改めて君に 総司の唇が俺の唇を掠める。それは一瞬の出来事だった 途端に頬が熱くなった俺は総司の胸元を片手で突き飛ばした。 「…なっ…何をする…」 「してほしそうな顔してたから。駄目だった?」 「…駄目、に……決まってるだろう…こんな、所で…それに、そんな顔はしてない」 両手を上げ降参の仕草を見せる総司を睨み付けながら、放課後の廊下を総司を置いて歩き出す。 決して嫌なわけではない、ただ誰が見てるかもわからない学校の、しかも廊下で人の目も気にしないのはどうかと思った。 チラリと後ろを振り向き総司を窺い見れば、全く悪びれのない笑みを浮かべながら俺の後ろを着いてくる。 俺は熱くなる頬を俯き隠しながら歩みを早めた。 「ねえ一君、今日僕んち寄ってく?」 「…そうだな、少しだけ」 玄関で靴を履き替えながら、総司の問い掛けに少しだけ迷うも浅く頷けば、嬉しそうに笑う総司。 俺達がこうして一緒に帰るのも、互いの家に立ち寄るのも初めてではない。むしろ毎日と言っていい程、俺は総司と行動を共にしている。 だが俺達は決して付き合っているわけではなかった。 「じゃあ帰ろ」 一足先に校門を潜る総司の後ろ姿を眺めながら、俺は足早に総司の隣へ並んだ。 (…総司は、どう思っているのだろうか) ちらりと表情を窺い見れば、いつもと変わらない横顔。 すると俺の視線に気づいたのか、総司が此方に顔を向けた 「どうしたの?」 「…いや」 俺は首を横に振った。総司はそう?と相変わらずな笑みを見せて俺の前に手を差し出す。 「…何だ」 「寒いから、繋いで帰ろ?」 向けられる純粋な眼差しが、俺を断れなくさせる。 辺りを少しだけ気にしながら、躊躇いがちにその手に重ねれば温もりに包まれた。 (…俺は…総司と、どうしたいのだろう…) 繋いだ手から伝わる熱に全身が火照るのを感じながら、俺はしっかりと握り返した。 翌日、俺は変わらず総司と共にいた。 総司は俺の前の席に、椅子の背凭れを抱えるようにして向かい合わせに座っている。 「一君、僕面白いDVD見付けたんだけど、今日も僕んち寄ってく?」 「…何のDVDなんだ?」 「それは見てのお楽しみだよ」 言いながら総司は、俺のシャーペンを指先でクルクルと器用に回し、無邪気に笑った。 総司が秘密にするくらいだ、きっと俺でも楽しめるものなのだろう。 そう思い、わかったと頷いた時だった。 「総司くーん」 廊下から総司に向かって女子生徒が手招きしている。隣のクラスの者だろうか、髪が長く瞳の大きなその女子生徒に総司は立ち上がった。 「ごめん一君、ちょっと行ってくるね」 「……ああ」 一体何の用なのだろうか、離れていく総司の後ろ姿を見つめながら、俺は総司が回していたシャーペンを手に取った。 (…何を話してるのだろう) 僅かに聞こえてくる総司の楽しそうな笑い声。つい気になって視線を廊下へ向ければ、女子生徒が頬を赤らめながら総司の腕に触れている。 ──ズキンッ その瞬間、針が刺さったような胸の痛みを覚えた。 (…今のは、何だ) 得体の知れないモヤモヤ感に戸惑いながら、俺は二人から視線を外すといつの間にかきつく握り締めたシャーペンを見つめた。 気を紛らわそうとシャーペンを手に乗せ見よう見まねで回してみたが、総司の様には上手くいかずシャーペンは一回転もする事なく手から離れ床に落ちていった。 (…案外、難しいものなのだな) そうして体を屈め床に落ちたシャーペンを拾おうとすれば 「いいよ、僕が拾ってあげる」 聞こえてきた優しげな声と、目前に映るシャーペンを掴む総司の大きな手に俺は止まった。 顔を上げ見つめた総司が何処か嬉しそうに見えるのは、気の所為だろうか 「はい」 「…すまない」 「どういたしまして。それより、僕一君に謝らないとダメなんだ」 「……何だ」 何を言われるのかもわからないのに、緊張で掌が汗ばむ。俺は背筋を強張らせながら総司を窺い見た 「うん、あのね…今日急用ができちゃって、一緒に帰れなくなっちゃったんだ。だから、DVDはまた今度にしてもいいかな?」 「…あの者と、帰るのか?」 「…うん、ごめんね」 「……そう、か」 毎日一緒に帰ると約束しているわけではない、ただ何となく共にいるだけなのに。 総司が謝る必要などないのに。 どうして、こんなに胸が苦しくなるのだろう (…総司と、あの女子生徒はどういう関係なのだろう…) 放課後、最後まで謝っていた総司を見送った俺は、教室の窓に寄り掛かりながら外の下校風景を眺めていた。 どうしても一人で帰る気が起きない 総司が傍にいないというだけで、こんなにも気持ちが落ち着かなくなるなんて思わなかった。 「……総司」 誰もいない教室で、ボソリと声を洩らせば玄関から見慣れた姿が現れた。見え隠れする横顔は楽しげで、笑みは隣に立つ女子生徒に向けられている。 当たり前に思っていたのかもしれない。何も言わずとも、総司は俺の傍にいると。 だからどうしたいのかも曖昧なまま、放っておけたのだ。 (…今更、気付くなど…) 楽しそうな二人を目で追いながら、俺は手を爪が食い込む程きつく握り締めた。 「…総司の隣が……俺の、居場所なんだ…」 俺の呟きなど聞こえる筈もなく、総司は校門から出、やがて姿は見えなくなった。 どのくらいそうしていたのか、ふと我に返った時、陽は落ち辺りは薄暗かった。 時計を見れば、もう既に午後五時を過ぎている。 「…帰らないと…」 部活動がある為、玄関の鍵は午後七時まで空いているが、用もなく校舎に残っていれば流石に注意の対象になる。俺は鞄を持つと足早に教室を後にした。 「…寒…」 外に出れば冷たい空気が急激に体温を下げる。俺は肌寒さに肩を竦めながら、校門を潜った。 人通りも少ない歩道を、真っ直ぐに見つめながらひたすらに歩く。 夜の所為なのか、一人で帰っている所為なのか、通い慣れた道なのに、まるで初めて来たような気分になった。 (…総司に会いたい) ただ無性にそう思った。 そうすれば気持ちは止まらず、足は途端に総司の家へと向かってしまう。 総司は家へ帰っているのかそれさえもわからないまま、だが何処か期待を寄せながら俺は無意識に歩みを早めた。 (部屋に明かりが点いてる…) どうやら帰って来ているようだ。マンションの前で総司の部屋の明かりを見つけた俺はホッと安堵の息を吐いた。 総司に会える、それだけで足取りは軽くなる。俺は入口へ向かい、インターホンへ手を伸ばした。 その時だった。 正面のエレベーターが到着し、扉がゆっくりと開かれたのだ 「…っ!?」 エレベーターから出てきたのは、会いたいと願った総司と、あの女子生徒。 彼女は制服姿だった あれからずっと総司と一緒にいたのだ。俺以外は入れないと言っていた総司の部屋に、彼女は入ったのだろうか。 胸の奥が更に深くまで抉られたような気がした 「一君、どうしたの?」 (…もう、彼女と付き合う事を…決めたのか…?) 俺の元へと心配そうに近づく総司。その傍らに、彼女は当然のように立ちながら共に近づいてくる。 俺は俯いた。きっと今、物凄く醜い顔をしている。嫉妬なんてそんな資格、あるわけないのに 「……すまなかった…帰る」 「ちょ、ちょっと待って。僕に用があって来たんでしょ?」 「……間違えた、だけだ」 これ以上ここに居たくなくて、総司から背を向け入口の扉を開けようとするも、直ぐに腕を掴まれ総司の傍へと引き寄せられる 「一君、待って」 「…離せ。…その者を送って行くのだろう…」 「あっ、ううん。私一人で帰れるから、じゃあね総司くん」 「うん、今日はありがとう」 彼女は俺の言葉に慌てて両手を振ると、総司に笑顔を見せながらそそくさと出ていった。 「……いいのか…?」 邪魔者は俺の方ではないのか。だが総司は俺の腕を掴んだまま彼女を見送ると、無言で俺を引っ張るようにしてエントランスへ入っていく。 「そ、総司…」 「ダメ。一君離したら帰っちゃうでしょ」 訴えは却下された。俺は縺れそうな足を何とか堪えながら、腕を引かれるまま総司に着いていく。 エレベーターに乗り込み、総司の部屋の中に入るまで、腕は離される事はなかった。 部屋に入った途端ソファに座らされた俺は、何故か隣に座った総司と手を繋ぎ顔を覗き込まれている。 俺は手を振りほどく事も出来ず俯いた 「…それで、どうしたの?」 「……先も言った筈だ…間違えた、だけだと…」 視線を合わせないように目を逸らし呟けば、総司は小さく溜息を吐いた 「一君。ちゃんと僕の顔見て」 繋いだ手の力が強められる、声色から総司が心配していると窺えた。 (…総司……) 俺はゆっくりと顔を上げ、漸く総司と視線を合わせた。 「……彼女は……部屋に…入ったのか…?」 「入ってないよ」 「……本当、か…?」 総司が俺に嘘など吐く筈ないとわかってる。だがもう一度聞きたくて声を絞り出せば、総司は苦笑いを浮かべながらもう片方の手で俺の頬に触れた。 「…今日は本当にごめん、理由も言わないで心配になるよね…。実はチケットを彼女から譲ってもらったんだ、僕が持ってるゲームと交換で」 「……チケット…」 「うん。前に一君が行きたいって言ってたヤツだよ」 確か以前雑誌で、ある交響楽団のコンサートチケットが完売したという記事を見ながら、総司とそんな話をしたような気がする だが最初から行けるなど思ってなかったから、本当に何気なく言っただけだったのだ。 それを総司はずっと気にしていてくれたというのか 「……どうして…」 「一君が喜ぶ顔が見たかったんだよ。だから当日まで内緒にしたかったんだけど、それで一君に悲しい思いをさせたら意味ないよね」 「違う…、…何故そこまでしてくれるのだ…」 クラシックのチケットなどゲームと交換できる程安くはない筈だ。俺にはそこまでしてもらう謂れはない すると総司はクスリと喉奥を鳴らしながら、頬を撫でた。 「好きな子の為なら何でもしてあげたいでしょ?」 何の躊躇いもなく、当たり前のように放たれた言葉。 俺は突然の衝撃に言葉を失った。 (…誰が…誰を…好き…?) 今まで一度だってそんな事、総司は言った事などなかったのに。 「…彼女と…付き合うわけでは、ないのか…」 声が震えそうになるのを、繋いだ手に力込めながら見据えれば、総司は目を見開いていた 「…ちょっと待って一君、僕達付き合ってるよね?」 「……は?」 今度は開いた口が塞がらない。一体何が起きているのか頭が混乱しそうだ 「ねえ一君、友達はこうして手を繋いで座るかな」 「……しない、のか…?」 「しないよ。キスだって、僕は好きな子としかしない。一君は?」 「…しない……」 では俺達はずっと付き合っていたというのか。毎日交わす口吻けも、手を繋いで帰る事も、全て意味のある行為だったのか。 「…だが…そんな事、一言も…」 「そっか、そうだよね。あの初めてのキスが君の答えなんだって勝手に思ってた…。ちゃんと伝えないでごめん」 総司は体ごと俺へ向き直ると、俺の頬から手を下ろし両手で俺の手を握り締めた。 包まれた手が温もりと緊張で汗ばむ。だが嫌な緊張ではなく、忙しなく高鳴る心臓が心地良い。 俺は息を飲み総司を見つめた。 「一君…君が好きです。僕と付き合ってくれますか?」 「…はい」 そして俺達は、今日初めて恋人のキスをした。 end ************** 侑さんから相互記念に戴きました!可愛い一くんをありがとうございますw そのうちイメージ絵を付けさせていただきますね! |