リフォーム
作品サブタイトル:LR
ページ数:全1ページ
作者:御陵 様



妻に先立たれ、息子も独り立ちこのがらんどうの家をリフォームしようと思った。水回りの修理もそろそろ独り手では難しくなってきている。息子の妻はずっとリフォーム関連の仕事をしていて、私はその伝手で業者を紹介して貰った。

時間通り、電話が鳴った。
未だやかましい黒電話で、風情も大事だけど新調しないとと息子に苦言されている。
でも、年を経て昔の事しか頭に諳んじられなくなっているのもさることながら、小さな息子が公衆電話から泣きながら謝ってきた事を思い出して、何と無く手放せなかった。

「はい」
『ーー様の御宅ですか?ご紹介承りました、LRリフォームの衡(くびき)と申します』
「ああどうも、この度はどうぞ宜しくお願いします」
『早速ですが本日発送で資料をお送り致しました。ご確認の後、改めてご連絡差し上げます』

何とも淡白な。
私たちの営業時代というのはもっとこう、泥臭かった気がする。やれ個人情報の関係でセキュリティの強化やら、はたまた人の意識の変化か、綺麗でこそすれ、するりと心に引っかからない。昔は良かった、なんて言うものではないが、どうにも。

「昔は良かったなぁ」

独りになると、余計にそう呟く回数が増えた。

日課の散歩の後に、昨日電話で聞いていた荷物が届いていたらしく隣の家の人が預かってくれていた。
箱が、ひとつ。
資料というからてっきり封筒だと思っていたが、しかし宅配業者も愛想がない。
箱を開けると大きな風船のようなものが詰められているだけでそこには水と、黒い魚が優雅に泳いでいた。
資料は何も入っていない。
ただ、『リフォームの際にこちらを行って頂く必要があります』と手短な説明だけだった。
一体何なんだと、そういえばこういうのを、見たことがある。
フィッシュセラピーというやつだ。
これがどうリフォームに必要なのだと考えて、しかし私が頼んだのだからこのやり方が正しいのだろう。風呂に水を張って魚の入った袋の口を開ける。
なんともまあ、幻想的だった。
黒の魚は虹色みたいな鱗になって、水面に睡蓮がほわりと花を開く。でもまあ男性の私にこのサービスはちょっと違うかもしれない。
ただの水だった筈なのに、指先を沈めると暖かくて、眠気が蕩けそうな不思議な水温になっていた。
なんというか、水と私の区別がつかなくなる、そんな感じだ。
境目が曖昧になっていく。私はどんな形をして、どんなニンゲンだったのか、それを思い出そうとすると輪郭を魚が啄ばんでいく。指先を、あらゆる先端に無数の口に食まれる度に、もう随分と感じていない腹の奥深くに溜まった泥濘の熱がじわじわ鎌首を持ち上げて来た。それだけははっきり分かるのに、奇妙だ。水は風呂から逸脱して私の視界すべてに広がっていた。

睡蓮が、またひとつ。

幼い息子のすべすべした手に似ている。私を育てて、弾けさせて。意味も分からないのにそうさせて一生懸命私に答えてくれる息子が破顔するのが堪らなく愛しかった。
でもその息子は大きくなってその意味を理解してしまった。
私を拒絶して、私から離れて行った。
最悪だと思ったのは許して欲しいでもなんでもなく、もう一度やり直したいだった。

ああ、出来れば、今一度。

※※※

「しかし太っ腹なお義父さんよね」

そう呟く妻の声は悲哀でもなく何処か嬉しそうだ。
それはそうか。
自分の仕事の点数にもなって、かつマイホームも手に入ったんだから。リフォームの電話が何時迄も留守電対応で繋がらないと聞いて家に飛んで行った。
家はもぬけの殻で、でも父らしく几帳面に手入れされたままなのと、隣の人も荷物の関係で顔を合わせていた。なんでも業者に無理矢理渡してくれと言われたとか。荷物や預金が引き出されていた訳でもなく、父一人、忽然と消えてしまった。
捜索願いは出したものの、一向に手がかりはない。
妻はうるさいと言うけれど、あの黒電話はなんとなく手放せなかった。僕が始めてお金を使って、背の高い公衆電話から電話をした。母がとっている声しか聞いた事が無かったのに、その時は父が出てしまって。

「ごめ、ん、なさい」

どうしようどうしようと混乱したままでやっと絞り出した声に、父は深く息をついた。怒っているのか、どうしようと自然に顔に熱が集まって涙が止まらなかった。

『そう言うのはきちんと顔を見て言うもんだ』

口の重たい父がはっきりそう言って電話を切ったのは良く覚えている。

「でもお義父さん、全然違う業者と連絡とっていたみたいなのよね…」
「え?」
「ライフリンカー社なんて聞いたことないんだけどなぁ」

机に置かれていた名刺のコピーをしげしげと眺めているのを取り上げてシュレッダーに流し込む。
ぶうたれていた妻は仕事のメールが入るとすぐ視線を切り替えて会話を中断した。
妻は快活で仕事熱心だが、熱心が過ぎて少しばかり窮屈に感じることがある。
風呂に入ると体が温まるせいか漸く息をつける。これは僕だけにしか見えないんだろうが虹色の魚が現れる。リフォーム前はいなかったそれに啄ばまれると、昔お父さんにしていた事を思い出す。

あれは多分僕と同じ気持ちだったんだろう。
告げれば瓦解してしまう何かに閉ざしたまま家にいるには辛くて痛くて、だから逃げた。

ああ、今一度、言葉を交わせるなら。

ぴちゃんといないはずの虹色の魚がない筈の水を掻いていく音が響いて消えた。

END


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