厄日だ。や、と気軽そうに手を振ってみせた少年に銀時はどうしようもなく頭痛を覚えた。神楽がいなかったのが救いだろうか。不幸中のなんて小さな幸い。くらりと歪んだのはこれが夢だからと思いたい。
 そもそもこいつと俺とは互いの家を行き通うほど親しい仲でもなかったはずだ。少なくとも俺はこいつの家など知らないし知りたくもない。ましてや自身の家を教えてやるなど論外だ。しかしソファにだらしなく寝そべる少年は見目に反して宇宙海賊の幹部なのである、隠すつもりもない家屋のひとつふたつを探し出せぬ道理もない。肘掛けから逆さ向きにこちらを見遣る神威をねめつける。平常、と語れるほどに知ったる仲ではないがしかしその痩躯が殺意を振り撒いていないのがなんともうさんくてしようがない。幻覚であってくれたりしないだろうかと思い始めた辺りで、弧を描く神威の口唇から軽やかな笑い声が漏れた。

「すごいまぬけ顔だ」
「うっせー。さっさと出てけ」
「酷いなあ、お兄さん」

 ふ、ふふと笑いの尾を引き摺る神威に眉を顰めると、神威は腹筋の力だけで起き上がった。軽い動作でそのまま床に立ったことで(あれ、こいつ土足じゃね?)ようやく、その手に一升瓶が握られているのが解った。ラベルを含めどっからどう見ても、酒のそれである。見覚えのあるそれは少年には似つかわしいものではない。それ以上に神威がそれを持って来る意図がまったくもって見えない。当の神威はそれを察したのかもともとそのつもりだったのか(十中八九後者なのだろうが)無造作にぶら下げたそれを掲げて見せた。

「そんなに警戒しなくていいヨ。今日はただのおつかいだからね」
「おつかい?」
「そうそうおつかい」

 神威はダン、と半ば落とすようにして瓶をテーブルに置くと、ソファの背に立て掛けた傘を取りすたすたと銀時の横を擦り抜けていく。長居する気もなかったらしい、せめてもの救いだった。がらりと万事屋の戸を開けて「おじゃましました」などと当たり前のことを言う神威がなんというか、気味悪い。言わされたような棒読みだったがしかし気味悪い。本人には口が裂けても言うまいが。黙ってその背中を見送っていると神威は、あ、と声を上げた。思わず身構えた銀時を知ってか知るまいか、戸に手を掛けたまま神威は背に垂れる三つ編みを揺らして振りかえった。

「忘れてた忘れてた。お兄さんに言伝だよ」
「んだよ」
「ハッピーバースデーイ」

 それもやはり、拙い響きである。思わず目を円くした銀時を見て満足げにひとつ頷くと今度こそその背は戸の陰に消えた。(やっぱりやつは土足だった)ぼろっちい階段をリズミカルに下る軽やかな足音が消えると神威の気配はかぶき町の雑踏に消える。しばらく銀時はぼんやりと玄関を眺めた。開け放たれたままの戸からざわざわと入り込む喧騒に瞬きをひとつふたつして、銀時は大きく溜息をついて肩を落とした。なにやら重たくなった気のする体を引き摺り、つい先程まで神威の寝そべっていたそこに座る気にはさすがになれないで向かいに腰を下ろす。当然、視界に入る酒瓶に重ねて溜息。見覚えのあるラベルは銀時が好んで呑みやしない辛口。いやがらせかと単純に考えるには大層値の張るものであったように思う。どういう意図なのだろうか。ぼんやりと思案してみるが、どうにも。これを好んでいた男は大層な気分屋でねじりにねじまがってなにやら子供染みたやつである、どうせきまぐれの一環だろう。そう思うにはいささかどころでなく心臓にはよろしくなかった。しかし何故神威。

「あいつにも友達できたんだなあ…」

 そうとも思わなければ。






101012/101011
銀誕に完璧遅刻した