水中はおだやかだ。生きた水が好い。湖や池のそれは澱み腐り、死んでいる。果てまでも窺えるほどに清廉な水底にもなにものかが澱み腐り、死んでいる。流流と絶えないそこにこそ生はある。ああ川よりも海が好い。果てしない向こうまでなにかがたしかに息づいている。まるで停滞しているかのような暗闇でひそかに身を捩るうねりが膚を押す。母のようなまろさである。刃を持たず諂う駒という存在をも失せる今、たしかに回帰していた。母の胎内に回帰していた。この身体にはえらがない。海で生き続けるのはいささか困難なつくりをした体が、いつだってわずらわしい。魚が羨ましい。成り代わりたいなどとは思わないが、しかし母の胎内でゆうゆうと尾鰭を揺らめかすのはさぞここちよかろうに。生涯、決して叶わぬ夢ばかりを抱えて回帰する。回帰するそのときだけ身を焦がす夢である。うっそりと瞼を押し上げた。ゆらめく水面から差し込む陽光が白々ときらめく。丁寧に砥がれた刃よりもずっと鋭利なそれらに、左胸を刺し貫かれながら思う。きっとこのまま死ねたらしあわせだろうに

「なに勝手に死んでやがる」

 悪態をつく横顔を眺める。ぐっと寄った眉間になぜだか無性にいらっとした。そのような顔で海を眺める男でなかったはずだ。

「貴様は馬鹿か」
「あァ?」
「貴様より先に死んでやるとでも思ったか」
「そっくりそのまま返してやるっつーの」

 ぐっと上がる口角に明確にいらっとした。ああ、というか、そもそもなぜこれはここにいるのだろうか。









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