お星さま (JaeHwan)
宿舎の近く、小さな公園のベンチに座って僕らは夜空を見上げていた。腕のなかには大好きな恋人、ハギョニヒョン。
流星群が来るというニュースを知ったのは、つい今朝のことだった。
それを知った瞬間、僕はすぐ、ハギョニヒョンと二人で見たいなと思ったけれど、その時口にはしなかった。今日は音楽番組収録があるし、夜にはもうヒョンだって疲れてるだろうなあと考えると、そんな彼を寒いなか外へ連れ出すのも何だか申し訳なくってなかなか言い出せなかったのだ。
だけど収録直前、どうして気づいたのかわからないがハギョニヒョンは突然「どうかした? 何かあった?」なんて声をかけてきた。僕はそれまで言うまいとして口をつぐんでいたというのに、そんなことを言われたらつい嬉しくなってしまって、ぽろりと「ヒョンと流れ星が見たくて」とこぼしてしまった。
僕は口にした瞬間すぐに後悔した。絶対笑われる……と思ったからだ。けれど、ヒョンはそんな僕の思いに反して優しく、そしてうれしそうに微笑みかけてくれたのだった。
寒い冬空の下、星を見上げながらくっきあう僕らはいささか青春只中の学生のようだ。顔に当たる風は冷たいが心はぽかぽかとあたたかかった。
やっぱり、言ってよかった。くふふ、と笑いがこみ上げてきた。
「なに笑ってんの」
「んー? んふふ。なんでもない」
僕たちが宿舎を出てから、既にかれこれ幾らか経っていた。まだ星が流れると予想されている時間には少し早いけれど、その時を子供のように心待ちにしながら二人してただ空を見上げていた。そんなことだけでも僕の気持ちはふわふわと飛んでいくように軽い。
ぼーっと、ぼーっと、時間を過ごすこの感じ。
けれども、見続ける夜空にはまるで変化は見られなかった。
なかなか流れない星。ヒョンと一緒にいるからか、いつもよりも心臓がはやく鼓動して、余計にそれが焦れったいものに感じた。
空を見上げるのをやめ、ヒョンの肩に顔をうずめた。
いい匂いがする。いや、使っているのは同じ洗剤なんだけど、ヒョン独自の匂いっていうか香りっていうかそういうのが混じってて……。
とにかく、ふんわりと、安心する匂い。
息をすればそんな空気が肺いっぱいに染み込んでいくようで。
けれども顔をうずめてしばらくすると、ヒョンが身体をよじらせながら笑いだした。
「ちょ、ジェファナ鼻息がくすぐったい!」
いい匂いが離れていった。ヒョンが半身ひねってこっちを見た。笑うヒョンと目があう。
「もうージェファナ、流れ星ぜんぜん見えないじゃない」
いったいいつ来るのさ、とヒョンは僕の肩をぱしぱし叩いた。
「んもおー、あとちょっとで流れてくるってば〜、ヒョンのせっかち〜」
「あとちょっと、っていつですかぁー」
「うううー……あと、あと百回息したら」
答えにつまった僕がそんな冗談を言ったら、ヒョンは急にたくさん息をし始めた。
「ばかー!」
「あっはははは」
もう、意地悪なんだから。
ヒョンが笑いながら僕の頬をぺちぺちと叩く。
僕はその手をとって、ぎゅっと指を絡めた。そして幼子のように顔をしかめてぐずる真似をすると、ヒョンはこちらを変な顔で振り向いた後何も言わずにまた僕の腕のなかに収まった。
なんとなく、僕はその赤毛に顎をのっけた。
そしてまた無言で星を待つ時間が始まった。
いつもみたいにぎゃあぎゃあおしゃべりするのもいいんだけれど、こうやって過ごす時間も新鮮だからいい。なにより、僕たちが沈黙でいて気まずくない間柄だってことがわかるが気がして。
ヒョンの頭に顎をのっけ、指を絡め、抱きしめたままゆらゆら左右に揺れた。
「はーぎょに、ひょん」
「じぇーふぁーなー」
しゃべるとそれが全部白い息に変わっていった。厚着してるとはいえ冬はやはり寒かった。流星群が来たらすぐに宿舎に帰らないと。ヒョンが風邪引いたら大変だ。……と、考えるあたり、さすが僕って感じかなあ!
「ジェファナー、顎重いよ。ヒョンの頭に穴が空きます」
ゆらりゆらり。右、左。メトロノームさながら、リズムよく揺れる僕ら。ふらふらと揺れるたび、ヒョンの髪から甘い空気が漂う。
「えー、いいじゃん。ヒョンいい匂いするからもっと香りたいの」
「香りたいってなに、"嗅ぎたい"でしょうが」
ゆらゆら。寒い空の下、二人してこんなことしていて馬鹿みたいだけど、冷たいと思っていた風もお互いにくっつきあっていたからいつの間にか冷たいとは感じなくなっていた。このまま揺れてたら僕たちいつか合体できるんじゃないかな、なんて。そんな幻想がよぎって、自然と頬が緩んだ。
「香りたい、なの。嗅ぎたいは犬みたいでしょ」
「……ふ、なにそれ。……ていうか嗅がないでよ」
「かーおーる、って言ってえー」
「ふふふ、香らないでよ、変態みたいだよジェファナ。あはは」
「こらあ〜、またヒョンそういうこと言うー」
拗ねちゃうぞ、と頬を膨らました。でもヒョンはそんな僕をを見て、ただ笑うだけだった。
じんわり、胸のあたりにあたたかいものが広がった。
笑顔が、ほんと、何気ない笑顔なんだけど、すごくあたたかい。
だけどその笑顔を見るとどこか切ない気持ちにもなる。きっと、この好きで好きでたまらないヒョンへの思いが多すぎて、僕の胸でいっぱいになっちゃってて、詰まってるんだと思う。だから苦しいんだ。好きなのに、苦しい。
ヒョンも、おんなじ気持ちでいてくれてるんだろうか。
ヒョンは僕のこと好きって、あんまり言わない。冗談で、番組中に言ったりするけど僕が聞きたい"好き"はそんなんじゃ足りなくて……。ヒョン……。
「好きだからそうなっちゃうの、ヘンタイじゃないもん……、」
冷たく吹く風に乗って消えたらいい、と独り言のように呟いた。白く変化した僕の思いはもやもや漂ってすぐに消えてしまった。それがまるで僕の気持ちがヒョンには届いていないんだとでも言うように思えて悲しくなった。
左右に揺れるのをやめて、ぎゅっと腕の中の愛しい人を抱きしめた。
タブレット端末をポケットから取り出してつけると、流星群が最も見えるとされる時間から15分が過ぎていた。
「ヒョンは、流れ星になんてお願いする?」
きらきら星が輝く空を見上げながら聞いてみた。
けれどヒョンは「VIXXがもっともっと……」と言い出したのですぐさま「そういうの抜きで!」と付け加えたら、途端に渋り出してしまった。
そんなに悩むことなの?
ふー、と息を吐いて、笑う。
「僕はね、ヒョンにもっともっと僕のこと好きになってもらいたい!、かなあ」
きゃっ言っちゃった、と少しおどけてみせる。「おばか」とヒョンに溜め息をつかれた。なんだか少しだけうら悲しくなったので、仕返しに脇腹当たりをこしょこしょとくすぐった。
途端に笑い出すヒョン。くねくねと動く身体に「ごめんなさいは?」と言うと、ひいひい息を荒らげながら、ごめんなさい、と言ってくれた。
分かればよいのだ、と目を細めてみる。調子に乗るなと怒られた。
「……、あ……のさ、」
腕の中、ヒョンがもごもごと呟いた。
「ん? なに?」
前を向くヒョンは、けれど小さな声で喋るせいか何を言ったのかよくわからなかった。聞こえない、とヒョンの顔を覗き込む。ヒョンは何かを言おうと口を開け閉めしていたけれど、すぐに空を見上げてしまってちっとも僕の方を見てくれなかった。
仕方なく、僕も空を見上げた。
「
ジェファナ、俺、」
「うわっ流れ星!」
待ちに待った流れ星がちょうどその時空を走る。僕は子供のように声を上げた。ほらほらあそこ! と指をさす。
ヒョンがぎこちない感嘆の声をもらした。
「すごいね! きれえ〜」
「うん……綺麗だね」
「でもお願い事するの忘れちゃったなあー」
「流れんの早いよねえ、あはは」
本当に一瞬だったなあ。と、思ったところで僕は、はっと我に返った。やっと、見たかった、見せたかった星が流れてきたものだからついつい声をあげてしまった僕は、何かを言いかけたヒョンの言葉を遮ってしまった。
「あ、ご、ごめんっ、ヒョンっ、なにか言ったよね? なに?」
覗き込んだヒョンの顔はなんだかばつが悪そうな顔をしていた。その顔を両手で優しく挟んでこちらを向かせる。目があった。
ヒョンは急にどぎまぎとして目をそらした。
「あっいや、何でもない! その……星! きれいだろ! だから……」
「ふーん……」
離せ、と言うヒョンを無視してまじまじとその顔を見つめた。
かわいい。なんで焦っているのかはわからないけれど、かわいい。
にやにや、ひとしきりにやけた後、僕は手を離した。ヒョンは不機嫌そうにそっぽを向いた。そうして、空に流れ出した無数の星たちに集中してしまったので、仕方なく、僕もそれに倣った。
いくら時間が経ったのかわからなくなった頃、ヒョンの携帯が震え出した。電話だった。
「
。……ウォンシクがそろそろ帰って来てください、だって」
「へー」
もう宿舎に戻んないと行けないのかあ。もうちょっとこうしてたい。
ぎゅっとヒョンを抱きしめた。
「おい、ジェファナ、」
「………はいはいはいはいはいはーい!」
嫌がるヒョンから手を離し、立ち上がった。ふああ、と思わず出たあくびを噛み殺して、宿舎の建物に入っていった。
エレベーターに乗って、1、2、3、と回数が上がるにつれて何故かしゅんとした気持ちになった。
ポーンと開いたエレベーターを降りて、僕たちの家へ向かった。
まったく、もう少しくらいよかったじゃん。ウォンシクめ。ウォンシクめ。
あの一人部屋をうさぎで埋めてしまおうか。ラビットまみれのラビとかかわいいだろ。
と思いながら暗証番号のキーを押そうとしたそのとき、その手を掴まれた。
「?」
ヒョンだった。ヒョンが、僕の手を掴んだままうつむいていた。
「……ヒョン? なにして、」「いいから!」「……」
ヒョンの声が響いた。
掴まれたままの手と俯いたヒョンとを視線が行き来する。とりあえず、何も言わずに口を閉じた。
しばらくするとヒョンはばっと顔を上げた。
「あの、俺、その、……ジェファナ、」
ちらりとこちらを見てはあちらを見て、また見たかと思えば逸らす。ヒョンの顔が百面相していた。
なにやってんだろ。
かわいいなあ。
そう思ったとき、僕はヒョンの口を塞いでいた。軽く触れるだけの口づけ。その途端どん、とヒョンに突き飛ばされた。ヒョンは驚いた顔をしていた。
「ちょ、おま、おまっ、おまえな……!」
「えへへ、だってヒョンなっかなか言わないんだもーん。早く入ろ、ウォンシギに怒られちゃうよ?」
だから手を離してくださいな、と言うとヒョンが何か意を決したようにこちらを睨みつけてきた。
「ジェファン!」
「はい?」
「ジェファナ!」
「はい」
「あのな!」
「はい」
「……、……好き…で…す」
「はい」
「……、」
「……はい?」
「…………」
ヒョンが何も言わず、ぷいっとそっぽを向いて暗証番号を入力し始めた。
胸がどくんと鳴った。きゅうっと締め付けられた。少し冷え始めていた身体はすぐにあたたかくなった。
久しぶりに聞いた、ヒョンからの。
言ってとせがんでも照れて言ってくれなかった言葉だった。しつこく頼むとチョップされるから、いつも僕からしか言っていなかった。
のに。ヒョン……。
暗いし、肌が黒いから、思い過ごしかもしれないけど。ヒョンの顔はほんのり赤く染まっていた気がした。
「あはは、ヒョン赤いっ」
「そりゃあ赤いよ! 赤く髪染めたんだから!」
「あはははっ! ごめん! そうだねヒョンっ」
嬉しくて嬉しくて、どうしようもなくて、ヒョンの頭をぐしゃぐしゃに撫でた。笑みがこぼれる。上がった口角は下げようにも下げられないくらい幸せで、ドキドキして。
僕の手を掴んでいたヒョンの手を掴んで引き寄せ、力の限りぎゅうっと抱いた。
腕の中のヒョンが身じろぎをしながらつぶやく。
「好きって、……言っただけでそんなに嬉しいの」
「ん、嬉しい」
全然言ってくれないから、ヒョン。
ふうん、そうだっけ。知らねーや。
そうなの。でも、許す。ふふ。
この、笑うな。は、恥ずかしいんだから。
ヒョンの首元に顔をうずめた。あたたかい首に頬を擦り付けると、ふんわり、またあの匂いがした。
「……バカじゃん。……バカ」
「ひいっどーい」
首から離れてヒョンと額を合わせた。きらきら光るヒョンの目は吸い込まれそうだった。
お互いに指を絡めあう。
そして、再び口付けを交わした。
「ヒョン、次は愛してる、ね」
ヒョンは答えるようにしてゆっくりと頷いた。