花宮はハイエナの狡猾さと蝶の美しさを兼ね備えた蜘蛛だ、と思う。そう仮定すると、さしずめオレはまんまと誘き寄せられた蛾か何かだろう。その色香に魅せられた蛾は、本能のまま求愛をしようとフラフラ近付いた所を丈夫な粘性の糸で搦め捕られた。
 藻掻けば藻掻く程糸は身体に纏わり付いて、逃げおおせる為の体力は次第に失われていく。そして花宮は古橋が完全に弱りきった頃、その艶やかな肢体で古橋の身体を糸で雁字搦めに巻き付け、ゆくゆくは食して腹を満たすのだ。
 愚かしい己は、最期の最後まで花宮の姿に見蕩れているだろう。やがて花宮の腹の中で、オレは花宮と相違がなくなり、彼の糧としてその一生を終える。なんとまあ滑稽で素晴らしい結末だろうか。

 ――ふむ、花宮にだったら捕食されてみるのも悪くない。自らが花宮に食べられていく様を想像して、思わず生唾を飲み込んだ。

「なんていうか、お前の妄想ってえぐい」

 ふと、数十分前に原が発した苦言が脳裏を掠めた。ガムを噛む品のない音が酷く耳障りだったのを覚えている。
 花宮は例え本質は蜘蛛のそれだとしても、人間に変わりない。勿論古橋も例外ではない。そんな事は言われるまでもなく、自分が一番よく分かっている。
 だからこそ、余計なお世話だ、と思った。妄想は所詮妄想だ。そのえぐい妄想とやらで他人に迷惑をかけた覚えはない。よって原に咎められる筋合いは毛頭ない。文句を言うんだったら花宮の事どう思っているか、なんて初めから聞かなければいいのに。

 気分転換に最寄の花屋に寄った。店内に足を踏み入れると、いらっしゃいませ、とレジ係らしき女性店員が控えめに出迎える。疎らに点在する客の視線が痛い。そりゃあ180を優にオーバーする大男が花を買い求めに来るなど、場違い以外の何でもないのだろう。
 もし古橋の今の服装が今風のこ洒落た私服だったなら、彼女への贈り物でも品定めに来たのだろうと捉えようがある。が、今の古橋は少しばかり着崩した学生服姿で、十中八九帰宅ついでに冷やかしに来たようにしか見えない。
 苦痛を紛らすように、店内のより奥の方へと歩みを進める。途中、思わず見惚れてしまいそうな程色鮮やかな花々から発せられる強い芳香でクラクラと眩暈がした。
 花は好きだ。見た目も可憐で香りも馨しいので、つい愛でたくなる。これで花宮に似つかわしい植物があれば万々歳なのだが。
 古橋は突然歩みを止め、羅列している大小さまざまな植物のうちの一つに手を伸ばした。理由は単純に、その植物が花宮にそっくりだったからだ。この独特な姿形といい習性といい、何もかもが花宮に相応しい。古橋は躊躇することなくその植物の鉢を掴み取り、直ぐ様レジへ向かった。



「――で、なんだ。つまりアンタはオレがそれに似てるって言いたいのか?」
「全く以てその通りだが、コレはそれという名前ではない。ハナミヤという名前をつけた」
「バァカ、勝手に人の名前を付けてんじゃねえよ」
「すまない」

 翌日、購入したその植物を見せる為、部活帰りに花宮を自宅へ招いた。今日に限って一段とご機嫌ななめだったので、気を利かせてホットダークチョコレートを出してやったら、難癖を付けながらも綺麗に飲み干した。どうやらご機嫌はそこそことれたらしい。
 なので、頃合いだと思って件の植物を花宮に紹介した。だが、植物を目の当たりにして彼が真っ先に抱いた感想は「キモいな」という一言だった。はて、若しや同族嫌悪だろうか。古橋は無感動な瞳で手元の植物を見詰める。

「ハエトリグサだっけ?それ」
「そうだ。可愛いだろう」
「随分と悪趣味だな」

 花宮は眉を顰める。花宮に趣味趣向を貶められるとは、全く以て世も末だ。肩を落としてハエトリグサの葉を撫でる。
 仮に花宮がハエトリグサだとすると、オレは蠅だ。しかし、ハエトリグサには獲物を誘き寄せるような性質は備わっていない。それでもなお、オレは花宮へいざなわれるだろう。きっと、道理では説明しきれない何かがそこにあるのだと思う。
 その愚昧な蠅は開いた葉の中へ足を踏み入れ意図せずともトン、トン、と二回感覚毛へと刺激を与える。さすればあっという間に葉は閉じ、棘に行く手を阻まれるのだ。二度と外の世界を飛び回る事は叶わず、そのまま消化液でどろどろに溶かされはいさようなら、か。
 歓喜からくる震えをごまかそうと、自分自身を抱きしめるように必死で押さえた。すると、花宮の顔が奇っ怪そうに強張る。どうやらごまかしきれていなかったらしい。弁解の余地もなく、困ったように眉尻を下げていると、突然花宮が吹き出した。

「今ろくでもないことを考えてたろ」

 図星だった。返答を決めあぐねていると、花宮は空のティーカップを弄び始めた。

「どうせオレがハエトリグサだったら自分は蠅だとか妄想してたんだろ」
「当たり。ぐうの音も出ないな」

 古橋はたまたま視界に入った花宮の唇をしみじみと見遣る。薄く色付いているそれは、此れ見よがしに舌舐めずりをした所為で艶めかしい光沢を放っていた。
 古橋は、無意識のうちに人差し指で花宮の唇のラインをするりとなぞっていた。指の腹を押し返す弾力が何とも悩ましい。
 花宮の表情は何処か気怠げだった。
 今度はちょっと意地悪して小突いてみよう。触れっぱなしだった指を持ち上げると、待ってましたと言わんばかりに形の良い唇は開かれた。
 その隙間から覗く歯の白さに目を奪われているうちに、我が人差し指は花宮に飲み込まれてしまった。
 温かい。柔らかな上唇と下唇に包み込まれる感覚に抗う事も出来ず、たじろぐ。花宮はにやりと微笑んで、口に含んだ指を強く噛んだ。突然走った痛みに驚いて、持っていた鉢植えは滑るように落ち、派手な音を立てて散らばった。

「あれえ、古橋君。大事な大事なハナミヤが落ちちゃったけど?拾ってあげなよ」

 指を噛む力は一層強くなる。花宮は嫌らしい笑みを湛えた。その口調は善心から、鉢植えを拾うことを催促しているように聞こえる。だが、その言葉の真意を辛くも古橋は理解していた。
 花宮はハナミヤに嫉妬している。そんな状態の花宮を前に、オレはむざむざ鉢植えを拾わないということを見透かした上で、試しているのだ。
 剰え花宮は、多分ハエトリグサに成り切っている。それはつまり、今のオレは必然的に獲物に値する蠅か何かという事になる。
 どうやらオレの妄想に付き合ってくれるらしい。相変わらず、演技が好きな奴だ。

「痛いよ」
「でも嫌じゃねえんだろ?」

 古橋は正直に頷く。そして、先程まで執着していた筈の植物の残骸には一切目をくれず、ただただ痛みの根源である指を凝視する。花宮のやつ、かなり本気で歯を立てているらしい。
 宛ら飢えた獣のように必死で食い千切らんと躍起になる花宮を見ていたら、指の一本くらいならくれてやってもいい気がしてきた。気がしてきただけでやらないけど。

「捕食される気分はどう?虫螻さん」
「まあまあだな。思った通り悪くない」
「あっそ」

 唾液で薄まった血が花宮の口元を汚し、節くれだった指を幾筋も伝っていく。その様はまるで自身が美しい彼を堕落させ穢しているようで、得も言われぬ背徳感にぞくぞくした。
 古橋は引き攣ったように口角を上げる。やはり花宮は狩る側で、オレは狩られる側。狩る側が仕留めるのが先か、将又狩られる側が隠していた牙を剥くのが先か。

 たまにはそんなごっこ遊びに興じるのも悪くない。

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Venus Frytrap…女神のハエ取り器(ハエトリグサの英名)

2012.11.07
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