▼Eat Me カランと汗をかいたグラスの中で氷が鳴った。 Eat me 今まで誰であろうと誘いに乗らなかった神田から、飲みに行かないかと誘われた。 アルコールには強いらしいが、飲んでいる姿は見たことがなかった。教壇では殆ど蕎麦しか食べていない上に、出掛けた先でも任務が終わればすぐに姿を消す。 一緒に食事を摂ったことは片手で足りるほどの、その彼にだ。 それは鍛錬場から部屋へ戻ろうと思っていた時だった。 おい、と抑揚のない聲が聞こえ、振り返った先には団服ではない寛いだ服装の神田がいた。 いつもよりも低い位置に括られた黒髪に、真っ白のシャツ。身長の高い彼だから栄える、黒のスリムパンツ。 今日は任務が重なっているのか皆出払っているのにも関わらず私は明日も非番だった。それはどうやら教団一の剣士も同じようで、休息を取っていたらしい。ただ、非番であっても右手には彼の愛刀が握られていた。 いつもならその声のかけられ方は含むところがあるが、気にならなかったのは多分いつになく彼の聲が柔らかい気がしたからだ。 「飲まないか」 くいっと顎を上げながら、左手の瓶を見せた。深い緑のガラス瓶の中で深紅の液体が跳ねる。表面に貼られた白のラベルに書かた中東の国の名前。それは以前から口にしたいと思っていた代物。某飲んだくれ元帥が、いつか飲んでみろと自慢していたものだ。 『え、それ買ったの!?』 「ああ」 『い…イスラエル産!?クロス元帥が言ってたやつ!?』 「ああ、そうだ」 飲むだろう?と口角を上げて、悪戯に言う。言い方が気に触るとか、そんなことはどうでも良くなる位の物をちらつかせながら。機嫌が良いことなんて稀な神田が、貴重な笑みを含めて見せる。 煽られるように、そうだね、と返した。 『うー……もう無理、飲めない』 それから何時間が過ぎただろう。 750mlの赤いアルコールは私と神田の胃の中に消え、ジェリーに作ってもらったアテももう空っぽだ。 元帥おすすめのワインは芳醇でいて口当たりがよく、ベリー系の香りが強い。ワインのなんてそう滅多に飲まないけれど、最後に残るチョコレートのような味は癖になる。 と言っても、小難しいことを考えながら飲んでいたのは最初の一杯だけ。 明日も非番だからと、考えなしにグラスに注いでは、誘ったくせに無口な神田に嫌みを飛ばしながら胃に収めていった。 筈だった。 「……●●」 これ以上飲むとホントに意識を飛ばしてしまいそうだと、ギリギリの理性がサインを送る。顔は熱いし、力も余り入らない。突っ伏した腕に触れる机が冷たくて気持ちいい。 今こうしている間にも教団の仲間が世界の終わりと戦っていることなんて、不謹慎ながらに他人事のように感じた、僅かな時だった。 神田の手が髪を梳く。シャワーを浴びたままにしていた、櫛もとおしていないぼさぼさの髪に。女の子だということはどこかに置いてきてしまった私の、手入れもされていない黒髪に。 珍しい事もあるものだ。私の知る限りの彼の行動パターンにはない事だ。そしてそれが別段煩わしくもない。 あぁ、久し振りに酔っているのか、と客観的に自分を判断する思考だけが唯一残されていた。 自分の身体がやけに重い。手も足も全てが鉛になってしまったんだと感じた瞬間、身体が勝手に浮き上がり、気付けばふかふかのベッドの上。力の入らない手足を投げ出してそこに横たわっていた。 シーツから仄かに香る石鹸と蓮の香りは、この部屋の主のソレ。 天井との視界を遮るように顔を覗かせている神田のものだ。 『え、何、重い……から、ちょっとどいて、』 「いやだ」 『は……?』 ギシ、とスプリングが鳴る。 顔の両サイドについた神田の腕のせいで、布団が沈んだ。 灯していたランプの灯はいつの間にか消えてしまっていたようで、窓から射し込む月の光のみが光源となっていた。その青白い柔らかな光が、神田の頬を照らす。肩から滑り落ちてきた彼の黒髪が、キラキラと金糸の様に輝いて見えた。 神田の顔をこんなにも近くで見たことは無かった。寧ろここ近年はまともに顔を見て事が無かったかもしれない。深い藍色の眼に吸い込まれそうになる。 『か、んだ。……酔ってるの?』 「……酔ってなんかねェよ」 剣を握る、骨ばった手が頬に触れる。形を確かめるかのように輪郭を親指の腹がなぞり、耳の後ろに指が添えられる。自分の肌よりも温度の低いソレがゆっくりと降りていき、首筋を這った。壊れ物を扱う様に優しく触れる神田の手を肌が認識するたびに、脳にツキンと走る、痛みに近い刺激。 『こう言うの、興味ないと思ってた』 「……」 神田の手が指が。 触れたところが熱い。 ジンジンと痺れるような熱さと、何とも言いがたい複雑な感情が思考を侵食していく。 『ひ、ぁ……!』 シャツの釦がいつの間にか外され、侵入してくる手。思いもよらない感覚に思わず聲が裏返ってしまった。自分のソレでは無いような聲に慌てて口を両手で塞ぐと、神田の口角が上がる。 「●●」 『ちょ、』 腰の括れをなぞる感触がくすぐったくて身を捩り、神田の肩を押す。 アルコールが回った身体だとは言え、力一杯押したはずだ。なのにびくともしない。 それどころか更に身体を倒して近付いてきた。 「興味なんてねェよ。他の女にはな」 『それって、どういう……、っ、』 首裏に回った手が顎を少し上に向かせたと思えば、もうそこに、すぐ目の前に、端正な神田の顔があって。 鼻と鼻が掠める位の、神田の吐く息が感じられるくらいの距離で、男の癖に紅を引いたような艶のある唇が開く。 かち合う眼は攻撃的だ。月の光りが反射しているのか、ぎらついてみえる。 「●●。オレを意識しろ」 『、なっ……!』 「オレを見ろ」 喰われる。 そう感じた。 獲物を追う捕食者のソレだと、肌がピリッと痺れ危険を知らせる。 麻痺した判断力でさえ、それくらいはわかる。 自分は狙われているのだ、と。 『ま、待って、神田、ちょ、』 神田の唇が首筋に触れる。一瞬の冷たさの後すぐに熱を持つそこは、神田の手なんて比べ物にならないくらいくすぐったい。 ざわざわと胸の奥の方が騒いで、目の奥の脳の奥がチカチカする。 ちゅ、と水っぽい音を立てながら離れていった神田の唇が、やけに眼に映る。 薄い唇の奥で動く、赤い舌。 「甘いな」 こんな彼は見たことがなかった。 任務に同行することは少なくないし、同じエクソシスト、同年代と言うことで、教団内でも絡むことも多かった。彼を知ってもう4年にもなる。 好戦的な神田がアクマに対して、ノアに対して、無愛想な表情を崩したことはあった。口角を上げながら、愛刀を振り回すその様を見たことはあった。 けれど。 射殺さんばかりの強い眼で誰かを見たことも、ましてや見られたことも一度も無かった。 そこら辺の女性より数倍整った顔立ちをしている神田に言い寄る人は何人も見てきたし、玉砕していく様も見てきた。教団のアイドルでマスコット的なリナリーに対しても、扱いは粗い(と思う)。 きっと神田ユウという人物は掴もうと思えば思うほど、その手をすり抜けて、並大抵の事では彼の眼中に留まることは出来ないのだと思っていた。 意識など、考える筈がなかった。 「もうこれ以上待つ気はねェ。●●」 耳を甘噛みする。距離ゼロのテノールが、直接脳に響く。アルコールじゃない、神田の聲に、酔って溺れてしまいそうだ。 いつの間にか肩はすくんで上がり、神田の肩を押す手は神田のシャツを籠らない力を込めて握っている。 目の前に薄い膜が張った様に、ぼんやりと曖昧視界と思考。 唯一鮮明なのが神田の体温と聲。 「……なぁ、」 『っ、』 ゾクゾクとした感覚が背筋に走る。 神田が生活する空間で、神田のベッドの上で。神田しか見えなくて、神田の聲しか聞こえなくて。 答えはひとつしか見当たらない。 『……か、』 きゅっとシャツを握る手に力を籠める。 『かんだ……、』 “でも”だとか“アタシなんか”だとか。 否定的な言葉は全てアルコールの所為にしてしまおう。 今はただ。 この甘い麻痺に流されてしまうのも悪くはない。 『最後まで残さず愛して』 End 20130720 久し振りの更新です。 23日に2周年になるのでその記念?な神田夢。 ちょっといつもより踏み込んでみました。 こんなサイトですがこれからもお付き合いいただけると嬉しいです。 ←一覧へ |