一刻ほどすると、日はとっぷりと暮れてしまった。街灯一つない道……といっても、真っ暗というわけではない。なんせ今夜は満月。野花の蕾が見えるほど、辺りは明るい。 「街灯が無くなってきたとこをみると、やっと砦近くまで来たって感じ」 わたしが所属している傭兵団の砦も割と田舎にある。特に砦の周辺には民家が殆ど無いため、新月には砦から少し離れただけで一寸先も見えなくなってしまう。過去にうっかり戻れなくなってしまい、一晩森で過ごしたのはいい思い出だホント。帰ってきたら団長と副長からは怒られるわ団員からは泣きつかれるわ心配されるわ笑われるわで散々な目に遭った。そんで暫く外出禁止令が出されたっけ。うん、一週間くらい。いやガキじゃないんだから禁止令とかそんなと抗議したら二日増えた。解せぬ……。 段々と辺りに見慣れた景色(といっても草木しかない)が現れてきたところで、わたしはふと歩みを止めた。煌めく満月には雲がかかり、数刻前とは打って変わって付近の暗闇は濃くなっている。そして暗くなったことで漸く気付いたのだが、森の向こうにぽつりと灯りが揺らめいている。方角的に砦の松明かと思ったが、何か違う。 「…………声?」 声、というよりはアレだ。久しく聞いていない、戦場の猛り。 森と言ってもそれほど深いものではない。あえて獣道へ歩を進め、草花を掻き分け走り抜ける。もう少しで森を抜けるという手前でローブのフードを被り、身を屈める。別に目立つ髪色じゃないんだけど何か安心感というか雰囲気?存外背の高かった草の間から、辺りの様子をざっと見渡す。 (思ったほど多い数じゃない。でもうちの砦くらいの大きさなら、この程度の兵数で十分事足りる。黒い鎧……、てことはデイン兵か。いや、けど何でデイン兵がこんな所に……。) 思考を巡らせるも皆目見当がつかない。王都は陥落したが、砦に帰ってくるまでの道中でデイン兵を見たという噂はまだ耳にしていない。 (とりあえず……この状況だと劣勢なのは傭兵団側か。……おもしろそうだし、久しぶりの顔合わせってことで、いっちょ華麗に参上してやろうかね) 赤い魔道書を手に取ったリタは、にやりと不敵に笑った。 「くそッ!」 襲いかかる敵を斬りつけ、アイクは焦りの表情を見せていた。砦に侵入するなら西側と南側からだということは判っている。ただ、頭で理解していても次々と暗闇から敵が現れるとなると、全方向から侵入されているのではないのかという錯覚に陥ってしまう。相手の姿が見えない分、全感覚を最大限に研ぎ澄ませ、即座に体制を立て直し、再び襲いかかってくる敵に応戦しなければならなかった。防衛戦というのは常に一進一退、文字通り神経のすり減るような戦いである。しかし、戦場に出てまだ日の浅いアイクにとって、今回の戦闘は身体的・精神的にもかなりキている筈である。 「おいおい、もう限界かよ?だらしねぇな、アイク!」 「……ボーレか」 回転を加えて槍を叩き折ると、そのままの勢いで敵を斧で薙ぎ倒し、アイクと背中合わせになるボーレ。本人はまだまだ余裕という感じだが、実際背中合わせになると判るように、ボーレもだいぶ息が上がっている。深くはないものの、擦り傷からは血が垂れている箇所もある。しかし戦場での先輩というプライドが、疲れきったボーレを動かしている最後の燃料だと言っていい。普段何かと突っかかる二人だが、アイクも察しているのか、今はあえて口を噤んだ。 「最初に攻撃を受けてからどのくらい経っただろうな」 「さあな。さっきよりも闇が深まっちまってるけど、まだ半刻ってとこじゃねぇの?」 「……半刻なのか……」 「多分な。しっかし、気味悪いくらい長く感じるぜ」 「……いけるか?」 「あたり前だろ!……と言いてぇとこだが……そろそろ相棒も限界みたいでよ」 そう言って軽く肩を回すボーレの右手には得物である斧が握られているが、傷や赤黒い汚れが所々にこびりついている。 「あと1、2回ってとこだ」 「これからすぐに終わるといいが……」 「それが出来たら苦労しねぇっつー……のッ!」 背中にあった重みが消え、お互い支え合っていた勢いでアイクは一瞬よろめいた。それから一拍置いて、鈍い音と共にドサリと敵兵が地に伏せる。 「……俺はそんな柄じゃねぇけどよ、あとは女神サマに任せるしかないみたいだな」 「……あぁ」 顔を上げ、湿っぽく笑うボーレの言葉にアイクはただ一言を返すことしかできなかった。 張り詰めた緊張の中で、突如、暗闇に馬の嘶きが木霊した。続いて聞こえる敵兵の叫び声。驚愕、怒号、困惑……一気に混乱し始めた相手側に、アイクとボーレは弾かれたように闇を見やった。 「い、いったい何が起きたんだ?」 「さあな。俺にも判らん……」 「二人とも!」 すると、聞き慣れた女性の声が頭上から聞こえてきた。赤い髪がふわりとなびく。 「ティアマト、何があったんだ?」 「判らないわ。私は西側の敵を押さえていたから……」 馬をなだめながら答えるティアマト。彼女もまた、突如起こった事態に少なからず動揺しているようだった。 「アイク!」 すると今度は小柄な影がアイクへと駆け寄った。暗闇より少し明るい黒髪と色白な肌に赤い瞳が映える。 「セネリオか」 「はい。どうやら敵兵は撤退を開始したようです」 「撤退だと?」 小さな風の魔道士、セネリオの言葉にアイク、ボーレ、ティアマトの三人は目を見開いた。 「おいおい、それってなんかおかしくねぇか?この条件下で、おまけに数だってあいつらの方が有利な筈だぜ」 「そうね……このまま攻め続ければ容易くこの砦を落とせるでしょう」 「相手側に何があったか……判るか?セネリオ」 「いえ…………そういえば」 何かを思い出したように、端正な顔の眉間に僅かに皺が寄る。顎に手を当て、俯きがちに呟く。 「風に乗って、何かが焦げる臭いが……」 「?……こんなとこでボヤ騒ぎか?」 「ちょっとーボヤ騒ぎ如きとおんなじにしないでくれる?」 「!?」 耳元すぐで聞こえた声に、アイクは思わず剣を振った。すぐさま後ろを振り向き、再び追撃しようと柄を握り締めたアイクはその相手を見てぎょっとした。 「っぶな〜!ていうかさ、わたしの鮮やかな仕事ぶり見てなかったわけ?アイク」 「!?お前……」 アイクの剣戟を躱した際に取れていたフード。月を隠していた雲はいつの間にか消え去り、待ってましたと云わんばかりに闇夜を明るく照らした。 「しょうがないなーもう。この放浪の魔道士リタさんの勇姿、次はちゃんと目に焼き付けな」 懐かしの仲間に向けたリタの笑顔は、月明かりと炎に染められていた。
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