「三成さん」
「・・・なんだ」

目が覚めてから明日の事で頭が一杯であった私は、今にも消え入りそうな少女の声で仕方無しに振り返る。
するとその大きな双眼の眼差しは、まるで流星の煌めきの様にきらきらと輝いていた。
私の貫かんばかりの視線に肩を震わせた少女は、逸らし気味だった視線をそろりと戻す。その潤んだ瞳は、何処か畏怖の色に染まっている様に見て取れた。

少女はもそもそと口籠もりながらも、恐る恐る小さな口を開く。

「本当に、行かれるのですか」
「・・・・・・・・ああ」

時は1600年9月14日。明日には遂に念願の憎き狸を討ち滅ぼす決戦の火蓋が切って落とされようとしている。その為、私は昼日中から刑部と軍議をしたりと大忙しだった。
なので、この少女に構ってやる時間は無く、早々に戯れを終わし軍議の続きをせねばならない。・・・のだが、煩わしいという感情は不思議と感じない。それは私がこの少女にどうしようもなく惚れているからだろうか。


今思えば、此奴との最初の出会いは最悪だった。

刑部に家康を倒す為には必要になるだろう、と半ば唆され、私は伊予河野に出向いた。
船上に足を乗せるのは、秀吉様ご存命時の朝鮮出兵の時に少し立った以来だった。それ故、この不安定な水面の上にぷかぷか浮かんでいるこの乗り物には未だ歩く事すら不十分で慣れない。
そんな調子で敵を屠り進むと、桃色をこれでもかとあしらった船上には若さの際立つ小生意気な生娘が一人。

最初に見た時は正直己の目を疑った。巫女、預言者と聞いて、てっきり老いた老女だという先入観があったからだ。で、いざ直面してみるとこの為体。咆驚というか唖然というか・・・呆気に取られて思わず失速したぐらいだ。
その預言者も預言者だ。何故それだけで私が貴様に一目惚れした等と思い込んで不思議そうな目付きで私の周りをくるくると回るのだ。全く、勘違いも甚だしい!

確か、それからというものの預言者が私に付き纏い出したのだったか。なんでも、預言者が私の側にいないと災厄が降り懸かり続けるのだとか。
・・・皮肉にも、もう手遅れなのだ。秀吉様が家康に討ち滅ぼされた時にはもう、私には膨大な量の禍が降り注いでいた。

最初はそう言って粗野にあしらっていたが、預言者はそれでも付き纏う。
以前、ただでさえ孫市との契約を破棄され苛ついていた所で預言者が現れ、煩わしくなった私は憎悪の視線で預言者を睨みつけ口穢く罵った。

それでも預言者は一瞬傷付いた苦い表情をしてみせたきりで、「辛かったんですね」「今まで耐えてきたんですね」と知った様な口で私の髪を撫で慰めた。本来なら忌ま忌ましい筈なのだが、不思議と冷え切っていた心がやわやわと溶かされ、和らいでいくのを肌で感じた。

そう、確かそれからだったな。預言者の行動を目で追ったり、背後から不意打ちを仕掛けた輩を「秀吉様の遺された貴重な兵力を絶やす訳にはいかない」と口八丁手八丁に言い聞かせながら斬り刻んだり、端から見れば預言者を護る様な素振りをし始めたのは。


一通り預言者との出来事を追憶し終えると、なんとも言えぬ歯痒さに蝕まれる。

「やれ三成・・・・・・・・眠りこけている暇等有らぬぞ」
「・・・刑部か」

旧友の呼び声で固く閉ざしていた瞼をゆっくりと開く。ずっと瞼を瞑っていた所為で視界は不鮮明だったが、暫くすると徐々にはっきりとしてきた。
そうだ、今は明日の戦に向けての軍議を刑部としていたのだったな。

「眠って等はいない・・・追懐していただけだ」
「ひひ・・・主が過去を懐かしむ等・・・、混沌よの。いや、誠結構」
「どういう意味だ」
「聡い主なら判ろう。其の儘の意味よ」
「・・・・・・・・」

暫くの沈黙の後、刑部はゆっくりと口を開く。

「・・・して、何を想起し懐かしんでいたのか?」

刑部の酷く真剣な声音に思い直し、私は先程まで追懐していた内容を粗方話した。

すると暫く押し黙った後、刑部は和やかな口調で「三成様はあの鶴姫様とやらがいらしてからお変わりになった」「まるで秀吉様と半兵衛様がご存命の頃に戻った様だ」と兵士共が口を揃えて言っていたと伝えた。
私自身はさして実感はないのだが、周りがそう言うのならそうなのだろう。
なので、「そうか」とだけ小声で呟き目の前の関ヶ原の簡略的な地図に視線を戻すと、急にひっひっと過呼吸の症状を思わせる笑い声を高らかに上げ、刑部は包帯をしていても判る程ひやりとした笑みを浮かべると私に向かって言い放った。

「三成・・・、そうよの、主は三成よ」

その言葉の真意が今一掴めず、向けていた背を翻し訝しい表情で刑部を見詰める。
何故か刑部は、先程より柔和な表情をしていた。

「そう・・・――主は石田三成。凶王三成とは似て非なる・・・・・・・・人間よ」
「・・・・・・・・人間、か」

うむ、とだけ頷くと刑部の先程の表情は消え失せ、能面の様な無表情に戻った。
それを合図に再び軍議を始め、対策を入念に練る。何がなんでも家康を討つ。軍議の間、私にはそれしか頭に浮かばなかった。


そして、軍議は深夜にまで及んだ。あれやこれやと討論を重ね、なんとか形にするまでに至った。
・・・・・・・・とうとうこの時が。貴様を滅する為に今まで沢山の裏切りにあった。だが・・・―それも今日この時までだ。貴様を倒せば何も彼もが見えるのだ。
預言者の言う、未来が・・・―。

眉間の皺を更に深め、何千何万という我が軍の兵卒共に目を遣る。一刻も速く狸の元へ辿り着く為には、もう出発しなければならないだろうという考えの元、刑部が僅かな時間でこれだけの人数を掻き集めたのだった。
・・・どうやら私は、あの預言者の戯れ言に毒されてしまったらしいな。
既に一度死んだ身だというのに未来に期待するなど。

「・・・行くぞ、刑部」
「あいわかった・・・進め」

後ろの刑部に目配せをして声を掛けると、こくりと頷き何時も通りの返答が帰ってくる。
その号令と同時に兵卒達は雄叫びと共に一斉に目的地へと足を進めていった。
大方見送った所で私は馬に跨がり、手綱を引っ張り走らせようとした。
―が。

「ま、待って下さい!!」

聞き覚えのある耳障りな高音が突然引き留め、反射的に握っていた手綱への力を緩める。荒くか細い息遣いがすぐ隣まで来たのを黙認し、視線をそちらに向ける。
予想は的中。夜目が利かなくともその人物が紛れも無く預言者だという事は窺い知れた。乗馬した儘では忍びないので馬から素早く下りる。

「・・・どうした」
「み、三成さん・・・もう行っちゃうんですか・・・?」
「・・・・・・・・ああ」

預言者の言葉は息切れの所為で舌足らずで、聞き取るのに数秒を有した。
理由はどうあれ、預言者は私を引き留めていたいのだろう。預言者は捨てられた子犬の様に濡れた瞳で私を見詰め、陣羽織の端を力無く握っている。
・・・実に扇情を掻き立てられる行動だ。
だが、今は構ってやれるだけの猶予はない。惜しい事だが、今の私には裏切り者の家康と決着をつける事が最優先なのだ。
端を握っているか弱い手に自らの掌を出来る限り優しく包む様に重ね、そっと引き離す。すると預言者は既に泣きじゃくって酷く泣き濡れた顔を更に歪ませ、嫌だ行かないでと喚き出した。
此の儘無理に引き離し戦場に向かう事は容易いが、それでは残された預言者が余りに憐れだ。
私は縋り付く預言者の髪を撫で上げ、精一杯の造り笑いを預言者に向ける。

「必ず戻る。貴様は心配するな」

ふぇ、と間抜けな声を上げて竦んだ預言者の前髪をするすると捲り上げ、その白い額に接吻を施した。見る見る内に上気していく預言者の顔を想像し、私は背を向けて馬に跨がる。未練が残ってしまう前に立ち去らなければ。
手綱を力の限り引っ張れば馬は忽ち駆け出す。

実際の所、必ず戻れる可能性は多く見積もって二分の一。これは一種の賭け事に近い。だが、信じてみたくなったのだ。

勝利の後に見える未来を。




君を倒せば先が見える




で、この後家康にやられて未来は途絶えると。
でも戦いに勝利して鶴姫と共に見る未来へのルートが隠しシナリオであるといいな。
タイトル御題は虚言症様よりお借りしました。


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