ニア響ニア(キミニアイタイ様提出作品)



私はもう、君の虜





琥珀色の液体が透明な容器を並々と満たしていく。

淵ギリギリまで注がれたグラスを掴むと、響也はそれを傾け一気にあおった。

空になった硝子の内側で、ぶつかりあった氷がカラン、と音を立てる。


「ぷは―……生き返った!」


響也は手の甲で、口唇の端の水滴を拭った。

勿論グラスの中身はビールでは無く、兄手製の麦茶であったが。

残った氷を頬張りながら、響也はご満悦の表情で一人頷いた。


「ってやっぱ、風呂上がりはこの一杯に限るよな!」


「……中々親父くさい事を言う、」


笑みを堪えるかのような声。

二杯目を注ぎかけた響也はその声にぎょっとなって振り返る。

最初に目に入ったのは、ショートパンツからすんなりと伸びた、形のいい脚。


「!…うわ……ゴホッ!」


驚いた拍子に口内の氷を丸呑みしてしまい、響也は激しくむせた。


「…何をやっているのだ」

「は、はせく…ゴホッゴホッ、」

「ふむ、兄の私物のペットボトルから黙って拝借とはまるでコソ泥だな、如月弟」

「うるせー…ゴホ、」

「…しゃべるか咳をするか、どちらかにした方がいいぞ?」


身体を折って苦しそうに咳き込む響也を呆れた表情で見下ろして、支倉ニアはそう言った。


(だったら話かけんな!)


と、響也は涙の滲んだ瞳で、その飄々とした顔を睨み上げる。

ニアはどこか興味深そうに、そんな響也を眺めていた。

その手には何故か、華奢な体躯に不釣り合いな大きな脚立を持っている。


(……脚立?)


ようやく呼吸が落ち着くと、響也はニアに向き直った。

腰まで届く長い髪を、今日はふたつに分けて淡いブルーの紐で結んでいる。

そうすると彼女の秀でた容貌や、白い肌がよく映えた。

真正面から対峙して、響也はうんざりとした。


「……何だ?何か言いたそうだな」

「…何でもねーよ」


憮然とした口調でそう言って、目の前の少女からそっと瞳を逸らす。

日に焼けた事など無さそうな程白くて透明感のある素肌に、淡い水色のキャミソール一枚。

それに丈の短いショートパンツという高校生男子には目に毒すぎる露出の多い格好で、ニアは不思議そうに小首を傾げる。

さらり、と肩に掛かったサラサラの髪が揺れた。


「…おかしな奴だ」


(お前に言われたく無い!)


大体ここは生徒数は少ないとはいえ男女混合の学生寮で、決して女子ばかりが住んでいる訳では無い。

それなのに警戒心の無さ過ぎるこの薄着。

いや警戒心云々より、これはもう異性としてカウントされてないとしか思えない。



(…まー今までの寮生がアレだもんな)


兄の表情の乏しい顔を思い出して、響也は密かに嘆息した。

つい先日終わりを告げた夏休みの間は他校生徒も宿泊していたが、今ではこの寮に住む男子生徒と言えば、自分達兄弟しかいない。


(…いや、大勢の前でこの格好も困るけど、さ)

赤くなったり青くなったり。

勝手に百面相する響也を気にしない事にしたのか、ニアはそのままスタスタと通り過ぎようとする。


「あ、おい支倉」


慌てて声だけで呼び止めると、響也は彼女の手元を指差して言った。


「それ何だよ?」

「これか?これは脚立だ」

「………」


(見たら分かるっつーの…)


がっくりとうなだれた響也に「冗談だ」と事も無げに言って、ニアはふと気が付いたように言った。


「…そうか、その手があったな」

「…へ…?」














「…これか?」

ひとつだけ消えたライトを指差して、響也は言った。

「麦茶泥棒を告発されたくなかったら付き合うがいい」と、ニアに促されて連れてこられたのは、寮生共用のラウンジだった。

響也としては別に律に話されても構わなかったのだが、脚立を手渡され、何となく彼女の背中に付いて来てしまったのだ。

これ、という言葉にニアが頷いたのを見届けて、響也は再び上を見上げる。

菩提樹寮は古い洋館を使用しているせいか、天井が酷く高い。

特にラウンジは吹き抜けになっているので、高い位置にあるシャンデリアの電球を交換するのは確かに骨が折れそうだった。


(俺が1.75mくらいで、この脚立が2mくらいだから…まあ届くか)


距離を目測量して、響也は脚立へと足を掛ける。


「下、押さえとけよな、」

「分かった」


ニアのほっそりとした両腕が伸びてきて、脚立を支える。

上からニ段目くらいまで上ると、ちょうど消えたライトへと指先が届いた。

古いライトを取って、ニアの手へと渡す。

新しい方を差しだしながら、ニアは「助かった、」と言った。


「…はあ?」

「いつもは寮母に頼むと、近所の電気屋が交換してくれるのだが、今週一週間は遅い夏休みらしくてな」


沖縄へ家族旅行らしいぞ、と報道部らしい情報網で彼女は付け加えた。

その微笑む顔を見下ろして、響也は呆れて口を開く。


「――だからって、女ひとりで交換なんて、無茶だろ?」

「仕方が無い、我が友は今晩は想い人と念願のデートだ。夜遅くなると言っていた」

「…かなでの奴、」


響也は幼馴染の名を呟くと、小さく舌打ちする。

どうりで最近、あの男の姿をよく見かけると思った。


(おかしい、と思ってたら、やっぱ付き合ってやがったのか)


おもしろくない、と思う心境はもはや父親に近い。

ちっと音を立てた響也に、下から興味深そうな声が掛かる。


「…妬けるのか?」


どこか面白がるような声。

響也ははあっと嘆息して応じた。


「誰が!――どっちかというと保護者の心境」

「ほう――?」

「…何だよ?」

「いや……まあどちらにせよ、私には幸いした」

「――?ああ、これの事か」


響也は交換したばかりのライトを見ながら言った。

それもあるな、と呟いて、ニアは意味深に微笑んでいる。

脚立に腰かけたまま、響也は綺麗なくせに一癖も二癖もありそうなその表情を見下ろした。

大輪の薔薇というよりは、静粛な百合。

茨や棘を持つ、というよりは、球根や茎根に毒を持つという――白百合に近い。

自分がいて助かった、と彼女は言うが。

ひとたびニアが口を開けば、夜で有ろうとも男子生徒の一人や二人、易々と捕まるに違いない。


(そういや、音楽科でも有名だもんな――なんつったか「難攻不落のクレムリン宮殿」だっけ?)


どことなく色素が薄いのはロシア人とのハーフだから…と誰かが言っていた。

こと、ニアに関する噂は、普通科でも音楽科でも事欠かない。

幼馴染のかなでのように、決して人の和の中心にいるタイプでは無いのだが――彼女はよく目立ち、人目を惹いた。

しかし何分、その際立った容貌に似合わないクールでドライな性格のせいか、ニアは友達もそう多くは無く――人を滅多に寄せ付けない。

したがって噂ばかりが先行し、結果、支倉ニアは謎の多い、ミステリアスな美少女という地位を確立していた。


(まー口さえ開かなければ、な)


かなでの親友でしかも同じ寮、というだけで、クラスメイトから散々質問攻めに合う響也は、正直彼女の密かな人気ぶりに驚いていた。

その毒舌ぶりを差し引いても確かにニアは、同世代の女子にはない落ち着きや大人っぽい雰囲気があった。

しかし響也がニアから目が離せないのは、もっと別の表情だった。


親友のかなでと居る時にさえ、ふと見せる寂寥めいた微笑。


――まるで、柔和な笑顔で全てを拒絶するような。


知っているどんな女の子とも違う。

響也の周りで、そんな表情を浮かべる人間など今まで居なかった。

人間と言うよりは何となく、小さい頃路地裏に捨てられていた黒猫に似ている。

可愛い容貌で甘えた声で啼く癖に、響也が近づくと激しく威嚇した。

指に怪我をするから近付くな、と律に注意されても隠れて何度も様子を見に行った想い出がある。


(――って、シュミが悪すぎるだろ、俺)


響也は少々悔しくなって頭を掻いた。

ニアはこちらの反応を観察するのように、響也を見つめている。

その姿が、やっぱり段ボールの中の小さな猫を彷彿させた。

何か言おうとして彼女の顔を見た響也は、ふとその白い胸元を見て――身体を硬直させる。


「おまっ…ちょ…」


脚立の上に居る事も忘れ、響也は思わず立ち上がった。


「?――どうした、」


響也の慌てた様子に、ニアは小首を傾げる。

2mの脚立がぐらりと揺れた。


(うあっやべ――!)


「うわあああ!」

「―――っ」


ガタン、と派手な音を立て――響也は脚立ごと床へ投げ出される。


衝撃を覚悟して、響也は目を瞑った。


と、身体の下に柔らかな感触。



(――あれ?)


痛くないな、と響也は恐る恐る瞼を上げた。

そして、再び固まる。


「……」

「……」


果たして身体の下には、ニアが居た。

珍しく驚いた表情で、じっと響也を見上げている。



――床に押し倒された、体勢で。



「……」


あと少しだけ詰めれば口唇が触れる、という距離で、ふたりは無言で見つめ合った。


(あと少しで)


ごくん、と響也は喉を鳴らす。

視線の先で薄紅色の口唇が動いて、ニアが不思議そうに彼の名を呼んだ。


「……如月弟?」


名字を呼ばれたのが、何故だか酷く寂しくて。

響也は目を細めると、苦しそうな声で乞うた。



「――俺の名は響也、だ」

「……?」

「響也」


二度言われ、ニアは戸惑いながらも口を開く。


「…響、也」

「…何だよ」

「……悪いが胸が痛いのだが」


(は…胸…?)


うっとりとしかけた響也はそう言われて、彼女の胸元へ視線を落とす。

キャミソールの胸が、しっかりと両掌で掴まれていた。


――誰の手で、なんて言う必要も無い。



「……」

「少し力を弱めて貰えないか?」



――って



「うわあああああ!わ、悪ぃ!!」


慌ててがばっと起き上がると、響也は2m程飛びのいた。


「…そんなに驚いて。私は化け物か?」


ふふ、と微笑みながら、ニアが上体を起き上がらせてのんびりと問う。

一方、響也はそれどころでは無かった。


(お、俺は何て事を…!)


両手を震わせて、響也は激しく自らを罵倒した。

真っ赤になりながら、罪深い両掌を見つめる。


(――柔らかかったよな…)


間違い無く、生まれて初めての感触。


(胸ねーよなとか思ってたけど、結構あるじゃん)


しっとりと響也の掌に吸い付くような、独特の柔らかさ。


(…っていうか、やっぱノーブラかよ…)


先程脚立の上から不可抗力で見えてしまった胸元を思い出して、響也は益々頬を赤くした。

健康的な男子高校生には刺激が強すぎる。


「…い」


(しかし、ノーブラでキャミ一枚なんて、どんだけ無防備なんだよ)


「おい」

「ん?―――ってイテテテテ!」


耳朶を引っ張られて、響也は慌ててそちらを向いた。


「何を想像したのか知らないが、私を差し置いて思い出し笑いとは、君も趣味が悪いな」

「ば…してねーよ!」

「していたぞ、ニヤニヤと」


見かけに依らず、悪趣味だな、と。

自らがにやりとした顔でそう言って、ニアはぐっと顔を近づけて来る。

響也は慌てた。


「うわっ…こっち来んな!」

「――?何故だ」

「いいから!!」

「――ふむ、」


響也の様子を興味深けに見て、ニアはふと口角を上げた。

その悪戯を思いついたかのような表情は見た事がある――というより、よく見る顔だった。

阻止しようとする腕をすり抜けて、ニアは猫のようなしなやかさで響也の直ぐ傍へと身を寄せる。

そして、耳元で酷く楽しそうな声でそっと囁いた。


「…そんなに私の上は居心地が良かったのか?」

「―――このっ」


響也は思わずカッとなる。

からかわれている、と思ったら、我慢がならなかった。

剥き出しの華奢な肩を両手で掴んで、後方へと身体ごと倒す。

再び押し倒されて、ニアの長い髪が床へと散らばった。

髪紐は、とっくにどこかへ行ってしまっていた。


「……」

「…あんま男をナめんなって…」


感情を抑えているのか、いつもよりハスキーな響也の声にニアは目を見張る。

肩を掴んだまま、響也ははあはあと息を整えた。

心臓が早鐘のように鳴っている。

自らの衝動を抑えるかのように身体を固くする響也に、ニアはぽつりと言った。


「――なんだ」

「…?」

「しないのか――?」

「――っ」


ぐっと両肩に力が篭る。

響也が身を屈めようとしたその時だった。


パタン、と扉の開く音。


それからパタパタとゆっくりとしたスリッパの音がリビングを横切る。

ふと立ち止まった律は、リビングの床で女子を押し倒したまま固まっている弟と目が合った。


「………」

「………」


形のいい口唇が響也、と弟の名を呼ぶ。


「…麦茶を飲んだら、ちゃんと冷蔵庫へ仕舞っておけ」

「………」


響也は愕然とした。

律はそのままふたりに背を向け、廊下へと歩いて行く。

再び扉が閉じられ、部屋の中は何事も無かったかのように静まり返った。


「………」


その背中を見送ったまま、響也はがっくりとうな垂れた。


――律の奴、やっぱ只者じゃない。


何だか一生、兄には敵わないような気がしてきた。


(つか、この状況でそんだけ?!)


「くっ…あはは…」


身体の下から、笑い声。

組み敷かれた体勢のまま、ニアが堪え切れずに吹き出していた。


「…笑うなって…」

「いやしかし…ははは…」

「つか、あいつ今まで居たのかよ…」


居るなら、居るって言えよな。


と無理なことを呟いて。

響也は、はあと大きく息を付きながら身を起こす。


「如月律は神出鬼没だな」


手を貸されながら起き上がったニアは、未だ笑いを抑える気は無いらしい。

響也は不貞腐れて、髪を掻きむしった。


「ははは…そう拗ねるな」

「す、拗ねてねーだろ別に!お前こそ、何がそんなに可笑しいんだよ?!」

「響也が、」


不意打ちで名を呼ばれて、響也は目を見開いた。

何がそんなに楽しいのか、ニアは口元へ上機嫌な笑みを湛えている。


「――お前、悪趣味」


ぼそりと低く呟かれた言葉に目を丸くして――ニアは心外だな、と口唇を尖らせた。


「――自分ではそう捨てたもんじゃない、と思っているんだが」


実は最近気が付いたんだ、


そう呟きながら。


両腕を伸ばし、ゆっくりと響也の首へと回す。


「―――!」


ひんやりと冷たい素肌の感触に、響也はこくんと息を呑んだ。

その表情にくすりと笑いニアは耳元に口唇を寄せると、小さな声で囁く。



――そう趣味は悪くないぞ。



「――特に異性に関しては、な」















ニアは基本ノーブラだと思います(笑)

企画サイト様へと提出させて戴きました。ニア、大好きなんで大変楽しんで書きました!

かなでちゃんの彼氏はニュートラルです(ただし如月兄弟ではありません)。
お題タイトル、あまり内容と関係なさそうですが、ニアのラストの台詞にそう言う意味を含ませた…というのはやっぱ無理矢理すぎ?(汗)





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