銀時はいつだって精根尽き果てるまで、時には尽き果てても尚セックスをする。昔はそうではなかった覚えがあるがある時からかそうなって以降はずうっとそうであったから、これからもそうなのだろう。(その、ある時について今は言及すまい。少なくともそういう瞬間があったのだとそれだけ)セックス自体、多少の変態嗜好はあるもののそうそう人道の枠を逸脱するそれではないが、いささかと片付けるには無理がある程度の回数なのである。吐き出すものがなくなるまでだと言わんばかりであるし、実際そうなのだろう。種が尽きて透明になるか酷いときはなにも出なくなるまでだ。酷いときも少なくない、少なくないのだまったく。しょっちゅうと言い換えてもいささかの問題もあるまい。俺はそのたび死んでしまうのでないかという心地を覚えるのだ。あの疲労感は、いや、あれはもはや疲労以上のなにかだ。疲労以上のなにかを抱えて泥のように汚れきった褥に木偶のような四肢を投げ出している時、俺はもうすぐ死ぬのでないかと思う。指一本満足に動かせずに底無しの沼に沈む心地のまま死んでいくのではないかと、残り火のように快楽が尾を引く赤い瞳を茫洋と見上げながら思うのだ。それでも、なにやら満足げに目尻をだらしなく緩ませた男がふたりして精液やら潤滑油やらでぐちゃぐちゃどろどろのまま、この泥のような体躯を抱き抱えるたびに妙な腹立たしさを覚えて意地でも死んでやるかと思うのだ。そうして舌打ちをしてやれば、甘たるいものを好む男はピロートークがどうのなどと、やはり脳にまで糖が回ったかのような甘たるいことを喚くのだ。そういうわけなものだから、俺は毎度毎度、少なくとも陽が昇りも一度落ちるまで帰ることなどできやしないのだ。






100612