黒く塗り潰された視界に突如として目映いばかりの光が差し込む。意識が完全に戻った時、俺は冷たいコンクリートの床に這い蹲っていた。

(ここは、どこだ)

ノイズ混じりの脳内を掻き回し、今自分が置かれている状況を整理する。そう、確か人間としての俺は既に死んでいた。今こうして思考しているのは俺であり俺でない化け物なのだろう。
かつての上官のがなる声。かつての同僚に奢った缶ジュース。そして訓練用のヘリが墜落し、俺はその機体の下敷きとなって絶命したこと。それらはこうして目覚めた時に一瞬だけ過ぎる殻の記憶だった。
思考が靄がかる頭を抱えながら身体を起こし、辺りをきょろきょろと見回す。辺りには赤茶けた扉とボロボロの郵便受け、更に黄ばんだコンクリートの壁があり、丁度後ろには壁と同じ色をした階段が続いていた。
そこで何となく思い出した。俺は此処で見張り、邪魔な人間を発見したら殺すつもりでいた。何故なら、母からそうインプットされていた。それはまるで洗脳されているようで今一釈然としないまま、足許に落ちていた機関拳銃を拾い上げた。
苛立ちを覚え地団駄を踏みながら装弾し、手持ち無沙汰に後ろ手にあった階段を踏み外さないようゆっくりと上る。
一段一段上り詰めるごとにぼんやりと思い出すのは、発砲された弾丸が肉を突き破る生々しい音、鼻につく硝煙の臭い。そして――、

――少女の、笑い声。

未だあどけなさをかんばせに残した二つ縛りの少女。血に塗れた彼女は、機関拳銃を片手に持ち、とても人間の小娘とは思えない耐久力と瞬発力を兼ね備えていた。

(全弾心臓を狙って撃ち込んだ筈なのに、)

それでも彼女は一瞬蹌踉めいただけで、すぐに体勢を整え反撃してきた。彼女が倒れなかったことに面食らっているうちに、俺は至近距離からの銃撃をまともに食らってしまったのだった。
階段を上り終えると、剥き出しのコンクリートと開いたままの赤く錆びた扉が見えた。

(彼女は此処にいるだろうか)

淡い期待を心中に抱きながらも、中へ足を踏み入れる。みしり、と床が軋む音が止むと同時に、再び静寂が辺りを包み込んだ。水垢塗れのキッチンを横切り、土足のまま小汚い畳を踏み進める。しかし、部屋を見渡せども少女の姿どころか影すらも見当たらなかった。
期待ハズレの結果にがっくりと肩を下ろし、その場にへたり込む。持ち場を離れてまで散策した結果がこれでは無駄骨だったではないか。
遣るせなくなって先程まで自分が踏んでいた畳の上に半ば不貞腐れながら寝そべった。この場所は其れほど日当たりがよくない筈なのだが、畳相手に頬擦りをしてみれば、不思議と温もりを感じた。
その心地好さに我を忘れてうつらうつらしていると、不意にカタン、という不自然な音が襖の奥から聞こえた。訝しんで寝そべっていた身体を起こし、気付かれないようそうっと襖の前まで近付く。善く善く耳を澄ましてみると、中から微かな物音がしていた。
どうやらこの中に何者かが潜んでいるようだ。脳裏にふと、あの少女が震えながらこの中で縮こまっている姿が過ぎる。可哀相に、これでは袋のねずみじゃないか。

「いるんですかあ」

にんまりと薄ら笑いを浮かべながら態とらしく問い掛ける。当然、返事はない。胸を弾ませながら襖にゆっくりと手を掛け、一気に開け放った。
だが、顕わとなった薄汚い内部にも、少女の姿は見当たらなかった。

(おかしい、一体何処へ逃げた)

首を突っ込んで隈無く見渡すが、みゃあ、という鳴き声と共に一匹の猫が飛び出してきただけだった。走り去る猫の姿を目で追っているうちに段々と怒りが沸き立っていき、いっそ食い殺してやればよかったかとまで思い至るのであった。
が、立て続けに少女の行方を外したことにより興醒めしてしまったので、何となしに空になった黴臭い襖の中をぼうっと見詰めることにした。

「みいつけた」

どれくらい経過した頃だったか。何の気無しに突っ立っていると、突然背後から少女の楽しげな声が聞こえた。しまった、と思い振り返って距離を取ろうとするが、そんな間も無く後ろから機関拳銃を構える無機的な音がしたかと思うと、パアン、と乾いた銃声と共に脳髄がぐらりと揺れたのだった。



「おおい、起きろよ」

何者かに頬を何度も乱暴に叩かれる。その反動で、決して安らかとは言えぬ幾許かの眠りから覚めた。朧げな意識をなんとか繋ぎ、鉛のような身体を無理矢理起こす。すると、丁度己と向かい合う形で表情一つ変えずに殻の同僚に当たる人物が頬杖を付きながら此方を見ていた。眉間に皺を寄せ恨めしげに頬を手で摩りながら目の前の叩いた人物を睨む。

「あ、おはよう」
「おはよう、じゃねえよ。痛いじゃないか」
「いつまでもそうして寝転がっているのが悪い。それに、態々起こしてやったというのにその言い草はないだろ」

無表情のまま戯けてみせる同僚に本日何度目かの苛立ちを覚え、執拗に相手の脇腹を小突いてやった。が、彼奴は擽ったそうに身をくねらせるだけで、余り嫌がらせにはなっていないようだった。
いつもならば、いっそそのアイデンティティと化したパンダ顔負けの隈取りを綺麗に拭き取ってやろうかと啖呵を切るところだが、少々億劫になったのに加え、何よりあの少女のことで頭が手一杯だったので、しおらしく引き下がってみせた。
既に臨戦体制を取っていた同僚は、いつものように食いついてこない俺を拍子抜けしたように呆然と見詰めていた。しかし俺は気にも留めず、心中はどんどん彼女で満たされていくのであった。

「なあ、あの少女は何処へ行ったか知らないか」

そう尋ねながら、何となしにあの時少女に撃たれた後頭部を軽く摩ってみれば、まだ乾いていない血液が手のひらにこびりついた。付着した液体を一瞥し、同僚の方を見遣る。
同僚はまるで檻の中の猛獣を見る時のように、怪訝そうに顔を顰めていたかと思えば、やがて呆れたように態とらしく溜息を吐いた。

「少女って、あの殺人マシーンのことか。やめとけやめとけ、あれは俺達が束になっても殺せやしない。構うだけ無駄骨だぞ」
「違う。俺は彼女を殺したいわけじゃないんだ」
「じゃあなんだっていうんだ、このあんぽんたん」
「あの娘、独りにしないでって言っていたんだ」

後頭部を不意に撃たれ、完全に意識を手放すまでの間に、彼女はそう呟いていたのだ。他にも酷く弱々しい声音で、寂しかったよ、とも言っていた。俺にはそれが気掛かりで仕方がなかった。また、俺自身も傷付けられてむかむかするという訳でもなく、純粋な好奇心を彼女に対して抱いているのだ。第三者にこのような感情を抱懐するのは初めてであることもあり、俺は彼女という存在に期待せざるを得なかった。

「うつつを抜かしてんじゃねえよ馬鹿が」

一体何が癪に障ったのか、同僚は何時もより数段低い声色で此方を睨みつけ、いつの間にか手にした機関拳銃を俺のこめかみに突き付けてきた。その、目にも留まらぬ早業に素直に感心して拳銃と同僚を交互に見合わせていると、同僚は不意に厚みのない涼やかな目をこれでもかと吊り上げ、柳眉を逆立てた。

「お前みたいな無鉄砲はもう一度殺されてしまえばいいんだ」

そう早口で捲し立てたかと思うと、俺のこめかみに当てていた拳銃を下ろし、まるで萎んだ風船のように肩をがっくりと落として引き下がった。普段は高慢稚気で自尊心の塊のような此奴でも、多少いじらしいところもあるものなのかと見直した。その意外な一面を垣間見たことによって口角が吊り上がり、ついにやけてしまったのだった。

「なあに、ひょっとしてやきもち?」
「調子乗るんじゃねえよ」

安易な冷やかしを入れると、同僚はむっと口を尖らせ一度は下ろした筈の機関拳銃を此方に向けて乱射した。その発砲された銃弾の一つが俺の右胸を抉る。撃ち込まれた衝撃でふらりふらりと蹌踉めいて後ろへ倒れそうになった所を、いつの間にやら俺の背後へと上手く回り込んだ同僚に、半ば抱き留められる形で受け止められた。

「可愛くねえな、何すんだよ」
「五月蠅い。銃弾一発でふらふらしているような為体じゃ殺人マシーンには到底敵わないってことを教えてやったんだよ」
「よくもまあいけしゃあしゃあと」

俺を抱き抱えて意地悪く微笑む同僚に腹が立って、無理矢理突き放して部屋から逃げ出した。無我夢中で階段を駆け降り、外へ脱出したあと、振り返って後ろ手を確認する。背後には誰もいなかった。同僚が追い掛けて来てはいなかったことにほっと安堵の息を漏らす。

「いたあ」

先程からずっと追い求めていた声が耳朶に触れた。彼女のふわり、と熱い吐息が耳を媒体に本能的な何かを擽る。
もう彼女を受け止める準備は出来ていた。彼女のいる方を見遣ると、殻の腕から胸元へ滑るようにいくつもの風穴が空いた。どうやら見遣ると同時に機関拳銃を此方へ向けていたらしい。それをものともせず、気力だけで持ち堪え彼女へ向けてにこりと微笑む。

(ああ、予想通りだ)

楽しそうな声音とは裏腹に、彼女はとても悲しそうな表情をしていた。

「もう何処にもいかないでよ」

その言葉は俺に対して発せられたものではないかもしれないが、まるで自分を必要としているかのようで酷く気分が良かった。

(わかった、これからはずっと側にいてあげるよ)

そう言って彼女の頭を優しく撫でてやりたかったが、一歩踏み出した瞬間、朦朧としていた意識がぷつりと途絶えてしまった。



「今度は外でおねんねかよ。いいご身分だな」
「また君か」

二度も小憎らしい同僚の声で目が覚めるとは、なんとも寝覚めが悪い。同僚が差し出した手を無視して自力で立ち上がり、衣服に付いた砂埃を払う。
態とらしくにっこりと微笑みかけて有難うと礼を言うと、同僚は困ったような素振りをしてみせた。

「だから無駄だと言ったのに」
「そんなことは関係ないさ。それにしても、何度も可愛い娘に殺されていると何かに目覚めそうだね」

変態かよ、と捨て台詞を残し、同僚は顰めっ面で立ち去っていった。俺は引き留めることもせず、ただ薄笑いを湛えながらその背中を見送った。

(さて、俺もいかなくては)

この次会ったときは名前ぐらい聞くことができればいいなあと内心呟く。今更元いた場所に戻るのも気が引けてぼうっと突っ立っていると、不意に目の前の社宅のベランダから派手な銃声が聞こえた。音の正体が誰かは疾うに見当がついていた。俺はにたりと卑しい笑みを湛え、同僚が向かった先とは反対の社宅へ嬉々として歩みを進めることにした。

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