光秀はつっと口角を引き上げたがその頬にえくぼは僅かも浮かばなかった。まるで能面だ。確かにある表情だが、それはまるでその面をまるきり変えてしまったかのように違和感を孕まず、気味悪い。この生き物は人の不快感を逆撫でするのが本能とでもいうように、その一挙一動に心がざわつかされる。半兵衛はふっと息を落とした。そぞろに湧きあがる悪寒を拒否せんと手の内に納まる茶碗を見下ろした。警戒を忘れようと言うのはない。自身の恐怖を無視するほどに愚かなわけでもない。ただ無遠慮に這い寄る蟲はどこまでも好きになれそうもない。設けられた茶の席で、半兵衛はただ素知らぬ顔で座す。それを面白げに見つめて、光秀の口唇は深く弧を描く。「どうぞ」と殊勝に差し出された茶は光秀が立てたものであったが狂人と謳われる男には似合わず実に繊細だ。それもまた、どうにもならない嫌悪感を湧き立たせる。ふつりふつりと、それは果てを知らない源泉だ。

「そんなに気を張らずとも結構ですよ」

 顔を上げると光秀はじっと半兵衛を見据えていた。どろりとした視線に居心地の悪さを覚えるほど、半兵衛は男を同じ生き物として認識していなかった。ただ不明瞭でないものを排除したい本能ばかりがはっきりと声を上げた。ただやはり半兵衛はその声に知らぬ存ぜぬを貫く。半兵衛のそのようなこころもちを汲み取ったのか否か。どちらにせよ光秀はやはり半兵衛の精神の表層をぞろりぞろりと逆撫でるような笑みで「毒など入れたりはしません」と歌うように言う。

「貴方は御自身の命の価値をもっと知るべきだ。わたくしは、そのようなつまらぬことをいたしたりはしませんよ」

 対し口を開かぬ半兵衛であったが光秀はそれにさほど執心する様子もなく、自己に陶酔するかの如くに笑みを深めた。ふふ、と波紋のように揺れる空気がその端々から毒されていくようですらある。半兵衛は言い知れぬおぞけを覚える。これは、とてもじゃないが同じ生き物だとは。

「貴方はもっともっと、秀吉公の御為に生きるべき方なのですから」

 光秀の双眸が暗い色でぎらぎらと瞬いた。半兵衛はす、と細めた目で光秀を見返した。

「君に言われるまでもない」

 とうとう弾けるように哄笑する光秀を前に半兵衛は顔を歪めた。なにがでもなく汚された気分だった。この男こそが毒だ。死に至らぬ毒は臓腑をそぞろに焼いた。







101012/101011