夏の雲はこうも厚いというのに何故だか都合よく日輪を覆い隠すこともなく、陽は土を焼き空気を焼く。弱い膚に極力陽が中らぬよう、奥まって陰になった所に在る大谷の部屋にも暑気はぞろりと這い入る。外に面した部屋でもないのに幾重にもなって喧しく鳴く蝉の声にも気が滅入る。汗腺の死んでおらぬ膚の辺りはじっとりと重く気持ち悪いが、そうでないからやたらに熱が籠り、堪らず緩めていた口許辺りの包帯はやたら熱の籠った吐息にじっとりと湿った。冷や水でも浴びようかと考えぬでもなかったが、熱をたんと孕んだ頭は重たく、比例して重たい体は腰を上げるにすら至らない。陰、且つ開け放った襖から向こうへ抜ける風の通り道に座り込んで、瞬きすらほとんど忘れてあらぬ宙を眺める。首に据えられた頭すら重く、ともすれば前なり後ろなりに傾いで落ちる気さえした。腹にうずめ火でも抱えたかの如くに血に乗って指先足先の一切までもがぐるりぐるりと渦巻く熱を持て余している。痺れすら覚える体に、とうとう頭ががくりと垂れたところで、「刑部」と耳を打つ声に小さく呻いた。
 常の三成ならば狂乱しても可笑しくはない大谷の様子ではあるが、このようなことを毎年々々繰り返せば愚鈍というわけでない三成である。落ち着き払った様子で抱えた桶を置いてから力なく垂れたままであった大谷の頸をゆっくりと持ち上げる。

「どうだ」
「…見ての通りよ。頭の中身はすっかり溶けた」
「そうか」

 床でも延べるか、と尋ねる三成に少々の呆れさえ覚えながら大谷は瞼を落とした。

「よい。それこそ茹だる」
「そうか」

 この男は小姓のような真似どころか、小姓ですら疎む大谷の世話なぞを好き好んで遣ると云うのだから全く以て度し難い。もしやしなくともこの男は大谷の手に余るいきものでないかとさえ思わないでもないが、そのようなことを口にしようものなら三成がいかほど激昂するかくらい想像するまでも無いので、大谷はその類いを一度たりとも口にはしなかったし、これからもそのつもりはない。
 そのようなことを考える頭もそろそろ本当に重さを増して、瞼を落とせば熱が吐き気となって込み上げてくるのがより一層鮮明に知れて、添えられた三成の両手をゆるりと払ってまたも頭を落とした。眉間に皺を寄せて鳩尾辺りで溜まる不快感を慰めていると、目前で膝をついていた三成の衣擦れと共に小さく鳴いた床にうっそりと瞼を上げた。胡坐を掻いた三成の腰元が見えて、居着く気かと嘆息。何時になればこの木偶の身体に見切りをつけてくれるのか見当も着かぬことにじれったさすら覚えた。

「刑部」

 呼ばう声にのろのろと頭を擡げて、重たい瞼を眇める。すっかり暑気に参っている大谷とは裏腹に涼しい顔をして汗のひとつもない滑らかな首筋に恨めしさすら覚えた。そのような大谷の気などしらないで、胡坐を掻いた自身の膝を叩いて見せる三成に大谷は頭痛が一層増すのを感じる。ぽんぽんと、それは猫など呼ぶようではないか。

「……なんぞ」
「膝を貸してやる。来い」

 この男はまた、と大谷は重ねて嘆息した。

「如何な気紛れか」

 呆れた、と言外に語るも、当の三成はそれを拾い上げた上でひとつ鼻を鳴らして「好きに言え」などとのたまってみせるものだから益々以て頭が痛い。ひとつの濁りもない浅葱色の瞳がまっすぐに自身に向けられるのがそれに拍車を掛ける。なにやら自身の身辺を面倒見たがっているのは確かに三成の筈だが、この大きなやや子のような男をどうしたものかと頭を悩ませる自身を鑑みるに、これはどうにも可笑しな事態である。その滑稽さの余りあること、尽きぬ溜息も静かに浅くなりつつある呼吸に消えつつある。兎にも角にも、この頑固者を如何に諦めさせようか、軽薄に動く筈の舌すら重くて嫌になる。

「…要らぬ、要らぬわ。凶王の膝など恐れ多くて呑気に寝入れるものか」
「貴様は何時も私にしていることだろう」
「それはぬしが勝手に押し掛けてそうするからであろ…」
「だが貴様は拒絶しない」

 いっそのこと愚直とでも評してやりたくなる浅葱の双眸をぼんやり眺めると、結局のところ甘やかし過ぎたのだろうかという気にもなる。ああ、と薄く零れた声は音と言うには余りに希薄で、じとりとした暑気にあっさり霧散した。どっと疲れた。なにひとつ解決していないのに両肩には疲労が実体を持って圧し掛かって来るようである。前のめりの体を支える両肘すらくずおれるかと思ったところで、三成は再度その膝を叩いた。

「早く来い。何度も言わせるな」

 首だけを巡らせて半分落ちたまなこで三成を見遣った。嫌になるほど真っ直ぐな男は、そうそう簡単に折れても曲がってもくれない。

「……はー」

 いやに間延びした嘆息は、今度は三成の耳にも届いたろうと思う。だがこの男がその意味を理解できると思ってもいないし、実際そうでもあったので「辛いか」などと尋ねてくる。辛い、ああ辛いとも、とは思っても口にしない。言えばやはり、三成がこちらの意図を正確に汲むことは無いからで、だからといって舌を弄する気にもならずに黙って薄く腰を上げた。ほとんど床を這うようにして畳に膝を擦りつければすぐさま三成の腕が伸びてきて、この男にしては珍しく決して焦れることなく大谷を傍らへ導く。そのようにして大谷が三成の膝へ収まると、今度は上半身だけを捩じったりなんだりしているのが僅かな揺れなどで知れた。横になったと同時に落としていた瞼をゆっくりと持ち上げると包帯越しの頬にひやりと何かが押し当てられて咄嗟にそこを手で押さえて目を見開いた。手に触れたのは人の手の甲で、視界に映ったのは実に平常の三成である。もう少し指で探るとそれが冷や水に浸した布であると知れ、ぱたりと手を落とした。それはきつく絞られてこそいたがじわりじわりと包帯を濡らし、しかし熱を孕んだ膚にはあまりに心地よかった。鍛えられた三成の腿はしなやかと言えど固いし高さもある。到底寝やすいものでもなかったが疲労を湛えた身は横になったというだけで疲労と共に眠気の手を引いて遣って来る。このまま寝てしまうのは如何かとも思ったがそもそもこの男の言いだしたこと、それくらいは耐えて貰おうと瞼を落とした。
 うつらうつらとし始めたところで、首筋や頬に当てられていた布がしばらく取り去られる。ちゃぷ、と小さな水音が耳を打ちもうしばらくしてからいささかぬるくなっていた布はもう一度冷たく絞られ大谷の額に落ち着いた。やたら甲斐甲斐しくするのもようやく飽いたかと大谷は胸を撫で下ろした。しかし次いで感じたのは不自然に向けられるそよ風である。勿論襖は開け放したままであるから風は通っている。しかしそれとも違う、と薄く目を開けばやはりと言えばやはり、扇ぐのも面倒になって文机に置き放しであった団扇を片手にした三成が至極真面目くさった顔をして扇いでいる。大谷はまたも嘆息した。心地悪いわけではないが居心地は悪い。いっそのこと告げてやろうかとさえ思ったところで、薄く押し上げた瞼の隙間から覗いた双眸を見て、ふと三成が頬を緩ませたものだから機を失う。

「……如何した」
「いや、貴様がそのように無防備なのは随分愛らしいと思っただけだ。気にせず休め」
「……」

 なんとも空恐ろしいことを言う。大人しく床に寝そべった方が未だしもましだったかもしれないが、やはりそのような気にはならないのである。暑気が怠惰を招くのを体感しながら大谷は嘆息した。もう幾度目かなどは数える気にもならない。

「……暑さで三成の眼もやられよった」
「貴様は今にも溶けそうだな」

 ふ、と笑いを溢して見せる三成に辟易して、大谷はもう寝入ると心に決めて瞼を落とした。示し合わせたように外の蝉が黙るとまどろむような眠気が大谷に覆い被さり、ふわふわとした心地を与えた。それに反し、この枕の固さといったらない。






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