※帝光中時代



今日の体育館倉庫の戸締まり当番は紫原だった。面倒臭いと思いつつも、ここでサボると後でキャプテンである赤司に怒られてしまうのできちんとこなす。何せ赤司の説教はひたすら長く、堪え性のない紫原にとって拷問と言っても過言はない。
バスケットボールの数を数え、定数通りなのを確認してから、所々赤茶に錆びた重い倉庫の扉を閉める。ガシャン、と重苦しい音を立てて、扉は施錠された。

「……ふー」

厳しい練習のあとでめっきり疲れた紫原は、一刻も早く着替えたくて堪らなかった。
拭いきれない量の汗が額や鼻筋からぽたぽたと床に落ちたり、髪の毛が顔に引っ付くのが無性に不愉快だからだ。
さっさと着替えてシャワー浴びに行こう。紫原は早足で熱気の篭った体育館を抜ける。
途端、けたたましい蝉の声と共に生温い微風が頬を掠めた。不快感のある温かな風だが、体育館の中と比べれば幾分か涼しい。紫原は眠た気な目を心地好さそうにきゅっと細めた。

「戸締まりはきちんと出来たか、紫原」

ぞくり。声が聞こえるなり、まるで心臓を鷲掴みされたかのように、冷や汗がどっと吹き出した。
それは酷く聞き慣れた声だ。感情を押し殺したような、抑揚のない冷淡な声。
肌がじっとりと汗ばむ所為で、Tシャツがべったりと張り付く気持ち悪さに吐き気を催しながらも、紫原は己の左側に佇む声の主を確と見据える。

「んもう驚かせないでよ赤ちん」
「すまない、驚かせるつもりは毛頭なかったんだが」

赤ちん、と紫原なりの愛称で呼ばれた当人は、夕焼けと同じ色をしたまなこで見詰め返す。
その眼球の美しさに、紫原は感嘆の声を漏らしかけたが、すんでのところで口を噤んだ。
赤司の目は素直に綺麗だと常日頃思っている。特に、感情の類いを一切感じさせない冷たい色を帯びている所が大好きだ。
だが、赤司は自分の瞳を綺麗と形容されるのが余り好きではないようで、ただ見惚れているだけでもすぐに怪訝そうな顔をする。
急に押し黙った紫原を早くも訝しんでか、赤司はずいと紫原の真向かいへ距離を詰め寄りじっと見上げる。

「どうした、紫原」
「え、あ、なんでもないよ」

その刺すような痛烈な視線にたじろいで目線を逸らす。その態度に何らかの確信を抱いた赤司は、ゆっくりと紫原に顔を近付ける。
その間、紫原はまるで蛇に睨まれた蛙のように、身じろぎ一つ出来ずに固まっていた。

「……そうは見えないが。まさか」

遂に赤司の手が紫原の頬にひた、と触れる。今日は真夏日だというのに、赤司の手は氷のように冷たかった。

「赤ちんの手つめたい。手がつめたい人ってさ、」

赤司は紫原の言葉を遮るように、頬に添えていた手を首に回し、ぎしりと体重をかけた。重力に逆らうことなく、紫原は赤司の方へ緩やかに降下していく。不意をつかれた所為で、足が縺れて赤司共々前のめりに体勢を崩した。
床は固いコンクリート製だ。このままの勢いで倒れたら、赤司は強く後頭部を打ってしまう。

「赤ちん!」

紫原は持ち前の反射神経を駆使して赤司の後頭部を庇おうと、無我夢中で抱き抱えるようにして倒れ込んだ。

――ぐわん、と鋭い衝撃に揺れる脳髄。呼応して、心臓が張り裂けそうな程ばくばくと早く脈打つ。あれだけ騒がしかった蝉の鳴き声が、酷く遠くに感じた。

紫原はしまった、と痛感するが、遅かった。
赤司の安全を優先して、自分の身を守ることを忘れていた。おかげで、己の額を固いコンクリートの床へ打ち付けてしまった。
きっと明日を待たずとも腫れ上がってしまうだろう。じりじりと熱を孕んだ鈍痛が紫原を苛む。その熱が目頭に回り、じわりと涙が込み上げてきた。
涙が幾筋も頬を伝ったところで、ふと自分以外の体温の存在に気付く。
そういえば、未だ赤司を抱き抱えたままだった。紫原は慌てて覆いかぶさっていた身体を起こす。

「赤ちん、大丈夫だった?」

返事はない。が、ぱっと見たところ、幸い怪我はしていなかったようだった。寝転がったまま顔を背けている赤司をぼんやりと見詰める。
どうしよう、ひょっとして怒らせてしまったのだろうか。どうしていいか分からず、紫原はしゃくりあげそうになるのを必死で堪え、肩を震わせた。

「……紫原はいい子だね」

突然伸びてきた手に呆気にとられる。その手は紫原の顎をなぞり、頬を撫で、ぽろぽろと際限なく零れる涙を拭い、最終的に赤くなった額を優しくさすった。

「赤ちん、痛い」

赤司はおもむろに半身を起こし、痛みに顔を歪める紫原の額へ口づけた。
突拍子のない赤司の行動に大袈裟にびくつき呻き声を上げた紫原に対して有らぬ欲求が湧いたらしく、赤司は艶めかしい微笑を湛え舌舐めずりをする。

「紫原」
「赤ち、ん」
「好い事しようか」

紫原は身震いをする。ああ、このままでは食べられてしまう。いっそ抵抗なんぞ諦めてしまおうか。
二人の間に不穏な空気が流れようとした時、再びあの微風が紫原と赤司を牽制するかのように優しく包み込んだ。それは赤司の前髪をふわりと持ち上げ、いつもは殆ど隠れている形の良い眉を際立たせた。

「……少し頭が冷えた。この続きは帰ってからにしようか」
「あ、うん」

どうやら赤司は先の微風に毒気を抜かれたらしい。紫原は性急な行為から一時免れたことにホッと胸を撫で下ろした。

「紫原、一先ず退いてくれないか」
「あ、ごめん」

何やかんやで今までずっと赤司に馬乗りになったままだった自分を恥じる。紫原が腰を浮かすと、赤司はすっくと立ち上がった。
座り込んだままぼうっと赤司を見上げていると、柔和に微笑んだ赤司が顔を覗き込んできたと思うと、髪を梳くように撫で始めた。

「帰るぞ紫原」
「いいよー。とりあえず着替えてきていい?」

ゆっくりと起立した紫原がたぶん背中とかに汗染みできてるかも、と朗らかに申告すると、赤司は切れ長の目をまんまるくして吃驚した。

「……さっさとしろ」
「はーい」

紫原のマイペースさに脱力しきった赤司は、見せつけるように重苦しい溜め息を吐く。
喧しい蝉の声をバックに、二人は体育館をあとにした。

2012.7.28
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