! 豪炎寺が彼女持ち




 そもそも、円堂がアポイントメントとか、そうでなくても事前に連絡を入れるとか在宅を確認するとか、そういうことをする男だとは思えないのは経験に基づくそれだ。いい加減に呆れて、誰にでもそうなのかと尋ねたことがあったが、円堂は冬にも関わらずきんきんに冷えたコーラを飲む合間に笑い交じりで「豪炎寺だけだよ」と言ったのは記憶に鮮やかだ。自分のマグにコーヒー(勿論ホットの)を注ぐ手にじっとりと汗をかいたのも、また。


 今は夏だ。ぶわっと吹き出すように結露するグラスもたっぷり氷の入ったコーラもどこもちぐはぐでない。額に掛かる前髪が鬱陶しいのか、見慣れたオレンジのバンダナで髪を全部上げている。日に焼けた額は滲む汗で光っている。リモコン片手に風向を真っ直ぐ自分に向けているにも関わらず襟元をぱたぱたとやっているのを見て、そりゃあそうだろうと豪炎寺は溜息を禁じ得なかった。先日何度目かの合鍵没収で、勿論鍵なんて持ってない円堂は、この炎天下―日陰だったとは言え―で豪炎寺が一人暮らししているマンションの自室のドアの前で帰宅を待っていたというのである。熱中症にもなりかねないし、ともすれば不審者だと、気付いているのかいないのか、気付いていたとしても止めたりなどはしないのだろうと思った。文句を言ったこともあったが、「だって豪炎寺のうちコーラあるし」と言われてしまえば豪炎寺はそれ以上なにも言えなくなるのだ。何故だか豪炎寺はことさらに舌を弄する訳ではない円堂に、口で勝てた試しが無い。床に放られたリモコンを拾い上げてディスプレイに眉を顰める。温度を二度下げればその操作音に円堂が「あっ」と声を上げる。聞かなかった振りをしてリモコンを所定のスタンドに、自身は再びキッチンに引っ込んだ。

「それで、今日はなんの用だ」

 いつものことである。円堂が豪炎寺の元を訪ねるのは何時だってただの気紛れだ。セックスする時もあればしない時もある。だからと言って恋人とかそういうのじゃあないから、円堂にとっての自分はなんなのだろうと思わないでもない。セックスフレンドと称したならば円堂は何と言うだろうか。しかし親友の枠組みの中にセックスは無いはずだ。どうせ悩む体を見せてから「無い!」とか、朗らかに笑うのだろうと思いながら豪炎寺は円堂が「んん」と唸るのを聞き流す。グラスに氷を三つ四つ放り込んで冷蔵庫から麦茶のボトルを取り出す。八分あたりまで注いで再び仕舞うころには、グラスにじわりと結露が滲んで靄掛かる。

「うーんいやさ、大したことじゃないんだけど」

 ほう、と豪炎寺は僅かに眉尻を上げた。麦茶を伴ってソファに座る。円堂が視界の端でだらしなく丸めた背中を此方に向けていた。ちらりと覗いた膝に乗せているのが最新のサッカー雑誌で、また勝手に引っ張り出したと容易く知れて幾度目かの溜息を吐いた。中途半端に言葉尻を切ったまま適当に唸ったりしているのは躊躇とかでなく、雑誌に夢中になっているだけだと解らないほどの付き合いではない。溜息の代わりに豪炎寺は麦茶を飲み下す。夏の日の下、火照った体に冷え切った麦茶はきいんと痛みさえ覚えるほどで、少しばかり眉を顰めた。

「豪炎寺さあ、」

 べらりべらりとぞんざいにページを捲る様子から、どうやらお目当ての記事は見終わったらしい。人のものと解っていてそのように扱うのか、単にそういう配慮に欠けるだけなのだろうと殊更口に昇らすことはしなかった。豪炎寺がグラスを持ち上げると溶け出した氷ががらんと音を立てた。

「3Pとか興味ねえ?」
「う、ぐっ」

 飲み下し掛けた麦茶が変に競り上がってきたのを無理に押しとどめたせいで、今度は変なところに流れ込んで反射的に噎せ込む。飲み下せてなかった分、ちょっとの麦茶が顎を伝うのを、口元を押さえた掌でどうにか拭う。けらけらと笑う円堂を睨みつけられたのは、咳もほどほど落ち着いた頃である。鼻がつんと痛んで、思わず拭う仕草をした。

「なんかウブだなあ、豪炎寺」
「馬鹿か!」

 鼻や喉が痛むのもそうだしその原因も確かにこの男なのだが、そうと指摘されるとどうも耳だとかまでかっと熱くなる。それさえ無視してティッシュで手とか口周りだとかを拭えばまた円堂が笑った。憤然たる豪炎寺に、見た目に似合わず性悪なところのある円堂は雑誌を放って立ち上がる。逃げるのも癪でただじとりと円堂を睨みつける豪炎寺の隣に座ると、ソファのクッションがまた具合を変えて傾く。

「いいじゃん3P、やってみようぜ」
「馬鹿だろお前」
「なんだよ。だって普通のセックスもマンネリかなって」
「じゃあ止めろよ」
「やだよ。楽しいし」

 にっと、口角を思いっきり上げて歯を見せる笑い方はどこも変わらないのに、そうして言い出す言葉は出会った頃とはもう本当に、さっぱり変わってしまっている。いや、そうでなくともこの場面を見れば頭を抱えたくなる豪炎寺を攻めるやつは一人だって居ないはずだ。豪炎寺がそんな風に思い詰めたって円堂はご機嫌だ。ジェスチャーゲームみたいに身振り手振りまで加えてあれやこれやと話す言葉は全部が全部性欲なのだから。

「いや俺もさすがに野郎を加えたりしねーけどさあ、いいじゃん女の子!柔らかいし!」
「じゃあもう女子としてればいいだろ…」
「ばっか違うって。俺は豪炎寺と3Pしてーの!」

 今度はなんの影響か、あるいは案の定の気紛れかなんて知らないし、知りたくすらないが、もういい加減その口を閉じて欲しいのに思考の停止した脳みそがべらべら喋る円堂に勝手な受け答えまでしてしまうものだから益々もってその話は止め処が無い。本当に勘弁して欲しい。なんだったら際限のない円堂のセックスに付き合う方が未だしもマシだ。

「ほら、豪炎寺カノジョいたじゃん、年上の。呼ばね?」
「ばっ…!ありえないだろお前!」

 幾らなんでも、と絶句する豪炎寺を円堂はどことなしに不思議そうな顔をして首を傾げる。豪炎寺自身、別段にその彼女が好きだとか恋してるとかそういうことはない―なにせ半ば惰性で彼女の告白を受け入れたのだ。ひどいことだという自覚は、それなりにある―がしかしそれは好き勝手に彼女を傷付けていい理由にはならない。豪炎寺が本気で―勿論今だって戯れではないくらいに怒っているが―怒りかねない雰囲気を察して、円堂はんん、と考えるそぶりで唸った。しかし考えていることはセックスのことばかりだから、嘆かわしいと言おうか情けないと言おうか。何より己が身が一番に情けないことは言うまでもない。

「じゃあさ、デリヘルとかで。んで3Pしようぜ、3P!」
「お前、なんだよもう、セックス覚えたてのガキみたいに」
「覚えたてで3Pはマニアックだろ!」

 けらけら笑う声はあんまりにも無邪気でその齟齬がまた、豪炎寺を参らせる。とにかく、円堂は言い出したら聞かないのである。中学の頃なんかはキャプテンとして、それがそれなりに魅力だったし美点だったが、こうともなるともはや悪用だ。はあーと豪炎寺がめいっぱい吐き出す溜息にも円堂の心が折れたりなんかしない。

「第一…」
「ん?」

 どうせ聞き入れられないのが解っていても豪炎寺は口を動かさずにおれない。流されるにせよ円堂が飽きるにせよ、とにかく豪炎寺は抵抗したという証を残しておかずにおれないのだ。そうでもないと自尊心が保てないのだという自己分析は疾うに済んでいる。

「それでお前は何が楽しいんだ?いつもと何が違うんだ」
「え?いや全然違うじゃん。流石にわざわざ尻にはしないし」
「は?」
「え?」

 ぱっと顔を上げた豪炎寺と、きょとんと眼を丸くした円堂の視線がかち合う。豪炎寺が瞬きさえ忘れる一方で円堂がした四度目の瞬きで、豪炎寺が「あっ」と声を上げる。酸欠状態とは言え、インスピレーション頼りの円堂よりかは遥かに頭の回転はいいと自負している。しかしいっそのこと無能であればと思った日はこれより他ない。あっという間にぐあっと競り上がった熱が耳と言わず頬と言わず、頭のてっぺんから爪先まで熱くした。だのに体はすっかり硬直してさっぱり動かず豪炎寺は逃げることさえ忘れる。遅れてぶわっと吹き出す汗は空調の効いた部屋に似つかわしくない。その一連をぱちぱちと見て、円堂は「あーっ」と声を張り上げた。たかだかマンションの一室、その声は必要以上に聞こえたが果たして豪炎寺の錯覚か。途端に破顔してぶはっと笑い声のようなものを吹き出して円堂は豪炎寺にぐいぐい顔を寄せた。ぎこちなく後退るような動きをする豪炎寺がますますおかしいと円堂はえくぼを深めた。

「豪炎寺が想像してた3Pってあれなの、女の子に突っ込んでるお前に俺が突っ込むってやつ?」
「う、う」
「うっわなにそれ豪炎寺ちょうかわいい!」
「ちょっもう、お前ほんと!」
「お前ほんっとーに俺のこと好きだよなあ!」
「うるさい!」

 終いにはめいっぱいに広げられた円堂の腕に容易く捕まって、ぎゅうぎゅう締め付けられながら二人でソファを転げ落ちた。ぐるりと回って円堂を下敷きに落ちたのにこの男はまるで腕を緩める気配もなくそれが一層豪炎寺の羞恥を煽る。今すぐここから消え去りたい!いっそのこと泣き出したくすらなって、円堂の肩を握り潰す気で掴んだ。「いててて」と言う声から余裕と笑いは消えなくてますます豪炎寺は平常心を踏み潰す。堪らなくなって喉の奥から唸り声を漏らすのがどうにか豪炎寺を踏み止まらす。すると円堂はまたしても「かわいい」などと笑い交じりの声を上げて、とうとう豪炎寺を抱え込んだまま馬鹿騒ぎ然とげらげら笑い立てた。この男、悪意じゃないのがまた豪炎寺を煽る。「黙れ!」と叫んでも効果がないと知っても叫ばずにおれないのだ。

「ひいー……豪炎寺やばい、それはほんとやばい」
「本当にもう黙れ!」

 とうとう目の奥に熱が溜まってくる。円堂ではないがやばいと思った。これだけ笑われてこの上に泣くなどと、豪炎寺の人としての自尊心が耐えられない。しかし激情はどうにも堪え難く、焦れば焦るほどに熱は具体性を増す。だが、目尻まで迫ったそれをぱっと引っ込めさせたのもまた円堂である。圧迫感が失せて、代わりにまたもぐるりと回って円堂を見上げる。ある意味見慣れた光景だが、背に当たる感触の硬さが頂けない。

「はー…もうやっぱいいや。豪炎寺が一番かわいい」

 笑いすぎで潤んだ円堂の瞳に確かに熱が篭っているのに呆気に取られて、すん、と首筋に鼻を寄せてくるのを拒むスタンスさえ忘れる。ちゅっちゅ、と吸い付くでもなくぴたぴた触れてくるだけの唇はほんの僅かに擽ったい。放心状態の豪炎寺のTシャツの裾から円堂の手が忍び入ると、円堂は先程より余程静かに笑った。

「豪炎寺すっげー体熱い」

 ぺたりと平らな腹を撫でる手は、汗ばんだ膚に張り付いて思うようには滑らない。その歯がゆさにはっと豪炎寺は我を取り戻して円堂の肩を押し返そうと突っ張った。にやにやといやらしく笑うのも見慣れたものだ。勿論可愛げなど皆無だ。

「こっの色情魔が…!」
「豪炎寺だって好きじゃん」

 大きくて硬い手が這いずる感触は、多分誰のものより豪炎寺の体に馴染んでいる。それがあまりに悔しくて悔しくて、豪炎寺は性的な意図を持つ掌に対して唇を噛み締めた。








110624
円堂がしようとしたのは二輪挿し