が揺れた。
 それに合わせて俺も、そして俺を触る手も、一緒になって揺れた。

 『俺を触る手』とは、言って文字の如くのものである。一般人からすると、にわかには信じ難いだろうが、それはつまり、いわゆる"痴漢"と呼ばれるものだった。これでも十数年は生きてきたが、本当に、生まれて初めての出会いだった。話しには聞いたことはあるけれども、それがまさか自分の身に降りかかるだなんて微塵にも思ってなかったし、経験なんてしたくなかった。
 通学時の痴漢なんててっきり、かわいい、かわいい女の子ばかりが持つ悩みであると思っていたのに、どうして、この俺がこんなことで悩まなければならないのだろうか。俺はどこからどうみても健全な、高校生である。健全な、紛れもなく男の高校生。
 まあ百歩譲って、俺の尻を触る手が綺麗なお姉さんだったとしたならば、ここまで悩みはしないだろう。むしろ、諸手をあげて喜ぶくらいで。
 けれども、背後に潜むそいつは残念なことに、れっきとした男だった。ちらりと見えた手は綺麗だとは思ったけれども、やはり女性のそれとは違っていた。

 この間始業式が行われて、こんな俺でも新たな学期の始まりに胸を高鳴らせていたというのに。
 始業式の次の日、春のうららかな日だった。その日から始まって、今日でちょうど一週間。もちろん土日祝を除いて、である。

「……」

 何がしたいのか、俺には理解できない。
 いつも同じ場所に乗るのをやめて別のところへ乗ったこともあったけれども、決まってそいつもついてきて、俺が降りる駅が来るまで触り続けられる。
 勇気を出してみようとも思ったけれど、よく考えてみれば「この人チカンです」とその手を上げるわけにもいかないわけで。
 もしそう言ったとしたならばここに乗る同じ学校のやつらが、俺が痴漢をされていた、という噂を広めるだろう。そんなことになったら男として情けないし、恥ずかしいことこの上ない。やがてその噂が収まるにしても、それを耐えてまで学校生活を送っていく自信はなかった。
 はあ、とため息をついた。
 毎日毎日俺の尻を触って、何がそんなに楽しいのだろうか。特にうんともすんとも声も出さない俺の尻を触ってても何になるっていうんだ。
 大衆に囲まれて悶える、もしくは嫌がる様を見たいから痴漢をするのではないのか?
 せめてもと顔色は変えずにいたけれど、決していい気はしていない。

 またごとりと電車が揺れた。電車の中の人たちが動く。体を押されて、ごつんとドアに頭をぶつけた。

「……」

 窓ガラスに、自分の顔が映っている。一週間も相手に為されるがままで、声も上げられずにただ耐えているだけの自分の姿。
 情けないと感じて、下唇をゆるく噛み締めた。今だに触り続ける手にも、自分にも、嫌悪感でいらいらした。

 このままでいいのか。
 心の中でゆっくりと問いかける。もちろんすでに答えは決まっていた。
 そんなのは絶対に、嫌だ。

 がたん、ごとん、と規則正しく電車が揺れる。周りの風景が次々と流れて行った。俺はその時はじっと待った。しばらくすると、駅が近づいてきた、というアナウンスが車内に流れた。
 それを聞いた俺はすぐさま後ろの手を掴んだ。
 ドアが開く。その瞬間、そいつをありったけの力でもって、引き摺り降ろす。
 もしかしたら相手は暴れたりするかもしれないと考えていたのだが、後ろからどんどん下車する人たちに押されてか、案外すんなりと降りてくれた。
 そのままそいつを引っ張ってしばらくホームを進み、人が少なくなったところで俺は足を止めた。
 あの手を掴んだのは確かだ。けれども、僅かながらに不安を感じていた。掴んでいる手が震えそうだったので、ぎゅっと力を込めて、勢い良くばっと振り返った。

 そこに立っていたのは、男。俺とは違う高校の制服を着た、男だった。
 大きな目と、高い鼻。俺よりも少し、高い背。やや幼い顔立ちからすると歳下のようにも見えた。
 それらを一つ一つ順に目で追っていく。総じて意見を述べるとするならば、その男はただのイケメンとしか表しようがなかった。
 俺の中で、ある懸念が強くなる。
 男はおどおどとした様子ではなく、むしろぽかんとした表情でもってこちらを見降ろしていた。
 一抹の不安がだんだんと心を曇らせていく。こんなやつが痴漢なんてするはずがない、と思った。
 俺の顔は男の手を掴んだままどんどん青ざめていった。周りの雑音が大きい。心臓がどくどく鳴っている。
 間違えてしまったのだ、俺はきっと、別の人の手を引いてしまったのだ。
 頭が真っ白に塗り替えられいく。何を言えばいいのかすら考えられなくて突っ立っていた時、目の前の男のほうが先に口を開いた。

「あの、これは」

 出てきた言葉に身体からさあっと血が引いていくのを感じた。相手が自分に問いてるのはきっとひとつ。「なぜ自分を引き摺り降ろしたのか」だろう。
 なけなしの勇気を振り絞って男気を見せるはずだったのに結局、俺はとんでもない失態を犯してしまった。
 ああ、どうしよう。
 頭がくらくらとしてきて、その男から手を離すと揺れる額を抑えた。

「……すまん」
「え?」

 こうなったら道はひとつだと思った。それは、そう、

「ほんとすまん!」

 逃げること   。俺はばっと頭を下げると、一目散にホームを駆け出した。
 なぜ降ろしたか説明するには自分が痴漢を受けていると言わなければならないだろうが、そんなのごめんだった。
 きっとたまたま近くにいた学生。
 別々の高校だし、毎朝混雑している電車の中でまた顔を合わすなんてことはそうそうないだろう。

「え、え、ちょ、ちょっと!」

 けれどもその声に後ろを振り返ってみると、なんと男は後をついてくるではないか。怒っているようではなかったが、とにかく俺は必死に逃げた。
 しかし懸命な走りも虚しく、改札口手前で追いつかれてしまい、ばっ、と腕を掴まれた。
 男の顔を振り返る勇気などとうに無くて、ただ前を見たまま肩で息をした。

「なんで、逃げるんですか、」
「……これには……。深い、訳が……、すまん」

 その声に徐々に罪悪感でいっぱいになる。ゆっくり身体を向き直すと、膝に手をついて頭を下げた。とんでもない恥晒しだ。降りていく人たちの定期を読み取る度、軽快に鳴る改札の音たちが俺をあざ笑っている気がした。
 深くため息をつくと、男はなんで謝るんですか、と言った。耳を疑うような言葉に「え?」と顔を上げると、にやにやと笑う男と目が合った。

「トイレ、行きましょ?」
「……は?」

 その言葉の意味を考えている暇もなく、男に手を掴まれてぐいぐいとトイレに連れ込まれた。そのまま、強引に個室に押し込まれると、すぐにがちゃりと鍵をかけられた音がした。男がさわやかに笑った。
 冷や汗が伝う。

「な、なんで?」

 狭い個室に押し込まれ、男二人、向き合っているという不思議な空間。通勤ラッシュということもあってか、トイレには他に誰もいなかった。
 男にとん、と肩を押される。力が抜けていた脚は抵抗力もなく、簡単に膝は折れてそのまま便座の上に座ってしまった。かばんが壁とぶつかる。爪先からてっぺんまで、ゆっくりと男を見上げた。
 嫌な、予感がする。
 男がにこりと笑った。

「……続き、するんですよね?」
「はあああ?!」

    痴漢だった。こいつは間違いなく一週間俺を触り続けた痴漢だった。俺は、やっぱり間違ってなかった。
 いや、けれど、この際間違えたか間違えてないかは関係ないかもしれない。異様なこの空間にはもう逃げ場がないのだ。痴漢と二人、男同士とはいえ脳内の危険信号はとてつもない速さで点滅を繰り返している。
 どこをどう捉えたら俺が続きをしに、わざわざ痴漢を引き摺り降ろしたと思えるのだろうか。まるで理解が追いつかない。
 けれどもそんなことを考えもしていないのか、男はにこにこと上機嫌だった。

「ずっと待ってたんですよ。この日が来ることを」
「はぁ? 何言ってんだよ」
「僕の胸、どきどきしてるの」
「人の話し、聞けよ」
「ほんとにほんとに本物なんだよね」
「は? だからさっきから何のはな   

 唇に、柔らかな感触。
 軽いパニックを起こした脳が、ようやくキスをされたということに気がついたのは、随分と後のことだった。
 咄嗟に男の胸を押し返した。

「な、なに、して、……!」
「ふふふ」

 微笑んだ男はかわいい顔で、俺を見降ろしている。俺は何故かその目に捕らえられたかのように、視線を外すことができなかった。すうっと手が伸びてきて、優しく頬を挟まれた。あたたかな温もりに、ぞくりとした。

「一目惚れ、しちゃったんですよ僕」

 ふう、と吐かれた息が顔に当たる感触がした。またぞくぞくと何かが背筋を走る。
 なぜこうなっているのだろうか。なぜ俺は男に惚れられてるんだろうか、それもこんなイケメンに。
 そっと頬を撫でられて、肩が揺れた。

「だから、本当に、今日みたいな日が来ることずっと、待ってた……」

 そう言いながら男は座っている俺の上に乗ってきて、いつの間にか向き合うような体勢になった。頭では同じ性別なのだとわかっていても、綺麗な顔にこうも至近距離からまじまじ見られると、つい目を逸らさずにはいられなかった。
 触れ合っている部分から熱が流れ込む、そんな感覚が芯を揺るがす。
 どきん、どきん、と鼓動する心臓が嫌悪を示しているのか、不安を示しているのか、それとも興奮を示しているのかはわからなかった。
 ちゅ、とまた唇が触れる。
 小気味良く鳴った音が狭い個室に反響して、余計にそれをリアルに感じた。ぞくりと何かが背筋を走る。
 どさりと男がかばんを落とした。

「僕はテヒョンです。キム、テヒョン」

 そんなこと、きいてない。そう言いたかったけれども、喉からはついに声さえ出てこなかった。少しでも逃げたくて、じりじりと後退して行ったがそれも叶わず、すぐに壁に肩が当たった。男   もとい、テヒョンと言ったか   はまた、手の甲で俺の頬をなぜた。

「僕すごく嬉しいですいま、すごく。だから、……はやくユンギヒョンがほしい」
「……!」

    こいつ、ネームプレートを。韓国ではあまりにありふれた光景の学生のネームプレートを、この時ばかりは呪った。
 けれども文句を言いかけたその口は、すぐにテヒョンによって塞がれた。開きかけていた口へ容易に舌が侵入してくる。ざらりとした感触。触れた瞬間ぬるりとそれは滑って、余計に異質な感触を感じた。

「ん、……っ!」

 それから逃れようと仰け反るのだが、逃げようとしても、逃げようとしても、強く頭を掴まれてはテヒョンがそれを許さない。その度により深く絡み合った舌には、徐々に徐々に唾液が混ざり始めた。

「は、……ぁ」

 喉の奥から、勝手に息が漏れる。
 男にディープキスをされて、普通なら嫌悪感で吐き出してしまいそうなのにその時の俺はまるでそんなものを感じていなかった。
 テヒョンがやがて唇を離すと、口の端からだらりと唾液が垂れた。気がついたテヒョンにそれを舐めあげられて、眉がぴくりと動いた。
 離れていってしまったテヒョンに少しでも喪失感を感じた自分に気がついた。

「……、」
「ふふふ。ユンギヒョンってば、かあいーねえ」

 幼稚な言葉でもって形容されると、すっかり抵抗を忘れていた自分にかあっと顔が熱くなった。
 どさ、と肩からかばんが滑り落ちる。心臓が、うるさかった。自分でも自分が何を考えているのかわからない。
 上に乗っかっているテヒョンを見上げた。

「そんな顔で見ないでよ。手加減、できなくなっちゃうでしょ」

 鼻先に、キスの感触。テヒョンは俺から降りて壁に手をつくと、笑顔で俺の下腹部を撫でた。

「!」

 肩がぴくりと反応した。テヒョンが微笑む。は、と吐き出した息にテヒョンが滑らかな手でより一層いやらしく触り出す。

「気持ちいい?」
「……っ、……」

 言葉にはしなかったが、その質問に答えるかのようにしてぴくりと太ももが揺れた。
 自身の手でしか触ったことのない場所をいま、他人によって触られている。
 服の上からではあるがそんな事実も相まってか、やわい刺激でも十分にそれは反応した。

「ふふ、僕の手で感じてるの?」
「…………感じて、なんか、……っ」

 テヒョンの問いかけに恥ずかしくなってつい悪態をついたのだが、興奮していることには自分でも気がついていた。
 痴漢男に触られて、感じてるなんて信じたくない。
 テヒョンが下から上に、ゆっくりと撫で上げた。ぞぞぞ、と腰のあたりが疼いた。

「、っ……は、!」
「うそはよくないよ。ユンギヒョン」

 一人でに漏れた声が虚しく響く。テヒョンによって徐々に膨張し始めた自身のそれは、ズボンの上からでもその形を主張していた。けれども撫でるような愛撫ではまるで物足りない。焦らされるようにして刺激されるともっと、もっと強い刺激がほしいと思った。

「ぁ、……はぁ……、は」
「気持ちい?」
「……、は、……。あ……っ!」

 そんな俺を見透かすように、笑い交じりに聞いたテヒョンが、ぐり、と先端をいじった。
 急に襲った強い刺激に思わず高い声が出る。自分でも驚いてその口を塞いだが、テヒョンによって阻まれた。

「かわいい声、もっと聞かせて?」
「……は、っ……ぁ、ちょっ!」

 テヒョンの手がついにベルトに触れた。いとも簡単に下がっていくズボンが悲しかったが、露わになったボクサーパンツが先走りでじんわり濡れているのがすぐ目に入った。

「やらしぃー」
「み、み、るな……っ」

 小さな染みの部分を、テヒョンがつうっと指でなぞる。さっきよりも薄くなった布からはその動きが敏感に伝わった。

「あ、また濡れちゃった」

 くすくすと子供にようにテヒョンが笑った。言うことを聞かない身体は一体正直なのか、不正直なのか。
 ああ、この上なく、恥ずかしい。
 どくどくと脈打つ心臓の音がうるさい。熱を持ってこちらを見るテヒョンの目を、見返すことができなかった。

「ヒョンってば、ヘンタイ」
「……っ、」

 テヒョンが耳元で囁いた。低く鼓膜を揺らしたその声はしきりに頭にこだました。
 ヘンタイ、ヘンタイ、ヘンタイ……。
 殴られたかのような衝撃が走った。

「男に触られて……こんなに、感じてるなんてさ」
「っ!」

 パンツの上から、それをぐっと握られる。その圧迫感に思わず息が漏れた。

「それも今日顔を見たばかりの、男に、気持ち良くなってる」
「うるさい、ちが、う……あ、   あああっ……!」
「うそはだめってば」

 ぐりぐりと先端が刺激されて、嬌声があがった。はしたないとは思いつつも、声は勝手に零れ出た。反射的に閉じた足を、テヒョンによって再び開かされる。

「まったく。言いつけを守れない悪い子にはお仕置きです」
「はぁ、? ……ま、まて。ま、っ!」

 パンツを下ろされて、自身のそれが露わになった。散々焦らされてきたそれは既に熱をもってそそり立っていた。恍惚とした表情を浮かべたテヒョンは、確かめるようにしてそれに触れた。

「ユンギヒョンの……もうこんなに硬くなってる……」
「……あ、あ……あ、っ、はぁ……あっ」

 待ちわびていた強い刺激がついにやってくる。時折、視界で弾けるようにして光が飛んだ。先ほどとは比べられないほど溢れ出だした先走りがぐちょぐちょと水音を立てて耳を犯す。

「びくびくしてる……、ヒョン。かわいいっ、」
「あっ、……いやだ、っ……あ、あ……やめろっ、」

 左右に首を振って襲ってくる快感を誤魔化そうとしても、次々とやってきた刺激に肢体は跳ねた。
 中心を握られて、強くこすられる度に、どんどん欲求が膨らんでいく。
 達したい。
 その欲望が姿を見せたあと、それに囚われたままの脳は別のことを考える余裕などなかった。
 あがった息は散々に浅く、呼吸する度に上下する肩は壁に当たって、行き場を失った手はいつの間にかテヒョンの腕にしがみついていた。

「……ユンギヒョン、ねえユンギヒョン」
「はあ、あっ、……んん、はあ、っ」
「ねえ、どうしたいか言ってみてよ。どうしたいか言ってくれたら、その通りにしてあげるから」
「だ、まれ……っ、はぁ、……んん、ん」

 自分の本当の欲望とは裏腹に、なけなしのプライドからはそんな言葉が出た。口が裂けても、イカせてほしいだなんて言いたくない。

「あぁっ……!」

 先のほうを手のひらでこすられて、大きく声が出た。悪戯をするように笑ったテヒョンはもう既に俺の気持ちなんて知っているかのような素振りだった。
    ならば、だけど、やっぱり……。羞恥を忍ぶか、羞恥を晒すか。その相対する思いに、俺はまだぐずぐずと逡巡を繰り返していた。
 けれども、しかし、

「ユーンギヒョン」

 と低く囁いた悪魔によって、ぱん、とたがが外れる音がした。まるで魔法にかけられたかのようにして、ついに俺はそれを口にした。

   イキ、たい、……っ」

 恥に耐えてまでもつぶやいた声は消え入るようで、とてもとても小さなものだった。決死の思いで言った言葉はしかし、伝わらなかったのか、テヒョンは意地悪く笑った。

「ん? 何て言いました?」
「は、あ?」

 やっとの気持ちで伝えたというのに、なぜ聞いていないのか。身を裂かれるような気持ちだった。こいつは俺を、辱めたいのか。プライドはもう、ずたずたになっていた。
 けれど身体は正直で、そうされればされるほど、より一層の絶頂を求めた。狂おしいほどに渦巻いた欲望に邪魔をされてもうなにも考えられなかった。

「もっと……っ、強く、こすって……はやく、イカせて……っ!」

 完全に崩れ去ったプライドはとにかく、終わりを求めてより強い刺激に飢えていた。
 よくできましたと言わんばかりに、震える唇へテヒョンがキスを落とした。

「イイ子」
「……はぁ、……あ、   あああっ!」

 テヒョンの握る手に力が入り、息を飲んだ途端、それを激しくこすられて頭が真っ白になった。同時に胸までいじられたものだから、まるで感情が爆発するかのように、場所も構わず鳴いた。

「ああッ、ああ、あッやばい、……ッ、ああ!
い、……! あ、だめ、あ!」

 これまで胸を触られて感じるなんて経験はなかったけれど、強くつままれる度にびくりびくりと身体は跳ねた。
 脳に分泌された快感物質によってぼんやりとしていたそのとき、テヒョンの手がピタリと止まっていきなり口を抑えられた。
 いきなり何をするのかと驚いていると、聞こえてきた、誰かの足音。

   ん、ん、……!」
「しぃ。誰か来ちゃった」

 こつ、こつ、と響く革靴の音が心臓の音と重なって、ついに聞き分けることができなくなった。刻、刻と過ぎていくその一秒一秒はまるで遠い一時間のように思える。
 頼む、気づくな、気づくな。
 たらりと垂れた汗が頬を過ぎる頃、心の中で必死に祈りをあげる声を聞いたのか、テヒョンが口角をあげた。
 中心を握ったまま手が動き、胸をいじる。

   !!」

 男はまだ去っていない。いまここで自分が声を出しでもすれば、完全に、俺たちが何をしているのかなんて容易に気づいてしまうに違いないのに。
 それなのにテヒョンは執拗にそこをいじり、あまつさえ、それをゆるく上下させ始めた。

「ん……! んんん……!」

 だめだ、やめてくれ、と首を振って懇願するもその態度は逆に火に油を注いだ。
 バレたらやばいという危機感と、それでも絶頂を迎えたいという欲望とが互いにぶつかり合えば、それは確実により一層の快感へと繋がった。
 いつの間にか濡れ始めた双眸からは少しずつ涙が伝う。それを見たテヒョンが、はっとすまなそうに眉を寄せた。
 しばらくすると男の去って行く足音がして、テヒョンが口から手を離してくれた。いまだに早鐘を打ち続ける心臓は痛くて、ぐっと胸を抑えた。

「お前、ほんとに、ふざけんなよ……!!」
「ごめんなさい。つい」
「ついじゃねえよ……! バレたら、どうするつもりで……!」
「だから、ごめんてばぁ。ヒョン、許して」

 かわいく言おうが許すものか、と俺はテヒョンを睨みあげたが、テヒョンは俺のまなじりに残っていた涙を全て掬うとふっと笑った。

「でも、ヒョンのここ、びんびんだよ」
   、っ」
「やっぱりヒョンはヘンタイだね。バレるかと思ってもっと興奮しちゃったんでしょ? ……かわいい」

 あまりの図星にぱくぱくと開閉した口が憎い。的確な指摘に反論することもできずに俺はただ黙るしかなかった。
 テヒョンがくすりと笑いをこぼして、床に膝をつけた。何をするのかと思えば、テヒョンは俺のシャツに手をかけて全てのボタンを外し、ちゅ、ちゅ、と首元から腹までキスを落とした。

「白いね身体」
「うるせえ」
「もう、強情なんだから。……だけどさすがに辛そうだからさ、楽にしてあげる」

 膝立ちのままテヒョンは近づいてきて、ぺろりと胸を舐めた。そして別のほうを手で、そしてもう片方の手で中心をこすり始めた。

「! あ、……あっ、あ、あっ、ああっ」
「ひもちひひ?」

 まるで飴を舐めるかのようにしてそれを舐めたり、またはじゃれる子犬のようにしてそれを甘噛みされて、いじられるのとはまた違った快感が襲った。
 加えて、同時に色々なところを刺激されるのだから、たまらなかった。朦朧とする意識の中で夢中になってこくこくと頷いた。時折胸元に感じる吐息から無意識にテヒョンの髪をしだいた。

「ユンギヒョンイくなら言って?」
「んんッ、あ、……イくっ、……イくっ……! ぁ、も、イく……っ!」

 背筋がぶるりと震えた。いままでの我慢が爆発するかのようにして弾ける。爪先にぴんと力が入ったかと思うと、すぐに自身が達したのを感じた。

「……はぁ、あ、は……はぁっ」
「いっぱい出たね、真っ白だよ、ヒョン」

 青臭い匂いがつんと鼻をつく。ほら、と見せられたテヒョンの手は自分の体液でてらてらと光っていた。そのありさまの酷さに俺が眉を寄せると、テヒョンがそのままそれを口に含んだ。

「おま、なにして、!」
「うへへ、苦い」
「ったりまえだろ……!」

 ヒョンの味がする、と言って手を舐めるテヒョンに頭を抱えた。そんなものは食べるものじゃないのだからおいしくないのは当然なのに、口にするだなんて頭がおかしすぎる。
 けれども再び見上げたテヒョンはうれしそうに笑っていた。

「なに、笑ってんだよ」
「ん? だって、ヒョンかわいかったから」
「……はあ?!」

 テヒョンの言葉に先ほどの自分の姿が思い浮かび、急激に体内の熱が上がった。目の前で笑うこの男に、文字通り、蹂躙されたのだ。あんなこと普段の自分ならするわけもないのに、それなのに、自分から、求めて、すがりついて   
 襲い来る羞恥に俺が身を悶えさせているうちに、テヒョンはトイレットペーパーで手際良く後処理をしてくれた。そしてあれよあれよという間に元通り制服を着せてもらった俺だったが、未だに茫然と立ち上がれずにいた。
 テヒョンが腕時計を覗き込むと、そして、おう、と目を丸くさせた。床に落ちていたかばんをいそいそと肩にかけて、テヒョンはにっこりと笑った。
 その顔をただ見つめる。いま目の前にいる男は、はたから見れば好青年には違いがなかった。
 一度背を向けたテヒョンだったが、何を思ったかもう一度身を翻した彼は俺の頭を強引に掻き回した。

「なにすんだよ」
「今日は楽しかった、ヒョン。またやろ、次はフェラしたいから」
「ばっ、!」

 くふふと笑ったテヒョンは器用に後ろ手で鍵を開けたかと思うと、扉から顔を覗かせながら手を振った。そしてふんわりと笑みを浮かべて、そこから消えた。どん、と音を立てて扉が閉まった。
 次はフェラだと……? 誰が、するもんか……!
 そう言ってやりたくてすぐに俺はそこから飛び出したが、もうそこにテヒョンの姿はなかった。
 わたわたと忙しなく階段を登る人や焦って改札を抜ける人、そんな人たちだけがそこにいた。
 ふと視界の端に映った時計はもう既に九時を過ぎていた。




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