月とうそつき
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弁慶は隠し事が得意だ。嘘もそれなりに上手いし、たばかるのも意図的に仕向けるのも、上手いこと操るのだって彼の認識する中で彼を置いて右に出る者はいない。何をって、人を、だ。あるいは群衆を。だから彼の友人である九郎も望美もよくその餌食になる。


しかしその毒牙を絶妙に交わすのもまた彼らだった。


根が単純だからと手を抜くわけでもなく、むしろ逆で、相手の逆手を取るという言葉を体現しにくいのだ。何せ注進には耳を大いに傾けるし、かと思えば自身の信念を貫いたり、気紛れなのではなく、仁義に乗っ取り過ぎているのである。


そして、思いがけない行動をよくする。解りやすすぎて計算が狂う。


望美は弁慶たっての願いを聞いて弁慶の傍らに残った。無論、彼の妻としてだ。


殆どポーズだけ恥じらって二つ返事で了承した彼女は、しかし婚儀もせずにふらりと旅に出掛けてしまった。弁慶がそれを知ったのは、望美の花嫁修行先であった梶原の京邸を訪ねた時だ。なんと戦の時に九郎が与えた愛馬と共に「とりあえず北」に行ってしまったのだという。


そうしてなあなあになり、末はひとりさみしく五条に戻り、またそれまでの生活を再開してしまった。


朔が彼女を止めなかった理由を考えながら、言い訳のように自分が追いかけなかったことに結び付けた。


憎らしいほどに美しい満月が弁慶を照らす。まるで、彼女は天女で、弁慶が隠し損ねた羽衣を使って帰ってしまったのではないか。疑念や邪推の中で、それでも信じようという己もいて、近年こんなに忙しない気持ちになったことはないだろう。


弁慶はかぶりを振ると、すべてを忘れるように働き始めた。なんとなく、彼女の存在を幻にしたかったのかもしれない。いや、追いかけなかった自分の弱さを認めたくないだけだ。追いかけて追い付けない、追い付いて拒絶される、それが怖かった。


――信じてくれますか?


(信じるって……難しいですね、望美さん)





思いがけない所で望美の足取りが掴めた。


九郎はその日、酒と珍味と文を携えて弁慶の小屋を訪ねた。今まで気にしなかったが、ここは狭い。部屋数は庵だから仕方がないが、如何せん物が多い上に片付いていないのだ。望美をここへやるわけにはいかないなぁと、気持ちはまるで兄のようだ。


そんな九郎の思考には見向きもせず、弁慶は酒より珍味より九郎が持参した書状が気になるらしかった。その筆が、見覚えあるものだからだろう。


藤原泰衡。現在の奥州を治める北端の主だ。


「御館が隠居して泰衡が跡を継いだ、その連絡の文なんだが」


文の内容を酒の肴にしようと思ったのに、弁慶は引ったくるように文を奪い、九郎を手酌にさせてそれに目を落としている。それもその筈だ、先日鎌倉から帰ってきた景時が情報を持ってきた。


「北の関所での目撃情報は本当だったみたいだな」


景時は頼朝に言われたのだそうだ。神子に首輪でもつけて飼い慣らすことだ、さもなくば追い掛けるだけ徒労だ、と。


つまる所、鎌倉で一悶着起こしたらしい。ご立腹ではないようだが、呆れた表情が文に浮かぶようでいたたまれない。


「……九郎、ちょっと出てきます」


「どこへだ」


「奥州まで」


「いやいや落ち着け」


「落ち着いてます」


「だから落ち着け、それは長刀じゃない竹箒だ」


この友人が狼狽えるのを、九郎は初めてみた。初めてみたからこそ、九郎は望美を少し、ほんの少しだけ恨んだ。


(早く帰ってこい馬鹿者)





何故望美がいなくなったのかということを、誰も追求しなかった。皆言うのだ。口を揃えて、「だって望美だし」。


そうして弁慶は待つより他になくなったわけだが、誰もいつ戻るのかわからないくせに、戻ってくることは強く信じているのだから手に負えない。


(夫の帰りを待つ妻の気分)


ぽかりと浮かんだ言葉に、弁慶は全力で落ち込んだ。いやいや、いやいやいやいや。確かにそうだけど。確かにそうだけど、百歩譲ってどっちが妻だとかそれを置いたにしても、確かな約束がないのが口惜しい。というより、情けない。


望美のいない一日は当初長く感じたけれど、過ぎるうちにあっという間に感じるようになった。


ぎしりと音を立てて、戸を厳重に閉める。暖かくはなってきているが、雪はまだ降る気配がする。家鳴りがした。古い家だが一角だけ新しい。ここは、望美が来るからと増築した部分で、今も手が入っている。


(ああ、望美さん、望美さん望美さん、)


弁慶は、横に置いておいた思考を思い返して後悔した。だから、いやだったのに。


「ま、に、あったー!」


突如、雄々しい叫びのような歓喜が弁慶の背中を殴りつけた。スパコーンと音を立てて引き戸が悲鳴を上げる。


「あああよかった間に合いました! 弁慶さん! ただいま戻りました!」


「おかえり、なさい?」


彼女の迫力に気圧されて、弁慶はごく普通の応対をしてしまった。もっとこう、いいたいことがあったはずなのに。


「いやぁ、遠いですねぇ奥州は!」


やり遂げた顔をした望美は、ぐいっと袖で汗を拭う仕草をした。無論、汗をかくような季節ではないからポーズだけだ。


しかし弁慶には気にならなかった。というか、目に入らなかった。


トオイデスネェ、オウシュウハ!


「ええと、望美さん、奥州には何をしに……?」


「泰衡さんと交流を深めに行ってきました!」


「泰衡殿をご存知だったんですか?」


「まぁ、一方的によく知ってますよ。だから知ってもらいに行ってきたんです。」


望美のこういう、噛み合わない会話はわざとなのだろう。弁慶はなんとなくそれがわかるのだけれども、だからどうしての部分がわからない。意地悪だなぁ、とは思う。多分、仕返しだろうから、甘んじて受けるけれど。


弁慶は、望美と九郎は似てると思っている。真っ直ぐで、仁義に悖ることはしないところが特にそっくりだ。しかし、九郎に比べると望美の方がやや狡猾だ。それは、望美が心に秘める咎に起因するのだろう。


「で、言いたいことがあるわけですよ」


「なんですか?」


望美は囲炉裏の前に座る弁慶に、ぬふふとにやけながらすり寄った。


弁慶と言えば、今まで離れていた分を埋め合わせたくてうずうずしているのだけど、ここで望美の話の腰を折ると機嫌を損なうと経験上わかっていて動けない。


望美は急に、円座を降りて姿勢を正すと三つ指をついた。


所作は、朔が教え込んだのだろう。弁慶は細く息をつく。夜はもうそこまでやってきていて、早めに灯していた蝋燭が影と笑ったように見えた。


「いままで、お世話になりました。」


凍り付く。弁慶が口を開く前に、望美は恭しく頭を垂れて続けた。


「あなたの八葉としての働きを、感謝致します。
つきましては、あなたに贈り物をさせていただきたいのですが、生憎わたしはわたしの身一つしか持ちません。


故にこの身一つ、貰って頂けましょうか?」


世界が、時間が、止まったように感じた。





「しかし、それでは情けなくないか?」


馬の手綱を手に、九郎はため息をついた。弁慶はややうなだれているが、しかし幸せそうに顔をほころばせている。


「で、首尾はどうなんだ?」


「九郎、」


「たんじょうび、とやらには間に合ったのだろう?」


望美は、ある日思い付いたままに九郎に言った。


(ちょっと奥州行ってきますね。多分大丈夫な気がするけど、一応は……結局見つからなかったし。ああでも、十一日には帰りますよ! あ、弁慶さんには内緒で)


(……何から突っ込んだらいいのか迷うが、とりあえず何故奥州だ、十一日に戻るってどういうことだ、しかも弁慶に内緒とは!)


(うふふふ)


(気をつけろよ)


(わかってますよ!)


……そういえば、九郎も九郎で快く送り出してしまったのであった。


望美は弁慶の生まれた日を祝いたいと言っていたし、望美の行動はわけがわからないが、意味のないことはしない。


(奥州に行くなら頼みたいことがある。)


色々思い返して、九郎はなんとなく弁慶に悪いことをした気がしてきた。


「いやでも、望美だから……と思ってたのは俺だけではないし……?」


「何独り言ちているんですか。将臣君が独り言は変態の始まりだと言ってましたよ」


「お前に言われたくない。で、どうだったんだ?」


「野暮なことを」


「どうせ、何かよくわからない草とかを渡されてなあなあにされたんだろう。しかもお前から嫁に来いと言わねばならん所を望美に先越されたんだろう」


九郎の言葉に、弁慶はがっくりとうなだれた。


「なんで、知って……」


「俺と望美は『仲良し』だからな」





弁慶は嘘や隠し事が得意だ。


だが、望美には一発でバレた。バレたというのは多分語弊がある。望美は『知っていた』事と『予想出来る』事を上手くあわせて判断したに過ぎない。


だから望美は弁慶が、後に九郎が逃げることになる時に平泉を頼ることを読んだのだ。


ただ望美にも思惑があった。源平の戦の折りに姿も名も聞かなかった重衡の行方。景時が捕らえたと話に聞いたから、所在を聞いたら、姿を消したと言うのだ。


だから望美は、平泉にいるだろうと目星をつけた。荼吉尼天の力が及ばなくなった彼は、しかし確かに呪詛を身に宿して雪深い地にいた。


そうして、自分の用事を済ませ九郎の使いを済ませ、さらには弁慶の思惑を先回りして、望美は帰ってきたのだ。


自らに、神子の任を解く為に。


「とかなんとか言っちゃって、九郎さんに何かあったら戦神子復活しちゃいますけどね」


「おい弁慶、ここにも変態がいるぞ」





100212





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ちゃろさん宅から、こっそり弁誕フリーをこっそりいただいてきました(笑)

しつこいようですが…おやびんがかく三人の関係がほんっとに大好き。何度でも言う(笑)
絶対に切れない絆。見えない引力で引き寄せ合っているような、そんな三人。
いつも「ああ、やっぱ好きだ」って思わせてくれます。

素敵なお話をありがとうございました!
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